『黒い二、三十人の女』

誰かが私に会いに来たら、施しを受けた金を、
囚人たちに分け与えに行ったと伝えておきなさい。
------モリエール『タルチュフ』第三幕、タルチュフの言葉。


第2場 プワスキ家の食卓。

 
  プワスキと彼の母(ペルネル)、妻(エルミル)が食卓についている。プワスキの娘(マリアヌ)が食卓の周りをうろうろと歩き回っている。 夫人が、手を合わせ黙とうをしている。
ペルネル(祈りの文句)・・・
  エルミルはすでにスープに口を付けている。プワスキは二人とは関係なく別の所作をしている。
ペルネル (食卓のスープを一さじすくって)あ。
エルミル 髪の毛
ペルネル 髪の毛?いやだ、気持ち悪い。
エルミル ちょっと待って、取ります。
ペルネル ええ。何を?
エルミル 何をって、髪の毛?
ペルネル 誰の?
エルミル さあ。
ペルネル あたしのは、取らないで頂戴。
エルミル スープの髪の毛よ。
ペルネル スープの髪の毛?生えるの?スープにも。
エルミル お母さまのスープの中の髪の毛よ。
ペルネル 入っているの?
エルミル 入ってたんでしょ?
ペルネル そうよ。早くとって。
エルミル (取ろうとして)違うわ。お母さま。これ豚の毛よ。
ペルネル 豚の?
エルミル そうよ。縁起がいいのよ。スープに豚の毛がはいっていると。・・・しかも立ってる。
ペルネル そうなの?
エルミル (いけしゃあしゃあと)でも変ね。牛のスープなのに。良い事ありますわ。近いうちに。
マリアヌ (歌う)ぐちゃぐちゃ混ぜる。どろどろこねる。子牛の糞。子豚の糞。
エルミル マリアヌ、食事中よ。
マリアヌ あたし食べてないもん。(歌い出す)子犬の糞。子猫の糞。
エルミル あなたは、さっき食べたでしょ。
マリアヌ (歌う)手でこねる。足でこねる。
エルミル マリアヌ、やめなさい。同じ事されたら、いやでしょ?
マリアヌ どういう意味?
エルミル あなたが食べている時、わたし、そんな歌歌ってないでしょ。
マリアヌ だって、お母さま、歌唱力ないもん。
エルミル 歌唱力の問題じゃないでしょ。
マリアヌ 女のひがみなんて、豚も食わないわよ!(歌う)子馬の糞。小鳥の糞。
エルミル マリアヌ!あなた、黙ってないでなんか言ってよ。
プワスキ いいじゃないか、混ぜてるのは子供の糞ばかりだし。
エルミル いやよ!
ペルネル あ。
エルミル 何?
ペルネル いやだ、髪の毛。
エルミル お母さま。豚の毛だっていったでしょ。取りましょうか?
ペルネル あたしのは、取らないで頂戴。
エルミル もう。
マリアヌ 取りましょうか?お嬢さん。豚の毛。吸収!(スープから毛をとって食べてしまう)
エルミル マリアヌ!
マリアヌ (エルミルに)メス豚!
エルミル ちょっ(と)、
マリアヌ (プワスキに)オス豚!(自分を指差して)小豚!(走り去る。)
ペルネル (笑って)誰に似たのかしら?下品ね。髪の毛入りのスープは作るし・・・。
エルミル 豚の毛ですよ。縁起物よ。
ペルネル 髪の毛よ。お隣のナハバールさんの。
エルミル (ドキっとして)どどど、どうしてナハバールさんの髪の毛が入るのよ。
ペルネル まったく私が留守の間、ナハバールさんとお台所で何をしているのやら。
エルミル 何言ってるのよ!どうしてそういう発想になるの!
ペルネル (おもしろおかしく)摩訶不思議、みたいな。
エルミル 何よ。不思議って。っていうか、みたいな、って何よ?
ペルネル 若者言葉。
エルミル 若者言葉?
ペルネル そう。若者言葉でござる。
エルミル ござるって。
ペルネル 忍者用語ですよ。
エルミル 別に、用語じゃないわよ。
ペルネル 別に、用語じゃないわよ。
エルミル 真似したって意味がないじゃない。そして、ナハバールさんは、髪の毛がない。
ペルネル (いばって)ああ、ないわよ。
エルミル いばらないでください!
  ペルネル、おもむろにその辺の物で何かをしばる。
エルミル しばらないで!・・・配らないで!
