『黒い二、三十人の女』 神の全ての御恵みにより、おんみの魂と肉体に幾久しく健康のさずけられんことを。 神の愛に霊感を受くる者のうち、もっとも賤しき者の望むままに、 おんみの日々が祝福されん事を。 ------モリエール『タルチュフ』第三幕、タルチュフの言葉。 |
プワスキの家。ペルネル、エルミルが食卓についている。マリアヌがその周りをうろうろと歩き回っている。一場とは逆にエルミルが手を合わせ黙とうをしている。 | |
エルミル | (祈りの言葉。) |
ペルネル | (食卓のスープを一さじすくって)あ。 |
エルミル | 髪の毛? |
ペルネル | え?ええ。 |
エルミル | すいません。作り直します。 |
ペルネル | いいわよ。取れば。 |
エルミル | やだ。人の髪の毛を煮込んでしまったんですもの。 |
ペルネル | 人の? |
エルミル | え、いえ別に。 |
ペルネル | いいわよ。私はこのままで。 |
エルミル | そう・・・ですか。 |
マリアヌ | 思い出しますねぇ。あの晩を。 |
エルミル | そうね・・・ |
ペルネル | ねえ。エルミル。 |
マリアヌ | なんだ、ババァ。お迎えが来たか。 |
エルミル | マリアヌ!まだよ。 |
ペルネル | (寂し気に)この子。お前さんに似てきたね。 |
エルミル | そうですか?まあ、親子ですからね。 |
ペルネル | (不安げに)元気かしら。 |
マリアヌ | 私?私は元気です。食欲がありません! |
エルミル | (マリアヌを無視して)ええ。私も、なんだか・・・ |
ペルネル | (不安を振払うように)でも、髪の毛!良い事があるんでしょ? |
エルミル | (不安げに)それ、嘘だって言いましたよね、私・・・。 |
ペルネル | (不安げに)ええ。聞きました。覚えてます。 |
マリアヌ | ふうん。プワスキが心配か。 |
エルミル | あなたのお父様よ。 |
マリアヌ | え!それ本当か?そいつは心配です。 |
ペルネル | 何を言ってるのこの子は。ねえ、思い出したんだけど、あんたの髪の毛、あれ食べたからじゃないの? |
エルミル | はあ? |
ペルネル | あんたに似てきただろ?うちの実家の方じゃ良く言うんだよ。人のさ、身体の一部を食べると性格がうつるって。ほら、爪の垢を煎じて飲めとかっていうだろ?あれだよ。髪の毛食べただろ?「吸収!」とか言って、あんたの。 |
エルミル | やだ、気持ちの悪い事を言う実家ですね。最低。でも、そうだとしたら・・・。 |
ペルネル | え? |
エルミル | いえ・・・くだらない迷信ね。 |
ペルネル | くだらないって。 |
マリアヌ | あ、見える。暗ーいはずなのに明るーい所で、一人暗ーくなっているものなーんだ? |
エルミル | なぞなぞは私が寝てからにしてね。かわいいマリアヌちゃん。・・・ねえ。お母さま。ちょっと気になっていたんだけど、言っても良いかしら? |
ペルネル | ええ。 |
舞台の端に、軍人たちの影が現れる。 | |
エルミル | シュライアーちゃんの話し、覚えてます? |
ペルネル | ああ、レプゴーさんの生き別れの娘さん。 |
エルミル | あれって、あの、生き別れの娘さんがいるのって、コンラートさんの所じゃなかったかしら? |
軍人たち、プワスキ家に忍び寄る。 | |
ペルネル | あれ?そうだったかね? |
エルミル | はっきりとは思い出せないんだけど・・・。 |
ペルネル | そんな事ないよ。あれはレプゴーさんとこだよ。 |
エルミル | なら・・・いいんですけど・・・。 |
ドンドンとノックの音。エルミルが確認して、 | |
エルミル | 誰かしら? |
マリアヌ | (早口で捲し立てる)神の全ての御恵みにより、おんみの魂と肉体に幾久しく健康のさずけられんことを。神の愛に霊感を受くる者のうち、もっとも賤しき者の望むままに、おんみの日々が祝福されん事を。 |
ペルネル | あら、レプゴーさんのお説教。 |
マリアヌ | 軍人さん!! |
大公の部屋。 | |
ファーデン | 大公、言うも憚られる事ながら、状況は最も悲惨なものとなりました。 |
大公 | どういう事だ? |
ファーデン | 国境領の村が襲われ、住民が多数殺害されました。 |
大公 | なに?ルドルフめ、ついに本性を見せたか。 |
ファーデン | 大公、そうではありません。 |
大公 | なんという非人道な。我が軍は何をしておったのだ? |
ファーデン | 大公。敵の軍は動いておりません。村を襲ったのは・・・我が軍です。 |
大公 | 何を馬鹿な!・・・ |
ファーデン | ・・・・。 |
大公 | (ファーデンの沈黙を見て、神経質的に笑いながら)お前は嘘を言っている。 |
ファーデン | 残念ですが、事実です。 |
大公 | (怒って)貴様、気でも狂ったか。なぜ、そのような話を私に聞かせるのだ。 |
ファーデン | 大公------- |
大公 | 何故だ?なぜ、我が軍は、自分の同胞たちの住む村を襲った? |
ファーデン | 我が軍は、敵から村を守る努力を重ねたのですが、武器や弾薬が足らず、止むなく、国境の橋を落とそうとしたのです。 |
