『ミランダ、あるいは マイ・ランド』 |
わたしは砂浜を海の境とし、これを永遠の限界として、 越えることができないようにした。 波が荒れ狂っても、それを侵しえず、 とどろいても、それを越えることはできない。 ------『エレミヤ書』第5章22節 |
登場人物 |
エドワード・フィッシャー:島に駐在する本国の特別外交官。 クレア・フィッシャー:フィッシャーの妻。 イアン・ティーコ:島の骨董商。 リーン・ティーコ:イアンの養女。元はプレット家の長女。 バリー・ヘリング:本国の軍医、科学者。 ケレス:ホーエル:島の軍医助手。ヘリングの副官。 エッブ・ラトゥーン:島の漁師。 エバン・ラトゥーン:エッブの甥。 クリス・ウィルバーフォース:本国出身の鳥類学者を目指す青年。 アリス・マーシャル:島に漂着した商人。 |
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舞台 | 舞台は、植民地時代の面影がいまだ残るとある島のビーチ。波の音が聴こえる。ビーチの中央に、何かその場所が特別な場所である事を示す記念碑がある。舞台奥にはマングローブか何かの大木が見えるが、その木は、奇妙にねじれ、ただれている。 以下のようなナレーションなどがあっても良い。「この島のことは、みなさんもよく知っていると思いますが、念のため。この島は、この辺の島々の中でも、特に小さく、他の島からも離れています。遅れて入植されたものの、資源に乏しく、砂糖のプランテーションも波に乗らず、すぐに過疎化してしまいました。観光資源もなく、物好きの本国人が移り住み、別荘を立てた程度。そんな島の南側に美しいビーチがあります。昔、この島に滞在した小説家がつけた名前は、ショアレス・ビーチ1。果てしない浜辺。」 |
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プロローグ | |
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舞台上の、9人の男女がその記念碑を囲んでいる。 | |
リーン | ねえ。どうして、私たちが、この場所に集まるのか、ふと忘れてしまう事がない? |
エッブ | 人間は島のような物だろうか。海流の中にぽっかりと浮かぶ島。 |
リーン | 忘れるっていうか、なんかぼんやりして・・・。大事な場所に行こうと思い立つ、でもいざその場所に来ると、なんとなく、ぼんやりして。 |
ヘリング | いや、人間は、島ではなく、きっと大陸のようなもの。 |
ホーエル | 長い休暇みたいに、目的がぼんやりして。 |
クレア | でも、おかしな事に、変な感じはしない。 |
フィッシャー | 人間は島ではなく、一続きの大陸の一部。 |
リーン | この島の、このビーチには持ち主がいる。その事は、みんな知ってるし、覚えてる。でも、知ってる事とか覚えてる事って、あえて、思い出そうとしない。 |
クリス | 一続きの大陸だから、誰が死んでも、僕の一部は失われる。 |
クレア | 忘れるはずがないから、思い出さない。 |
エバン | 遠くで弔いの鐘が聞こえる。誰のために鳴ってるのだろうかと人は思う。 |
ホーエル | 思い出そうとしてみるのも、たまには、良いかもしれない。 |
イアン | 弔いの鐘は、いつも、私のために鳴っているのだ。 |
リーン | 思い出せるのは幸せの証拠。じゃあ、やってみよう。この場所は、私たちのものではないけど、私たち全員にとって、とても大切な場所。みんなで、思い出すのも悪くない。それも、この場所でなら、いちばんの幸い。 |
ホーエル | 始まりは、そう、あの満月の夜。この中の誰かが、この中の誰かを、殺した夜。 |
第1場 | |
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イアン・ティーコの店。イアンとフィッシャーがいる。他にナレーターとして必要な人物が残る。 | |
ホーエル | 島の骨董商、イアン・ティーコの店。波の音は遠い潮騒へと変わる。 |
イアン | あなたの言うことは分かりますよ。ですけど、そういうことはできない決まりになっているんです。 |
フィッシャー | ですから、そこをなんとか。 |