  ペルネル、次のネタを探すが、見つからない様子。
エルミル (溜め息をついて)そういう所、お母さまに似たのよ。あの子が人をからかうの。ほら、スープ、冷めますよ。
ペルネル だって、髪の毛でござる。
プワスキ かあさん。ただの、豚の毛だよ。
  エルミル、夫が自分の味方をしたので、優越感に浸る。一方、夫人はエルミルに一矢報いてやりたい。
ペルネル そうだ。いつか言おうと思っていたのだけど。エルミル。あなた、食前のお祈りが短いわよ。
エルミル そうですか?
ペルネル そうよ。神への感謝が足りないのよ。
エルミル だって、お母さまみたいに、長々とお祈りしていたら、スープが冷めてしまうわ。神様からいただいた食べ物をより美味しく食べるのが義務だと、思ってますから。
ペルネル また、そうやって理屈ばっかり。いつかきっとバチがあたりますからね。
  ペルネル、食卓を離れ、窓際に。
ペルネル あら、あそこにいるのレプゴーさんだわねぇ。
プワスキ レプゴー?本当かい?
ペルネル だって、ほら、何かお読みになってるわ。この村で字が読めるのレプゴーさんだけよ。
  エルミル、露骨にいやな素振りを見せる。
ペルネル 危ないわ。夢中になって。
プワスキ ああ、本当だ。レプゴーさんだよ。
ペルネル ちょうど良いじゃない。上がって行ってもらいましょうよ。
エルミル お母さま。
プワスキ そうだ、是非そうしよう。
ペルネル お呼びして来るわ。・・・(困ったと言う顔で、嫌みを言う)神様のお話をしている時に、神様のような人が来て下さるなんて。レプゴーさーん。(外へ出て行く)
  ペルネル、レプゴーを連れて入って来る。エルミル、少しレプゴーから離れて立つ。
プワスキ (笑いながら)レプゴーさん!最近、来てくれなかったなぁ。聞いてくれよ。もう、悩みだらけだよ。
レプゴー 何を言っているんだ。プワスキ。こんな寛容なお母上と、美しい奥方様と、聡明なお嬢ちゃん。これ以上は求め過ぎと言うのもだよ。
ペルネル そうおっしゃらずに、息子の悩みを聞いて差し上げて。
レプゴー 私は神を愛していますが、神に仕える者ではありません。妻もおりましたし・・・独り身になって、みなさんの健康をお祈りする時間は増えましたが、悩みをきくなど出過ぎた真似をすれば、寛容な神様もお怒りになります。
ペルネル でも、村中の人がみんなが、あなたの清い心にすがって生きているのに、どうか、お肘を。(肘を出す)
エルミル お慈悲ですよ。お母さま。
ペルネル いちいちうるさいわね。わかってるわよ。じゃなきゃ、肘をださない!(芝居っぽく)お慈悲を(肘を出す)。意味が分からないじゃない!
プワスキ エルミル、ジンを持ってきてくれ。うちの嫁の漬けたジンは最高ですよ。髪の毛の先までジンと来る。
エルミル あなたこの間、美味しくもないし不味くもないって言ってたじゃない?
プワスキ うまいなんて言ってないよ。ジンと来るって言ったんだ。
レプゴー 美味しいですよ。エルミルさんの作るジンは。
プワスキ あれ?うちのジンを飲んだ事が?おかしいな・・・エルミルおま(え)
レプゴー プワスキ。全くお前は不粋だな。嘘・・・というか・・・
マリアヌ 社交辞令です!
エルミル ・・・私持ってきます。(退出しがけにアリアヌの頭を撫でる)
ペルネル そう言えば、レプゴーさん。気になる事が。この間、一週間程前か、靴屋のシューマッハのかみさんがね、兵隊の行列を見たなんていうんだよ。なんでも国境に兵隊が集まってるって。
レプゴー ・・・。そうですか。ご覧に・・・。
ペルネル な、なにか、深刻な?
レプゴー いたずらに皆さんを心配させたくはないのですが、実は、少しきな臭い噂があるんです。
ペルネル どういうことだい?
レプゴー はい。この国の隣の国は、エスターライヒという大きな国です。そして、最近、国境に兵隊を集めていると。
アリアヌ 攻め込めー!!
プワスキ ま、まさか!隣の国が攻めてくるっていうのか。だが、この国は、一度だって国境を侵された事はない。大公のオイレン様は偉大な領主様だ。この国境を常に守って下さる。だからきっと今回も平気さ。
レプゴー しかし。プワスキ。オイレン様は前の大公様なんだ。オイレン様は亡くなり、今はそのご子息がこのシュピーレン大公国を統治しておられる。名をシュピーゲル様 とおっしゃるそうだよ。
ペルネル シュピーレン大公シュピーゲル様? 随分、紛らわしいわねぇ。
プワスキ それで、新しい大公様だと、どうなんだ?それは、うまいのか、まずいのか?
