『黒い二、三十人の女』 われわれの社会は、見世物の社会ではなく、 監視の社会なのである。 さまざまなイメージによって作り出されているうわべの裏では、 私たちの身体は、深いところで取り囲まれているのだ。 ------ミシェル・フーコー『監視と処罰』 |
牢獄。囚人たちの姿が見える。中国人の3人組や、アイヒロットと名乗る少女がいる。牢の開く音。 | |
牢番 | (声のみ)入れ! |
プワスキと、レプゴーが牢の中に投げ入れられる。 | |
プワスキ | いてーな! |
トン | 出してください!出してー! |
チン | トン。やめろ。体力の無駄だ。 |
トン | だけど! |
チン | ステッティンの言う通りなんだよ! |
トン | ステッティン・・・。 |
チン | そう。パノプティコン。完全な、牢獄。 |
プワスキ | いててて・・・。大丈夫か?レプゴーさん。 |
レプゴー | あっさりつかまったな。プワスキ。 |
プワスキ | 面目ない。(ペルネルにもらったナイフを出して)役に立たなかったな。 |
レプゴー | いや、それを出さなかったのは賢明な判断だったよ。 |
プワスキ | だけど、それじゃ・・・。 |
レプゴー | いや、しかし、どうした物かな?道に迷った挙げ句、つかまってしまうとは。こういうのを前途多難と言うのかな。 |
プワスキ | なんとか逃げ出す方法を考えるか。 |
トン2 | 無理ですよ。 |
プワスキ | え? |
トン2 | 今、チンが言った事聞いてたでしょう?パノプティコンは完全な牢獄なんです。絶対に逃げる事はできない。 |
プワスキ | なんだと! |
レプゴー | それはどういう意味かな? |
トン2 | ステッティンに会えば分かります。あなたたちが新入りなら、もうじき彼がやってくるでしょう。 |
レプゴー | ステッティンというのは? |
一同、恐れて黙る。 | |
アイヒロット | 監守です。 |
プワスキ | なんだ?こんな女の子まで掴まってるのか?ひどいな。 |
アイヒロット | アイヒロットです。 |
プワスキ | アイヒロット?高級な名前じゃないか。 |
アイヒロット | 好きな詩人の名前です。 |
プワスキ | お前の名前じゃないのか。 |
アイヒロット | はい。 |
プワスキ | えーと。 |
アイヒロット | あ、私、アイヒロットです。 |
プワスキ | アイヒロットね。 |
アイヒロット | 好きな詩人の------ |
プワスキ | (誰の名前だろうと構わないという風に、素早く握手して)プワスキだ。こちらはレプゴーさん。 |
アイヒロット | (レプゴーに)よろしく。 |
プワスキ | しかし、なんだって自分の国の民を捕まえるんだ?あんたもこの国の人だろう? |
アイヒロット | なんでも隣の国との関係が危ないらしくて・・・。密偵や危険分子の侵入を恐れて、警備が厳しくなっているんです。 |
プワスキ | 危険分子?つまり、こいつらみたいな怪しい連中だな。くそっ!とんだ巻き添えだよ。 |
トン | なんですと!私たちのどこが怪しい?私たちは、ただの旅人。砂漠を通り長い旅路の果てやっとやってきたんですよ。私はトン! |
チン | 私はチン! |
トン2 | 私はトン! |
プワスキ | 同じじゃないか! |
トン2 | 同姓同名ですから。 |
プワスキ | 無茶苦茶、怪しいんだよ。そういう所が! |
トン | なんだと!俺がトンで、こいつもトンで、なんか問題でもあるのかよ! |
プワスキ | 名前で分けなきゃ、わからねぇだろ? |
トン2 | 同じ名前を持つものは、この世に一人だとでも言いたいんですか? |
レプゴー | いや、すまなかった。私の連れは気が立っているんだ。許してやってくれないかな。 |
アイヒロット | そうですよ。ほら、使い慣れたネックレスなのに、ある日突然、首がかぶれたりする。そういうものですよ。 |
一同、良く分からない喩えにしばし沈黙。 | |
レプゴー | (辺りを見回して、アイヒロットに)明るいな。 |