イアン | いいですか、いくら、昨日買ったものでも、返品するから手形を返してくださいなんて通用すると思いますか。ご自分が使ったお金にもっと責任を持つべきでしょう。外交官なんだから。 |
フィッシャー | 特別外交官です。 |
イアン | 特別外交官なんだから。特別ならなおさらです。あなたのお仕事の内容を詳しくは存じませんがね、そんな責任感覚で、勤まるようなお仕事ではないはずです。しかも特別なんだから。 |
フィッシャー | 分かってます。ですから、こうしてお願いに来たんです。なんとかしていただけないでしょうか。責任と言われても、昨日の段階では知らなかったものですから・・・。 |
イアン | 事情はよくわかりますよ。私も、子供が出来たから、契約を取り消してもらいたいなどというケースは初めてですからね。 |
フィッシャー | 昨晩ですよ。この店を出て帰ってみると、妻が、こう言うんですよ。 |
イアンとクレア | 「あなた、私、子供が出来たみたい」 |
フィッシャー | ・・・なんで知ってるんです?一字一句・・・ |
イアン | さっきも伺いましたんでね。というより、何度も。 |
ホーエル | 金儲けが唯一の趣味のイアンにとって、昨日の心躍るような売買を無効にしろなどとは、笑止の極み。 |
イアン | 失礼な。私の趣味は、金儲けだけじゃない。そもそも、蜜蜂の針は、時折人を刺すが、蜜蜂はそれよりも、人に貢献している部分の方が多いのだ。 |
リーン | 詭弁だ。 |
フィッシャー | まさに突然ですよ。これを見せて驚かせようと思ったら、こっちが驚かされちゃいましたよ。これが本当の---- |
イアン | 身に覚えがないというわけではないでしょう。可能性があったのなら、無闇な浪費は避けるべきだったのです。 |
フィッシャー | はい。身に覚えはあります。ビーチに来てから妻も私も、少し開放的になりまして、なんといいましょうか、島の気分は開放的---- |
イアン | フィッシャーさん。私は、そんなことを聞いているんじゃないんですよ。確かに、子供ができるとなるとお金はいろいろかかるでしょう。しかし、昨日の買い物は、そんなに高額なものでしょうか?外交・・・特別外交官ですよ。懐だって、ここの気候のように、いつでも、暖かいのではありませんか。 |
クリス | うまい。 |
リーン | うまくない。 |
フィッシャー | そうです。うまくないです。うまくないんです。実は、私たち夫婦には、そんなにお金がないんです。他にもいろいろと・・・いえ、少なくとも、生まれてくる子供を無視して浪費するような金はないです。契約は解除できないんですか。昨日の今日ですし、ほら、まだ、開けてないんですよ。この店の表書きには八日以内なら、返品が効くと、そう書いてあるじゃないですか? |
ホーエル | そう、この部分。ここをつかれる事は、イアン・ティーコとしては、なるべく避けたかった。仕方ない、最後の手段を使おう、阿漕な骨董商はそう考え、笑いながら。 |
イアン | はは、ご覧になりましたか・・・そう。まさに、このアンティーク・ショップは、フレンドリーでカインドリーなショップです。が、いいですか、今回の、売買は、もっと個人的なものと私は認識しています。 |
フィッシャー | どういう意味ですか? |
イアン | その特別な商品は、フィッシャーさん。あなただから、特別に取り計らったものです。あなたと付き合の長い私が、あなたをプロのコレクターと認めたから個人的に紹介し、私が、あなたに、個人的に売却したものです。 |
フィッシャー | え? |
イアン | ですから、今回の売買にこの店は、関係ないんですよ。あなたは、イアン・ティーコ商会の顧客ではなく、私の上客なのです。 |
リーン | ひどい理屈。 |
間。 | |
フィッシャー | 正直おっしゃってください。私はだまされたんですか? |
イアン | 逆に、こちらからお尋ねしていいですか。私はあなたにその商品を売りました。アンティークは、価値の見定めが大事だ。つまる所、アンティークは、鑑定士と顧客の信頼関係です。そしてその商品は高すぎますか?私がつけた値にあなたはご不満ですか?・・・では、私はあなたを騙していませんよね。それとも、あなたは、契約解除をできるから購入したっていうんですか?それでは、この店は、高価な骨董品をタダで八日間お貸しする慈善事業じゃないですか。私だって、生活のために商売をしているんです。あなたには子供が出来たかもしれないが、私にだって・・・。(リーンを見る、リーン目をそらす) |