レプゴー さて、どのような方なのかな。
エルミル お待たせしました。
マリアヌ 待ちくたびれたよ。
レプゴー はは。その通りだよ。マリアヌ。
ペルネル レ、レプゴー様。これからも、できるだけ分かった事をわたしたちに教えて下さいませ。なにしろ、私たちの中で文字が読めるのはあなただけです。大公様からの布告もあなたの目を通して知るほかないんですから。エルミル。早くおつぎしなさい。
エルミル ・・・。
ペルネル エルミル。
エルミル はい、お母さま。(レプゴーにジンを注ぐ)
レプゴー (飲んで)うん。これは確かに髪の毛の・・・
プワスキ (遮って)ところで、レプゴーさん。あんな道端で何をしてたんだ?
レプゴー (憮然として)え?あ、ああ、そ、そう、トランシルヴァニア・マイマイの大家族を見ていたんだ。列を作ってね。白と黒の美しい柄が見事でね。それよりエルミルさんのジン、本当に髪の毛の先までジ・・・
ペルネル (遮って)そんな事より、先程お読みなさってた物は?
レプゴー え?
ペルネル 大公様の布告書じゃないんですか?
レプゴー は?一体、何の?
ペルネル ほ、ほら、先程、読んでらした・・・道で・・・。
レプゴー (一瞬、考えるような間)あ?これ?(衣服のどこかから書状を出す)これは、違います。これは、そう、ごく個人的な手紙でして・・・。
ペルネル 個人的な?一体どんな?
エルミル お母さま。
レプゴー しかたがないですな。ちょうど見つかってしまったのも、何かの運命でしょうから。これは、娘からの手紙です。
プワスキ 娘?レプゴーさん、娘さんがいたのか?聞いた事がないぞ。
レプゴー ずっと前に、行方が分からなくなっていて、それ以来、いない事にしてたんだ。
プワスキ そいつは知らなかった。で、その娘さんから手紙が?
レプゴー そうだ。今日きた。もう会えないと諦めていたのに。神様は私を見放さなかった。
ペルネル 当たり前だよ。あなたみたいな善良な人を慈悲深い神様が見放すはずがない。それで、なんて?
レプゴー はい。(やや機械的に)娘は都にいるらしいんです。
ペルネル 都。大公様のいらっしゃる?
レプゴー ええ、ライターシュプロッセに住んでいるそうです。ですから、私は、都に発つんです。
プワスキ え?村を出るって事かい?
レプゴー プワスキ。いつ滅びるか分からないのがこの身だからな。(ペルネルに)家内も会いたいと言って亡くなりましたからね。遺言ですよ。いわば。
ペルネルだけど、そうか、やっぱりね。
エルミル やっぱりって?
ペルネル だって、レプゴーさん、手紙を読みながらとても幸せそうな顔をなさってました。もう薄暗いのに夢中になって。そりゃ、嬉しいはずだよ!!
レプゴー 見られてましたか。おはずかしい。
ペルネル だってしかし、レプゴーさんをこうして迎えられただけじゃなく、こんな素晴らしい事が一緒にやってくるなんて!エルミルの言う通り良い事があったわ。
エルミル え?
ペルネル 豚の毛。豚の毛がたったんですよ。スープの中で。
レプゴー 豚の毛ですか?(エルミルを見て)それはありがたい。吉報ですね。
プワスキ (涙声で)俺も、嬉しいよ。レプゴーさんに娘がいたなんてな。
レプゴー この手紙も神の思し召しだと思うんだ。この・・・手紙。よし、明日の朝、発つ事にします、神は先延ばしを嫌う。
プワスキ (涙まじりに)それにしても、なんだか、ずいぶん、突然だなぁ。
レプゴー (プワスキの肩に手を差し伸べて慰める姿勢)手紙と言うのは突然来るものだよ、プワスキ。幸せもきっとそうなのだろう。求めずに待つ事。それこそが・・・
  プワスキが彼の服で鼻をかんだので止める。レプゴーは無言で少しプワスキから離れる。
レプゴー それこそが、信仰というもののあるべき姿です。
ペルネル 本当にレプゴーさんは聖人のようだよ。
レプゴー 娘のいる聖人ですか?お酒もほら。(飲んで)、うん、本当に髪の毛の先までジ・・・
ペルネル (突然)シュライアーちゃん!!
レプゴー え?
ペルネル そうだろ?思い出したよ。そうそう。シュライアーちゃん!だろ?レプゴーさんの娘さん。
レプゴー あ。
ペルネル 誰かに聞いた事があったよ。うちの孫が生まれるずっと前だったね。不幸な事だけど家を出てしまった娘さんがいたってね。その子だろ?