大公 | 武器や弾薬なら送ったではないか。 |
ファーデン | 足りないと申し上げたはずです。 |
大公 | だが、何故、それで我が軍が味方の村人たちを襲う? |
ファーデン | 人手も道具も足らず、村人に協力を頼みました。村人と力を合わせ、村を守るため橋を落とそうと。 |
大公 | 村を守るための作戦ではないか。 |
ファーデン | 村人にとっては、日々の生活を送るための大事な橋でした。強制された彼らは、協力を渋り、やがては邪魔をするようになり、ついに・・・。ご説明申し上げたはずです。税率を上げ補給を完全にするようにと。後方の支援なき軍など利がないばかりか、害すらなすのです。 |
大公 | だからといって、無闇に税率を上げられるか。なぜ軍は守るべき住民を犠牲にした?そのような手段しかなかったのか。 |
ファーデン | 最前線で、武器も弾薬もない軍が凍える瞳で見つめる未来とは、そういうものです。 |
大公 | ファーデン。さすがに、お前は冷静だな。お前の理屈は完全に筋が通っている。分かりやすい話だ。だが、だが、我が兵士たちは正義と騎士道の僕ではなかったのか。それが、自分より弱い者たちを殺したというのか。 |
ファーデン | 残念ですが、兵士たちが正義と騎士道の僕などという話は聞いた事がありません。それに、こうなった以上、兵士たちが死んで村人が生き残っても、それは勝利ではありません。なんら意味のない事です。 |
大公 | 馬鹿な。そんな物は強者の理論だ。 |
ファーデン | しかし、現に国境線は守られています。その後の一戦、我が軍が勝利したとの報が。 |
大公 | そんなものは不名誉な勝利だ。 |
ファーデン | 大公。不名誉でもそれは勝利であり、敵にとっては、敗北なのです。 |
大公 | 私は、お前のように、冷血にはなれない。 |
ファーデン | 血が温かいからといって、救うべき者を救えないのでは意味がないのです。 |
大公 | 補佐官らしい意見だな。だが私は正義のない国を作る気はない。軍は、私の信頼と期待を、そして愛すべき正義の心を裏切ったのだ。 |
ファーデン | 正義のために敗北して意味があるのでしょうか?彼らはやむなき選択に追い込まれたのです。よろしいですか、大公。物の善悪を国政の基準にしてはいけません。国の目的は善政を引く事ではなく、軍の目的は正しい戦いをする事ではないのです。 |
大公 | 全ては正義のためだ。この国において完全な正義を実現する事こそ、なき父上のご遺旨なのだ。 |
ファーデン | しかるに、大公の正義とは、あなた一人を善人にするために、多勢の人間が犠牲となるような正義を指すのでございますか。 |
大公 | どういう意味だ? |
ファーデン | 皆が、あなたを善人にするために存在するのではありませんぞ。 |
大公 | ファーデン!!良く言ったな。父上の代からの仕えるものとして、今日まで取り立ててきたが、今の言葉に二言はないな。 |
ファーデン | 申し上げた通りです。 |
大公 | 変わらぬか。 |
ファーデン | お分かりいただけませんか。 |
大公 | よろしい。ファーデン。卿の補佐官の任を解く! |
ファーデン | 大公。 |
大公 | これまでの功をもって、先の讒言は罪としない。次期補佐官の適任者が決定するまで、補佐官を勤め上げるを許す。 |
ファーデン | (形だけの上下関係に戻って)ご厚情感謝いたします。失礼。 |
大公 | ファーデン。 |
ファーデン | はい。 |
大公 | お前は、人間ではない。 |
大公去っていく。 | |
ファーデンにスポットが当たる。これまでのファーデンとネイダフの会話(録音声や映像など)がオーバーラップし、ファーデンの叛意とロボットの存在を示唆する。ファーデンとネイダフのこれまでの会話の話者が逆転していても良い。 | |
ファーデン | せめて、お世継ぎがいればよいのだが。 |
ネイダフ | 次の君主か? |
ファーデン | 国の財源で作られたのだ。その分国の役にたってもらう方法はないかと思ってな。 |
ネイダフ | 役にたつかな。所詮よくできたからくり人形だ。 |
ファーデン | せめて、お世継ぎがいればよいのだが。 |
ネイダフ | 妄想の召し使いでは、実際の仕事はできないだろう。自動人形はその代わりというわけではないか? |
ファーデン | せめて、お世継ぎがいればよいのだが。 |
ネイダフ | 次の君主か?つまり、大公を弑するつもりか。 |
ファーデン | 所詮よくできたからくり人形だ。 |
ネイダフ | 自動人形はその代わりと言うわけではないか? |
ファーデン | せめて、お世継ぎがいればよいのだが。 |
ネイダフ | 自動人形は----- |
ファーデン | よくできたからくり人形----- |
ネイダフ | 大公を弑するつもりか。 |
ファーデン | ネイダフ!口を謹め、そのような気は・・・。 |
ファーデン | (最後の台詞に合わせて、その時とは違う表情で)ネイダフ。口を謹め、そのような気は・・・(にやりと笑って退出する。) |