女が男よりあっさり悪魔に 心を奪われてしまうのは、 女が男より敏感で、 男より不幸だからだ。 ------ジャン・パルー『妖術』 |
銀杏の中でも脆弱なものは、
すでに変色して落ち始めている。
だが、太陽はまだ盛りのついた雌猫のように、
始終、私を追い掛けている。
紫外線A波に音があるなら、
それは「アオーン」に違いない。
しかし本当に注意すべきなのはB波なのだ。
それは「アオーン」の百倍危険だ。
「アオーン」の百倍。
「ニャー」の六百倍。
私は、紫外線を浴びないように育ってきた。
(厳密に言えば、育てられてきた)
白い肌は私の自慢だ。
誰もがそうしているように、
ビタミンCも摂取してメラニンを淡色化している。
しかし老化が肌に明白に現れるほど、
私は歳をとっていない。
もっとも、私の肌が老人の肌になった時、
そう、肌の脆弱な部分から変色するのだ。
その時は、私は、自殺すると決めている。
(もちろん、自殺しない事は分かっているが。)
もしくは、肌の再生手術を受けるだけのお金があれば、
肌を復活させよう。
考えてみて欲しい。
人間にとって一番重要な部分はどこだろうか?
私が個であるため、
他人と混ざりあったりしないため、
私と外部を隔てる壁、
皮膚、
表皮。
これが私の全てだ。
内包するものは私には検証不可能だ。
組織も、
思考も。
ただ、この肌。
私が明るみでじっと見つめる事のできる、
この表皮だけが、私である。
皮膚だけが。
あいつに言われた事がある。
2年間の二人の生活に終止符が打たれた時の事だ。
彼はホイッパーの電動音にのせて厳かに言った。
(もともと物を言う時は彼は静か、行動だけが騒がしい人)
お前は、自分の顔が一番良く映る鏡を持ち歩きたいだけだ。
最初の発酵に半時間。
次の発酵に半時間。
そして、二人は四分の一時間の焼き時間を無言のうちで過ごし、
焼き立てのブリオッシュを食べて別れたのだ。
だから私が地獄に行った時、追って来るとは思わなかった。
ブリオッシュに誓って。
しかし、当たり前だ。
私は私の皮膚を愛している。
私の顔を愛している。
私が必要としているのは、
私の顔をより良くうつす鏡であって、
その鏡に経済力とか、セックスのうまさとか、
ケーキを造る腕とかが附随しているのだ。
しかし大切な事ではないか。
相手をより良くうつすという事は。
花にはその花にあった土壌と水が要る。
それが、花を咲かせるのだ
セックスの時には電気を灯けたままの方が良い。
もちろん私もそうしている。
なぜなら、肌は暗闇では見えないからだ。
漆黒の中では私の「個」は消えてしまう。
儚いのだ。
それに暗闇で他人の肌と触れあうと、
時折、表皮が溶解するような感覚に襲われる事がある。
ちょうどアメーバーが分裂する途中のように、
二個の個体が着かず離れずの状態。
セックスは好きだが、その状態は私を脅かす。
つまりゆるやかに侵犯されるのだ。
そんな私を暗闇に閉じ込める。
箱に閉じ込める。
だけど、女は箱を開けるために作られた。
好奇心を与えられた最初の人間。
箱を開けて、そして逃げるのではない。
逃げ延びるのだ。
開いた箱の中に最後に残った物が希望なら、
どうして希望を箱に入れておく?
なぜ、希望を閉じ込めておく?
叶う事のない希望だとでも言うように。
真紅の可愛い薔薇だとでも言うように。
自分は神から来て、
神へ帰らなければならない。
愛する神は、私に光を与えてくれるだろう。
だから、私は開けたのだ。
植物が成長して天井を破るように。
だから、私は開けたのだ。
薔薇の茨がいつか古城を砕くように。