アイヒロット | え、そうですか。(ややキザな、芝居がかった言い方で)気持ちは結構、沈んでるんですけどね。 |
レプゴー | ・・・いや。違う。そうじゃなくて、ここが。 |
アイヒロット | え。 |
レプゴー | だから、ここは牢獄にしては、随分、明るいじゃないか。 |
ステッティン | (オフステージで、無気味な声で)良い所に気がついた。 |
トンたちおびえる。ステッティン現れる。時代がかった喋り方をする怪しくエキセントリックな男である。プワスキとレプゴー思わず、その男を見るがあまりのバカバカしい出立ちに無視をする。 | |
プワスキ | で、その監守のステッティンというのは、何者なんだ? |
アイヒロット | (おののいて首を振る)・・・。 |
レプゴー | 監守って事は、見張り番かい? |
プワスキ | 見張り番ねぇ。辛気くせえな。 |
ステッティン | おい。 |
レプゴーとプワスキ、ステッティンを見る。 | |
ステッティン | わた・・・ |
レプゴー | それより、気になるのは、この明るさだ。 |
プワスキ | 確かに、牢獄って言えば、もっと暗いイメージがあるな。 |
ステッティン | おい!私の名前はステ・・・ |
プワスキ | ああ!みろよ。・・・レプゴーさん。そっち側、壁がないじゃないか。こりゃ、欠陥牢獄だぜ。 |
ステッティン | おい! |
レプゴー | 壁がない?本当だ。それで、こんなに、明る・・・ |
ステッティン | (悲鳴)私を!無視するな!! |
プワスキ | (間、面倒臭そうに)なんだよ。あんた。誰? |
ステッティン | あんたではない、私はス------- |
レプゴー | どうして、壁がないんだ。牢獄なのに。 |
ステッティン | おい!!(間)頼む。自己紹介をさせてくれ! |
プワスキ | 分かったよ。どうぞ。 |
ステッティン | 私は、ここの監守長。ステッ |
アイヒロット | (恐怖のあまり、なんとかこの場を収集しようと、顔を伏せ手で紹介する)ステッティンさん。監守のステッティンさんです。 |
レプゴー | 始めまして。 |
ステッティン | お前が紹介するな。 |
アイヒロット | だって・・・ |
ステッティン | 口答えするな。 |
アイヒロット | はい。 |
プワスキ | ステテンさんよ。 |
ステッティン | ステッティン。ステッティン。ハンス・ゲオルグ・フリード------ |
プワスキ | なぁ。 |
ステッティン | (むっとして)ハンス・ゲオルグ・フ------ |
プワスキ | (苛立って)なぁ、ステテンさんよ。俺たちはさ・・・ |
ステッティン、厳しい所作で、プワスキの言を止める。プワスキも思わず後込みする。 | |
ステッティン | (優越感でゆっくりと)ステテンではない。私はハンス・ゲオルグ・フリード------ |
トン2 | (プワスキに)お願いです。これ以上、ステッティンさんを怒らせないで下さい。(怒っているステッティンに)ねえ。 |
ステッティン | トン!! |
トン | はい! |
ステッティン | お前じゃない!トン!! |
トン&トン2 | はい。 |
チン | (ちょっと遅れて)はい。 |
ステッティン | お前はチンだろ!!独房に入れるぞ。まぬけどもが! |
プワスキ | 確かに、そのトンとあのトンは分けておいた方がいいぜ。 |
ステッティン | (冷静になって)それは、おまえの判断する事ではない。 |
プワスキ | 確かにそうだ。俺たちは、この牢獄とは無関係だもんな。なぜなら、この監禁は、何かの間違いだ。というわけで、ステッティンさん。おれたちをここから出してくれ。 |
ステッティン | 出す?なぜ? |
プワスキ | 何故って、今言った通り、間違いなんだよ。なんにも悪い事はしてない。分かる?ただの旅人なの。無実なの。早く出してくれ。 |
ステッティン | 残念だが、私の仕事は、人を閉じ込める事であって、解き放つ事ではない。 |
プワスキ | だけど!(レプゴーに)レプゴーさん。なんか言って下さいよ。 |
