Chapter2-4 箱の中のドラパン
女が男よりあっさり悪魔に
心を奪われてしまうのは、
女が男より敏感で、
男より不幸だからだ。
------ジャン・パルー『妖術』

 銀杏の中でも脆弱なものは、
 すでに変色して落ち始めている。
 だが、太陽はまだ盛りのついた雌猫のように、
 始終、私を追い掛けている。
 
 紫外線A波に音があるなら、
 それは「アオーン」に違いない。
 しかし本当に注意すべきなのはB波なのだ。
 それは「アオーン」の百倍危険だ。
 「アオーン」の百倍。
 「ニャー」の六百倍。

 私は、紫外線を浴びないように育ってきた。
 (厳密に言えば、育てられてきた)
 白い肌は私の自慢だ。
 誰もがそうしているように、
 ビタミンCも摂取してメラニンを淡色化している。

 しかし老化が肌に明白に現れるほど、
 私は歳をとっていない。
 もっとも、私の肌が老人の肌になった時、
 そう、肌の脆弱な部分から変色するのだ。
 その時は、私は、自殺すると決めている。
 (もちろん、自殺しない事は分かっているが。)

 もしくは、肌の再生手術を受けるだけのお金があれば、
 肌を復活させよう。

 考えてみて欲しい。
 人間にとって一番重要な部分はどこだろうか?
 私が個であるため、
 他人と混ざりあったりしないため、
 私と外部を隔てる壁、
 皮膚、
 表皮。
 これが私の全てだ。

 内包するものは私には検証不可能だ。
 組織も、
 思考も。
 ただ、この肌。
 私が明るみでじっと見つめる事のできる、
 この表皮だけが、私である。
 皮膚だけが。

 あいつに言われた事がある。
 2年間の二人の生活に終止符が打たれた時の事だ。
 彼はホイッパーの電動音にのせて厳かに言った。
 (もともと物を言う時は彼は静か、行動だけが騒がしい人)

 お前は、自分の顔が一番良く映る鏡を持ち歩きたいだけだ。
 最初の発酵に半時間。
 次の発酵に半時間。
 そして、二人は四分の一時間の焼き時間を無言のうちで過ごし、
 焼き立てのブリオッシュを食べて別れたのだ。
 だから私が地獄に行った時、追って来るとは思わなかった。
 ブリオッシュに誓って。

 しかし、当たり前だ。
 私は私の皮膚を愛している。
 私の顔を愛している。

 私が必要としているのは、
 私の顔をより良くうつす鏡であって、
 その鏡に経済力とか、セックスのうまさとか、
 ケーキを造る腕とかが附随しているのだ。

 しかし大切な事ではないか。
 相手をより良くうつすという事は。
 花にはその花にあった土壌と水が要る。
 それが、花を咲かせるのだ

 セックスの時には電気を灯けたままの方が良い。
 もちろん私もそうしている。
 なぜなら、肌は暗闇では見えないからだ。
 漆黒の中では私の「個」は消えてしまう。
 儚いのだ。

 それに暗闇で他人の肌と触れあうと、
 時折、表皮が溶解するような感覚に襲われる事がある。
 ちょうどアメーバーが分裂する途中のように、
 二個の個体が着かず離れずの状態。
 セックスは好きだが、その状態は私を脅かす。
 つまりゆるやかに侵犯されるのだ。

 そんな私を暗闇に閉じ込める。
 箱に閉じ込める。
 だけど、女は箱を開けるために作られた。
 好奇心を与えられた最初の人間。
 箱を開けて、そして逃げるのではない。
 逃げ延びるのだ。
 
 開いた箱の中に最後に残った物が希望なら、
 どうして希望を箱に入れておく?
 なぜ、希望を閉じ込めておく?
 叶う事のない希望だとでも言うように。
 真紅の可愛い薔薇だとでも言うように。

 自分は神から来て、
 神へ帰らなければならない。
 愛する神は、私に光を与えてくれるだろう。

 だから、私は開けたのだ。
 植物が成長して天井を破るように。
 だから、私は開けたのだ。
 薔薇の茨がいつか古城を砕くように。
 


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