フィッシャー | 分かりました。多少、値が落ちても構いません。これを買い取っていただけないでしょうか。本当に、昨日、買ったまま開けてもいないのです。お願いします。 |
イアン | 開けていないなんて、どうして分かるんです。開けてみてもいないのに。 |
フィッシャー | え? |
ホーエル | とんでもない屁理屈。だが、フィッシャーには、もはや正常な思考は残されていなかった。 |
イアン | だから、開けてもいないのにどうして、開けていないなんて分かるんですか。開けて、閉めたかもしれないじゃないですか? |
フィッシャー | 開けてみないと分かりませんか? |
イアン | そう思いませんか。 |
フィッシャー | では、どうぞ、開けて確かめてください。 |
イアン | 失礼ですが、人のものを開けるわけにはいきません。でしょ。(どうぞ、と手を出す) |
フィッシャー | いいんですか、では、開けますよ。(開ける) |
イアン | (箱を覗き込んで)分かりました。では、これで買い取りましょう。(手帳に数字を書いて、示す。) |
フィッシャー | こ、こんなに安くですか? |
イアン | しかし、開封済みですよ。その商品は。 |
フィッシャー | いつ? |
イアン | たった今。 |
フィッシャー、笑い出す。 | |
ヘリング | 緊張感のない笑い。息を整えたのが先か、決断が先か。 |
フィッシャー | 分かりました。そうですよね。分かりました。ビーチの別荘を売却してお金をつくればいいんです。無理なことを言って本当にすいません。今、また、これを見て思いました。やはり、値段の価値はあります。うちの宝物にして生まれてくる子にあげることにします。(箱の中から置き時計を出す。) |
イアン | あ、ええ、そうですね。そうなさってくださいよ。私もあなたが憎くてこんな値段をつけたわけではないんですよ。いつか分かってくださると信じてますが、本当は、あなたにこの置き時計を是非、保有していただきたかったからなんですよ。必ず、外交、特別外交官という職業にふさわしいステータスになります。お生まれになる子供のひ孫の代まで、フィッシャー家の時を刻み続けることでしょう。 |
フィッシャー | そうですね。そうでしょうね。 |
食い入るように置き時計を見つめるフィッシャー。次のやり取りを眺めながら、残りの人物は退場。台詞中の「妻」「娘」の部分については、クレアとリーンは舞台上にいる事。 | |
フィッシャー | イアンさん。いつか、私の別荘に来たいといってましたよね。どうです、丁度、今夜の晩酌の相手が欲しかったところです。 |
イアン | ありがたいですが、しかし今夜は・・・ |
フィッシャー | あの別荘を売ってしまったら、もう訪ねてもらえないじゃないですか。それにね、妻が、イアンさんの玉突きの腕を一度でいいから見てみたいといっているのでね。これからどうです、丁度良い時間だ。(置き時計をわざとらしく見せる) |
イアン | そうですか。では、ご婦人の前だ着替えなくては。 |
フィッシャー | 大丈夫ですよ。そのままで。さあ。 |
イアン | それに、その時計、まだネジを巻いてないですよ。 |
フィッシャー | 知ってますよ。さあ。行きましょう。 |
イアン | あ、フィッシャーさん、しかし、早めにお暇させてもらいますよ。娘に話さなきゃならないことがあるんでね。 |
フィッシャー | どうぞどうぞ。 |
二人、浜辺に降りる。月明かりの中、二人はフィッシャーの別荘に向かう。 | |
イアン | せっかくだ、その置き時計を、私がお持ちして、お宅までお運びしましょうか?なんといっても当店はフレンドリーで、カインドリーな----- |
フィッシャー | いいえ。これは、もう、私の物ですから。 |
イアン | そうでした。失礼。(溶暗)月が隠れそうですね。あ、そういえば、フィッシャーさん。とても良いお面が手に入ったんですよ。玄関にいかがですか?ボラボラ島の逸品で----- |