レプゴー | (プワスキとステッティンのやり取りを殆ど聞いなかったという様子で)うん。プワスキ、私は気になってしょうがないんだ。ほら、壁がないのに。なぜ、みんな、逃げようとしない・・・? |
プワスキ | (呆れて)レプゴーさん。 |
ステッティン | 気になるか?当然と言えば、当然だ。この牢獄、いままでに脱走者は一人もいない。脱走を試みた者もいない。 |
レプゴー | 牢獄なのに壁がないばかりか、誰も逃げない。 |
ステッティン | 説明して差し上げようか。 |
プワスキ | いいよ。 |
ステッティン | (プワスキを殴る)殴るぞ!・・・(気を取り直して)この牢獄のシステムそれは、 |
トン | たち パノプティコン。 |
トン | 完全な・・・ |
チン | 自動的な・・・ |
トン2 | 牢獄。 |
トンたち | パノプティ・・・ |
ステッティン | うるさい。私が説明しているんだ!この牢獄のシステムそれは、パノプティコン。 |
アイヒロット | (ステッティンと同時に)パノプティコンというのは・・・ |
ステッティン | (アイヒロットの口をつかんで)どうしていつも一度で分からねえんだ!てめえは。 |
アイヒロット | ひゃい。 |
トン | 壁がないでしょ?その先に何が見えます? |
レプゴー | 塔!。 |
チン | そう!実に簡単なシステムです。あの塔には見張りがいて、四六時中私たちを監視している。だから逃げられない。 |
トン2 | 私たちは鎖ではなく、あの目に縛られている。 |
レプゴー | そうか、見張っているのか。 |
プワスキ | 本当か。人の姿なんて見えないぞ。 |
ステッティン | 見えなくても良いのだ。いや、むしろ見えないように高い塔にしてある。そこに見張りがいるという事実がお前らの身体に染み付いて離れない。正確に言えば塔に見張られているのではない。お前らの身体に染み込んだ監視の眼差しが自分で自分を見張っているだけなのだ。 |
プワスキ | そうかな? |
ステッティン | お前らは囚人であり同時に見張り番でもある。インプットにしたがって逃げない事と逃がさない事を同時に遂行する自動人形のようなものなのだ。はははー。 |
トンたち | (一緒になって笑う)はははー。 |
ステッティン | さり気なく、こっちサイドにつくな。 |
プワスキ | わかったよ。この牢獄は完璧だ。だから、だから俺たちをここから出してくれ。本当に捕まるいわれなんかないんだ。この人は立派なとにかく素晴らしい人なんだ。うまい言葉が思い付かないけど善い人なんだ。特に、い、今は生き別れになった娘を探してるんだよ。街にいけば、会えるんだ! |
レプゴー | プワスキ。 |
プワスキ | もうすぐなんだ。どうか、どうか、会わせてやってください。 |
ステッティン | 別れた娘ねぇ。(アイヒロットを指して)こいつはな、まだ見ぬ両親を探しているんだそうだ。な? |
アイヒロット | はい。探しています。 |
ステッティン | どいつもこいつも、そんな三流の芝居みたいな話があるか!嘘なら、もっとましな嘘をつくんだな。さあ、ついてみろ。 |
アイヒロット | (哀し気に)嘘じゃないのに・・・ |
プワスキ | レプゴーさん、あとで逃げよう。どうせ壁がないんだ。 |
レプゴー | (アイヒロットを見て)いや、これは逃げられない。単純な仕掛けだが。実に効果的だ。 |
ステッティン | ほう。分かるか。 |
レプゴー | ハンス・ゲオルグ・フリードリッヒ・フォン・ステッティンさんでしたね。 |
ステッティン | (少し嬉しい)そ、その通りだが。 |
レプゴー | 何か方法はないのでしょうか?この牢獄を出る、何か、そう、合理的な方法は? |
ステッティン | (沈思して)出してくれ!脱獄したい!そう言われても私にはどうする事もできんが。よかろう、ご都合主義とのそしりは甘んじて受けようではないか。教えよう、ここを出る方法を! |
レプゴー | それは? |
ステッティン | 一つ!私が出す謎を解いた者はこの牢獄を出る事を許される。 |