レプゴー え?ええ。そうです。シュライアーちゃんです。では、失礼。(退場しようとする)
エルミル シュライアーちゃん。そういえば、どこかで聞いた事あるわ。
ペルネル だろ?
プワスキ レプゴーさん!
レプゴー (ドキッとして)なんだ?プワスキ。
プワスキ もう一度、明日の朝もう一度寄って欲しいんだ。餞別を渡したいから。
レプゴー 餞別か。いいよ。
プワスキ 良くない。必ず寄ってくれ。必ずな。
レプゴー ・・・分かった。
マリアヌ おやすみなさいませ 黒豚さん!
レプゴー 言葉が濁ると、心も濁ってくるよ。またね、マリアヌ。
  レプゴー、去って行く。プワスキ、何か考えているようにその後ろ姿を眺めている。
ペルネル はぁー。本当に素晴らしい人。神に捧げるその祈りの熱烈さ。心からの法悦にため息をつき、つつましげに絶えず床に接吻なさる 。
エルミル (離れたところで、感嘆もせずに冷たく呟く)つつましげに、絶えず床に、接吻なさる。(鼻で笑う印象で残り物のジンを一気に飲む)
  プワスキは戸口でレプゴーに思いを馳せている。
ペルネル うちの子が、あのレプゴーさんのお友だちだなんて、鼻が高いよ。それにしても、エルミル、あなた、態度が悪いわよ。
エルミル あら、ごめんなさい。捨ててしまうのは勿体無いから。
ペルネル そんな事を言ってるんじゃないの。あなた、どうしてレプゴーさんを避けるの?神様を避けるのと同じ事よ、あんな信心の篤い清廉潔白な方を敬わないなんて。
エルミル そんなことありませんよ。ただ、あんまり人が良いから、つい、恐くなってしまっただけです。
ペルネル 恐い?気持ち悪いじゃないのかい?
エルミル 気持ち悪い?
ペルネル あら?あたしは聞いたよ。夫とひどく仲が良くて、なんだか気持ち悪いって。マリアヌに言ってるのを。
エルミル 信じられない!神に誓ってそんな事いってないわ。マリアヌに聞いてみればわかるわ。
ペルネル ふん。この子に聞いたって、ウンコの話ししかしないじゃない。神に誓うったって、お前の信じる神様なんて、どんなもんかね!この世には偽善者ってやつがなんて多い事だろうね。
エルミル お母さま、ちょっとひどすぎるわ。根も葉もない事言って、私の事を陥れようと・・・
マリアヌ もっとやれ、ウンコ言ってやれ!
ペルネル ほら!二言目にはウンコ!
エルミル 嘘よ。
ペルネル 嘘なもんですか。
エルミル (笑う)嘘なのよ。豚の毛なんて。
ペルネル はあ?
エルミル 何言ってるの?良い事なんて起こらないわ。嘘よ。豚の毛が立ったって、良い事なんか起こらないのよ。第一立ってなかったし、(嫌味な言い回しで)そもそも。あれ、豚の毛じゃ、ないんですもの。
ペルネル なんですって。
エルミル (せせら笑う感じで)牛のスープよ。豚の毛なんて入るわけないでしょ。あれ、髪の毛よ。あたしの髪の毛よ。
ペルネル お前の髪の毛だって!
エルミル ええ、色つやが、お母さまのよりずっと良かった。黒々として!ふーん。(といいながら髪の毛をなでる)。
ペルネル ふーん。(馬鹿にして真似をする)
エルミル (カチンと来て)それとも、お母さまの毛かしら。豚と、ううん、死んだ動物の毛と間違ったくらいだし。
ペルネル まあ!まあ!まあ!なんて娘だろう?息子が選んだ嫁だから、可愛がってやれば。大事な母親に髪の毛入りのスープは出すし、母親を死んだ動物扱いでござる!
エルミル そうでござる!
ペルネル (叫ぶ)それ、私の特許よ!!
エルミル (ちょっと泣声で叫ぶ)そんな特許はない!!!
  ペルネル、奇声を発しながらエルミルを叩く。続けて絶妙の間でエルミル、ペルネル婦人を叩く、ペルネル、アリアヌを叩く。アリアヌ、ちょうど口に含んでいたジンをエルミルに吹き掛ける。
マリアヌ (笑って)濡れ豚!
  3人、一旦笑って、瞬時に取っ組み合い。プワスキ黙ってジンを飲んでいたが、机をバンと叩き、注目を集めてから、
プワスキ いいかげんにしてくれ!
  と口に含んだジンを履きながら言う。一同、静寂。
プワスキ いいかげんに・・・してくれ。

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