暗転しきった所で、まず、ドン!という鈍い音がして、イアン・ティーコの声がふいに途切れる。それから、何か、大きな塊が砂に落ちるような音。そして、浜辺は、再び、波の静寂に包まれる。雲が動き月明かりが辺りを照らすと、置き時計を片手に立ち尽くすエドワード・フィッシャー特別外交官。やがて、彼の手から、置き時計が垂直に落下した。足下には、哀れな骨董商がまっすぐと岬に向かうように倒れている。 | |
ビーチにクレア・フィッシャーが登場。 | |
クレア | このビーチで、あの人は、骨董商のイアン・ティーコを殴り殺し、私たちの別荘まで運んできました。 |
フィッシャー | クレア、落ち着いて聞いてくれ!! |
クレア | 彼が興奮していた。私は、一部始終を聞き、青ざめながらも納得するしかありませんでした。別荘ではだめよ。ビーチに戻すのよ。 |
フィッシャー | どうして! |
クレア | 別荘の中で死体が見つかったら、犯人は明らかにあなたか私じゃない。事故死にみせかけないと。 |
フィッシャー | 頭の傷は? |
クレア | (あたりを見回すとココヤシの実をとってくる)ビーチでは、よくココヤシの実が落ちてくるわ。イアン・ティーコは不運にも、ココヤシの実が当って死んだのよ。はい。傷の所に、ガツンと。 |
フィッシャーが、彼が殴打した部分に改めてココヤシを振り降ろそうとするが、躊躇してできない。 | |
クレア | 早く。 |
突然、イアンが動き出す。フィッシャーは思わずその実でイアンを何度も殴る。 | |
クレア | 何回殴ったの?不自然よ。 |
フィッシャー | え?? |
クレア | だって、そんなに何回も落ちてこないじゃない。どうしよう・・・。あなた!岩場へ行きましょう!岩場から転落死した事にすれば、傷だらけでも、良いし。きっと波がさらってくれるから・・・ |
二人はイアンを岩場から海に投げ落とす。二人はビーチに座る込み、激しい息を整えようとする。 | |
フィッシャー | おい。今、落ちて行きながら、動かなかったか? |
クレア | 錯覚でしょ。 |
フィッシャー | でも、目が開いて、こっちを見た。 |
クレア | 人殺しは、みんな、そういう事言うのよ。 |
フィッシャー | そ、そうか・・・。流されるかな? |
クレア | 大丈夫よ。悪魔の手招きがあるから。それに、流されなくても結果は事故死よ。ヤシがあたって死んだのも、岩場から落ちて死んだもの、溺れて死んだのも、みんな、立派な事故死よ。 |
フィッシャー | 死にすぎてる・・・。 |
クレア | 帰りましょう。 |
フィッシャー | これはどうしよう。 |
クレア | 何、それ? |
フィッシャー | 最初はこれだ。 |
クレア | 置き時計?素敵じゃない。うちで使いましょう。 |
クレア、ふらふらと立ち上がる。フイッシャー、海の方を見て、 | |
フィッシャー | 君へのプレゼントだったんだ。 |
クレア、フィッシャーに視線をうつす。 | |
第2場 | |
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三日目、朝。朝の波音。 | |
リーン | そして、翌朝。恐ろしい事件のあったこのビーチに最初にやってきたのは、エバン。お皿の中には、海亀の子供。ある日、彼の釣り竿にしがみついていた。 |
エバン、陶製の深いスープ皿を砂浜に置き、隣に座っている。手を入れて、かき混ぜたりしている。クリス登場。 | |
クリス | ・・・何してんの? |
リーン、少し照れる。 | |
エバン | (リーンを気にするそぶりで)ああ、クリス。 |
クリス | それ何?亀? |
エバン | ああ、この間、釣れたんだ。家で飼ってたんだけど、元気ないからさ。 |
クリス | 海に返すの?もったいなくない?卵産むまで待てない? |
エバン | オス・・・なんだよ。 |
クリス | あー・・・食えないかな? |
エバン | 食わねーよ。ペットだよ。いいんだ、伯父さんにも約束したし、海に返すよ。 |
クリス | っというか、なんかぐったりしてる。 |
エバン | え?あ!! |
クリス | お前、混ぜ過ぎ。あーあ、死んじゃってる。食えないかな? |
エバン | 家でもう死にかけてんたんだ。 |
エバン、亀をつまみ上げ、しばらく眺めている。急に、立ち上がり、海の方へ強く投げつける。 | |