プワスキ | (長い間があって)それから? |
ステッティン | それだけだ。 |
プワスキ | なんだよ! |
レプゴー | (急に)確認したい!ここの全員にその権利があるんですね。 |
ステッティン | 良いでしょう。特別謝恩セールだ。では第一問。カサゴとサカゴ、食べられるのはどっち? |
トン | カサゴ! |
ステッティン | 釈放!次、オナゴとアナゴ、食べら------ |
チン | アナゴ! |
ステッティン | やるな。釈放。 |
トンとチン、合格者サイドへ。レプゴー、プワスキ、アイヒロット、トン2が残る。 | |
プワスキ | くそ。あいつらが出られて、俺が・・・。 |
ステッティン | 次はボーナスクイズです。3問連続で答えられないと出られません。 |
プワスキ | どこがボーナスなんだよ。 |
ステッティン | 私へのボーナス。問題。1612年生まれのイギリスの軍人で、マーストン・ムーアの戦いで勝利を治めた------ |
アイヒロット | トーマス・フェアファックス! |
ステッティン | 同温・同圧のもとでは同体積の気体中には同数の分子が含まれるという法則を------ |
アイヒロット | アボガドロの法則! |
ステッティン | ロココ様式にゴシック趣味・中国趣味を取り入れた実用的な椅子などの様式で、その作者の名をとって------ |
アイヒロット | チッペンデール様式! |
ステッティン | 正解。釈放。 |
プワスキ | お前、なんでそんなこと知ってンの? |
アイヒロット | 思いつきで答えただけです。 |
ステッティン | 続いては常識問題。 |
プワスキ | よし。任せろ。 |
ステッティン | ビッグバンはなぜ起こったのでしょう? |
プワスキ | あ!汚ねー。 |
ステッティン | ふふふ。これが、この牢獄の真の恐ろしさよ。この牢獄からは何人たりとも、逃げられはしない!! |
レプゴー、ゆっくりステッティンに近付き耳打ちする。ステッティンその言葉を頷きつつ時に驚きながら聞いている。 | |
ステッティン | この人を解放せよ。(自分で)はい! |
プワスキ | レプゴーさん!まさか、ビッグバンの謎を!? |
レプゴー | 難しい、問題だった。 |
プワスキ | ・・・・早く次の問題を。 |
ステッティン | 最後の問題だぞ。 |
プワスキとトン2の戦いである。文字列が投影される。 | |
「この文章には三つの間違いがあります。 蝙蝠は羽毛を持った鳥である。」 | |
ステッティン | 文章問題。どうかな? |
プワスキ | 字は読めね−んだよ!!(トン2に)お前。分かるか? |
トン2 | (首をふる) |
ステッティン | はい。あと10秒、乃至は、3秒で時間切れ! |
プワスキ | 字が、文字が読めないんだ。別の問題にしてくれ。 |
ステッティン | (考えて、レプゴーに)かわりにあなたが答えられたら、彼も釈放しましょう。どうですか? |
レプゴー | (沈思したあと、プワスキを見る事もなく)残念ですが、私には、分かりません。 |
プワスキ | レプゴーさん? |
ステッティン | では、ゲームオーバーだな。 |
トン2 | プワスキさん。諦めましょう。人間の自由なんて、無限の牢獄の中から次にどの牢獄に入るかを選べる程度の自由です。逃げずに甘んじるのもまた自由でしょ?(プワスキの肩に手を置く。) |
ステッティン | 私、H.G.ステッティンは私、ステッティンの名において、以下の者を釈放する。チン! |
チン | はい。 |
ステッティン | アイヒロット。 |
アイヒロット | はい。 |
ステッティン | レプゴー。 |
レプゴー | (無言で頷く) |
ステッティン | トン。 |
トン&トン2 | はい。 |
プワスキ | ええ! |
ステッティン | 以上、釈放! |
プワスキ以外、全員出て行く。 | |
プワスキ | (うわ言のように)レプゴーさん、ま、待ってくれ、。どういう事だ??俺をおいていくのか。おい、冗談だろ?おい。おい。 |
重い牢の扉が閉まる音。 | |