クリス | あ!お前。子供じゃないんだから、そういうの良くないよ〜。 |
エバン | 死ぬ事を悔やむなら、釣り上げた事を悔やめ。って伯父さんが言ってた。 |
クリス | じゃあ、悔やめよ! |
エバン | あ! |
クリス | え?あ、泳いでる(歩いてる)。 |
エバン | そういえばさ、ここで、セックス見ちゃったよ。俺。 |
クリス | なに?? |
エバン | セックス。 |
クリス | いつ? |
エバン | 昨日の夜中さ、ここを通ったんだ。伯父さんと、ちょっと喧嘩してさ、気分を変えようと思ってさ。そしたら、暗闇から聞こえてくるんだよ。女の声が! |
クリス | 女の声? |
エバン | そう。はあ、はあって。 |
クリス | うそ〜!!誰? |
エバン | 誰って、こんなとこで、そんなことすんのあの外交官しか。 |
クリス | クレアさんの声か!! |
エバン | 多分。そして、見てみろ。ほら、その辺の砂の乱れ。 |
クリス | それで?? |
エバン | それでって? |
クリス | それでどんな事してたの? |
エバン | いや、見てない。月が隠れてて。 |
クリス | お前、セックス見ちゃったって言ったじゃん? |
エバン | 耳で? |
下手からヘリングとホーエルが現われる。 | |
ヘリング | (優しい笑みを浮かべて)本当なんだろうね。 |
ホーエル | ええ。この目で確かに。 |
ヘリング | 君の話しは、にわかには信じ難いですよ。 |
リーン | 彼はヘリングさん。軍に属する科学者だけど、軍のお医者さんでもある。 |
ホーエル | しかし、確かに昨夜・・・。 |
リーン | その部下。 |
ホーエル、リーンを睨む。 | |
クリス | なんで喧嘩したの? |
エバン | いつもの理由。 |
クリス | まだ、お前を漁師にしたがってるのね。 |
エバン | 海に出ろと。 |
クリス | やなの? |
エバン | 嫌ってのとは違うけど・・・。 |
クリス | まあ、漁師と医者じゃ、両立できないよなぁ。 |
エバン、「知ってたの?」という目でクリスを見る。 | |
ヘリング | 波にさらわれたんじゃないですか。まあ、随分、穏やかな海だけど。 |
ホーエル | あり得るかもしれません。確かに穏やかに見えますが、ちょっと水深が深くなると、入り江に沿って岬のほうへ急激に流れる潮があって、「悪魔の手招き」っていうんですけど、聞いた事ありません。 |
ヘリング | 「悪魔の手招き」なんだか物騒ですねぇ。 |
暗転。 | |
二日目、夜。波の音が続いている。 | |
リーン | さて、前の日の晩に話しを戻しましょう。エバンが、エッブ伯父さんと喧嘩をして家を飛び出した頃。ここでは、あの忌まわしい殺人が起きた後。 |
照明F.I.すると、フィッシャー夫妻が砂浜にいる。二人はビーチに座り込み、激しい息を整えようとする。 | |
クレア | 大丈夫よ。悪魔の手招きがあるから。それに、流されなくても結果は事故死よ。ヤシがあたって死んだのも、岩場から落ちて死んだもの、溺れて死んだのも、みんな、立派な事故死よ。 |
フィッシャー | 死にすぎてる・・・。 |
クレア | 帰りましょう。 |
フィッシャー | これはどうしよう。 |
クレア | 何、それ? |
フィッシャー | 最初はこれだ。 |
クレア | 置き時計?素敵じゃない。うちで使いましょう。 |
クレア、ふらふらと立ち上がる。フイッシャー、海の方を見て、 | |
フィッシャー | 君へのプレゼントだったんだ。 |
クレア、フィッシャーに視線をうつす。二人、別荘のほうへ歩き去る。 | |
リーン | その頃、ホーエルは、(当てつけがましく)少し嫌な事があったので大好きなお酒を飲んでいた。少しお酒が進みすぎたので、夜風に当たろうとビーチに出てきた。月も細く、暗いビーチ。その時、何かが彼女の足首をつかんだ。 |
ホーエル | あ!(転ぶ、足首にまとわりついた物を外そうと、砂の上で身もだえる。) |
エバンが通る。ヘリングの喘ぎを聞いて、立ち止まる。ホーエルは、リーンの台詞にあわせて、喘ぎながら動く。 | |
リーン | 不気味な足かせから自由になった彼女は、手探りで、状況を確認しようとした。彼女の足首に残る感触から言って、おそらく人間の手。波打ち際ぎりぎりの辺りに人間らしい影がぼうっと見えるが、月が暗すぎる。もっと、近づいてみなければ、見えた。人だ!!イアン・ティーコ!!死んでいる。月が隠れる。・・・・・そして、かすかな月が!! |
ホーエル | ああ! |
退場に合わせ、暗転。 | |
再び三日目、朝。波の音、明転すると、ヘリング、エバン、クリス、ホーエルがいる。 | |
ヘリング | 飲んでたんですか? |
ホーエル | あれくらいでは酔いません。あれは、確かに骨董商のイアン・ティーコだったんです。 |
ヘリング | 思うんですがね。そこに数々の矛盾があるような気がするんですよ。骨董商のイアン・ティーコが波打ち際で死んでいた。それが、君の足首をつかみ、そして、月のかくれた数分の間に、消えた。 |
ホーエル | やはり、悪魔の手招きに流されたんでしょうか。 |
ヘリング | いえいえ、そんな迷信より、一番の矛盾は、死んでいたという部分と、足首をつかんだという部分ではないかと。 |
ホーエル | わたしも一応、医学を修めています。あの冷たさ、あの凍り付くような皮膚、その重さ、絶対死んでました!! |
ヘリング | 死んでいたら、動かないでしょう。少なくとも医学の世界ではね。 |
エバン | しかし、すげー、喘ぎ方だったよ。 |
クリス | なんだよ、急に。 |
エバン | なんで知ってんの? |
クリス | え? |
エバン | 俺が医者になりたいって。 |
クリス | ん?あ、それ、それは、リーンに聞いたから。 |
エバン | リーンに? |
クリス | 伯父さん、どうしても反対なの? |
エバン | 医者なんか、なんの役にも立たないって。やみくもに医者を否定するの。ありゃ、過去になんかあったな。医者に殴られたとか。 |
クリス | そんなんじゃないと思うけど・・・。医者ねぇ。(立ち上がる)ホーエルさん。ホーエルさん! |
ホーエル | おや。さぼりかい?ヘリングさん、ちょっと良いですか。 |
クリス | 夏休み。 |
ホーエル | この島はいつでも夏でしょ。 |
クリス | ホーエルさん、医者になりたい時はどうすれば良いんですか?? |
ホーエル | クリス君は医者志望だっけ? |
クリス | いや、僕じゃなくて。こいつ。 |
エバン | いいよ。クリス。 |
ヘリング | ホーエル君。 |
ホーエル | あ、はい。 |
ヘリング | そちらは、お知り合いですか? |
ホーエル | はい。医者について質問を受けていました。 |
ヘリング | ほう。 |
クリス | いや、あの、こいつが。こいつんち漁師の家なんだけど、医者になりたいらいくて・・・ |
ヘリング | 漁師?だったら、潮の流れにくわしいのでは? |
エバン | 海に出たことはないけど。 |
ヘリング | では、聞いてみてはいかがですか?「悪魔の手招き」とやらに流されるとどうなるのかを。 |
ホーエル | なるほど。ねえ、君、「悪魔の--- |
エバン | (ヘリングに)入り江に入った底流の海水は、結構速く動くんだ。岩の形も影響してるんだろうけど、向こうが開けた海だから、この流れにそって、あっちの岬にあっという間に動いて行く。だからこの辺、砂も細かくて良いビーチなんだ。 |
ヘリング | 君、お名前は? |
エバン | エバンです。 |
ヘリング | 君なんかより、よっぽど、理路整然と科学を語っていますね。さて、行ってみましょうか。あっちの岬に。 |
ホーエル | お付き合いくださるのですか? |
ヘリング | ボーッとして、仕事をしてないと思われるのもしゃくですから。それに、科学者を名乗るなら実証をしてみましょう。(エバンに)君は科学者向きですよ。 |
クレアが人目を気にしつつやってくる。 | |
ヘリング | これは、ミセス・フィッシャー。いつもお奇麗ですな。 |
クレア | あら、ヘリングさん。ご機嫌いかが??ホーエルさんも。 |
ホーエル | (渋々)クレアさん。こんにちは。 |
クレア | このビーチに何かご用ですか? |
ホーエル | いえ、別に。用がなければきてはいけませんか? |
クレア | いいえ、別に。いつでも好きな時にいらしていただいて結構ですのよ。ただ、軍人さんがいると、なんだか怖いような気がしてハラハラドキ。では、ごきげんよう。 |
ヘリング | あなたに、軍人と思われるのは、誠に残念ですな。私は科学--- |
ホーエル | ヘリングさん、行きましょう。 |
クレア | エバンくん。久しぶりね。伯父さんは元気? |
エバン | 元気ですよ。ガミガミしてます。クレアさんもお元気ですか? |
クレア | クリスくん。学校は? |
クリス | これからです。フィッシャーさんとはうまくいってます・・・ |
エバン、クリスを叩く。 | |
エバン | ク、クレアさんは買い物ですか? |
クレア | (焦って)ええ、ちょっと・・・。 |
クレア、海の方を気にしている。 | |
ホーエル | 何か、自分の庭に、人が入ってきたみたいな言い方いますよね。 |
ヘリング | あそこに別荘をお建てになったんだ。この辺りを庭みたいに思っても当然です。 |
リーン | そして、確か、私が、ビーチにやってきたんです。 |
リーンがやってくる。 | |
ヘリング | ホーエル君、ちょうどいいです。イアンさんのお嬢さんだ。いクリスろ聞いてみましょう。 |
エバン | あ、リーン?あのさ、おまえのお父さんお店にいる?なんか、うちの伯父さんが、貸したものがあるとかって。 |
リーン | お父さんは行方不明。 |
ホーエル、これに反応。 | |
エバン | え? |
リーン | 何度も言わせないで、お父さんはずっと前から行方不明。義理の父なら、別だけど。 |
エバン | あ、そうか。ごめん。義理の方。イアンさん。 |
リーン | というより、クリス!!また授業サボったでしょ!!先生白目向いて怒ってるわよ!! |
クリス | 俺行くわ。 |
エバン | おい! |
リーン | で、どうしたの?イアンに何か用? |
エバン | ああ、なんか、貸した物を返して欲しいんだって。 |
リーン | お店にはいないけど。もうすぐ、ここに来るでしょ。なぜなら、私が、ここにいるからよ。 |
クレアとホーエル驚く。 | |
エバン | ふーん。じゃ、来たら聞いてみるか。 |
リーン | ほーら、来た。 |
イアン | リーン、探したよ〜。やっぱり、浜辺に来てたのかい。 |
イアン、古いラジオを手に音楽に合わせて登場。ホーエルとクレアが仰天。二人とも走り去る。 | |
リーン | 何かしら。 |
ヘリング | ははは。きっと白昼夢でも見たんでしょう。 |
リーン | イアン。エバンが話しがあるんだって。 |
エバン | あ、あの。イアンさん、うちの伯父さんが、前に貸した置き時計、使ってないようなら、返して欲しいって。 |
イアン | エッブさんが?置き時計・・・置き時計。 |
リーン | ちゃんと思い出してよ!!っていうか、なんで、時計なんて借りたの?? |
イアン | そうか、いや、以前、エッブさんの家にお邪魔した時か。しかし、記憶が定かじゃないが、あれは確か、頂いたものだと思っていたんだが。今度、お話しをしに伺うと言っておいてくれるかな。エバンくん。ちょうど、リーンと食事に行くんだが。 |
リーン | 行かないっていったじゃない。これから、学校にいかないと。 |
イアン | もう授業は終わってるだろ?? |
イアンを無視して、リーン退場。 | |
エバン | リーンはクリスの所に去って行く。 |
イアン | リーンは私の元から逃げて行く。 |
ヘリング | ホーエルは、死んでいたはずのイアン・ティーコに遭遇する。 |
フィッシャー | クレアは、殺したはずのイアン・ティーコに遭遇する。 |
フィッシャー | 私は、クレアからその信じられない話しを聞きました。あれだけ、何度も殺したのに。とにかく、もう後戻りはできません。私はすぐに、イアンをもう一度殺す計画をたてました。そして、思えば、ここから、このビーチはどんどん思わぬ方向へ流されていきます。 |
ヘリング | まだ、それを知るものはいないが、それこそ、まさに、悪魔の手招きのように。 |
クレアが、現われ、フィッシャーに寄りそう。ラジオのボリュームをあげる。 | |
クレア | この島が平和だった頃を覚えていますか?私たちが、この島に赴任してきた頃。島は永遠の安息の中にあり、一度だけ、ハリケーンが来たような記憶がありますが、それさえも、私たちやこのビーチの平和を打ち砕くことはできませんでした。私たちがこの島に赴任してきた年、もうどれくらい前かしら。 |