Chapter2-2 ムッシュ、アペリティフはいかが?
昼の幽霊、朝の夢
いつわりだ、けがれだ、
消えろ、失せろ
----R.ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」

 デッドがいる。生前のあの美しい姿だ。その姿には『少年と死』という伝説を肩一杯に背負ったような、なにやら、はかなげで刹那的なかわいさがあった。容貌はその姿形にさらに勝っていた。隣に女がいた。どんな女かよく判らない。ただ、横のデッドとは雰囲気が異なった。
「ねぇ」
 グレナデンシロップを濃縮したような甘い声が、デッドの鼓膜を刺激する。
「ねぇ、あなたの……アレ……大きいの?」
 辺りを見回すわざとらしい女の動作がデッドの気に触った。が、デッドは丁寧に答えた。
「そう、通常ってとこかな、いや、未満かも」
 デッドはうそぶいた。といっても嘘かどうかは判らない。
「ふふふっ」
 女は楽しそうに笑った。その声質に名前を付けるとしたら、「優越感のアルト」とでもいうだろうか。
「小さいのね。ふふっ、いいわ、わたし痛くされるの嫌いだから」
 デッドは寒気を感じたようだった。嫌いだから、何だというのだろう?デッドは判りながらも真相を問うようだった。
「僕、相手が痛がってくれないと、やる気でないんす」
 今度こそデッドはうそぶいた。俺はこの手の軽妙な会話が好きだ。
「ふふっ、よく言うわ。でも、気にいったわ、さ、いらっしゃい」
 女の手がデッドの腕を取った。
 デッドはベッドに横たわっていた。身には何もつけていないのだろう。女が向こうから歩いてきた。一糸まとわぬ醜い裸体がデッドをさいなんだ。
「私、ベッドには下から入ることにしてるの」
 わざわざ断ってから女はデッドの足元から忍び入っていく。
 トゥシューズのように伸びた爪先、半熟の洋梨の果実のような踵、細かく輝く美しい金の糸に彩られた足首、マシュマロの柔らかさが頬に愛しいふくらはぎ、リンゴのソルベのように冷たい膝、弾力と包容力が狩りたての子鹿の筋肉のようなふともも、そして………、
「きゃー!なにこれー!」
 女の叫びが、今まで彼女がかぶっていた、裏に上品と書かれた仮面をはぎ取った。しかし、そんなことよりデッドは自慢のモノに浴びせられた言葉に、素早く毛布をまくって己のモノを見た。そして、叫んだ。
「ウァァァァァーッ!」
 しかし、その叫び声は、俺のものだった。肩が激しく上下している。どうやら、夢を見ていたらしい。ど、どういうことだ?
「デッド?」
 俺は辺りを見回した。部屋の外からすっとんきょうな談笑の声が聞こえてきた。高く明るい笑い声、「喜笑のカウンターテナー」。
「デッドの声?」
 俺は跳ね起きて、ドアを空けた。
「デッ!デッドー!な、なんでお前が!」
 丁度ドアの前を通りかけたデッドが笑い顔をそのまま驚きに変えて立っている。隣には、なんとデッドに飲み込まれたはずのスクリームが!
「デッド!お、お前どうして?」
「ああ、おはようございます。声が大きくて、起こしちゃいました?す、すいません。え?でも、ああ!だって、ここエイチッチ大尉の部屋ですよ。またですかぁ!まったく、見境がないんだから」
「デッド!ス、スクリーム!お、お前ら!どうやって?」
 俺は裏返る声を必至に抑制しながら言った。デッドは心も**もない哀れな水晶細工1 になったはずだ、そして、スクリームはデッドの死体を発見して、それで、デッドの裸体の中に閉じ込められ、絞られてたはず!
「ちょっと、そんなに焦らなくていいっすよ。僕ら、このこと他言しませんから、絶対、なぁ、スクリーム、しないよなぁ?」
 そう、そして、デッドの**の穴からスクリームの体液が流れ出すのを防ぐため、エイチッチが己の**をもって穴を塞いだはず、そうだ!エイチッチは?
 俺はドアを蹴って今までいた部屋の中に飛び込んだ。ベッドは重たく沈んでおり、俺がそこに寝ていたことを暗示していた。ベッドに近付いて俺はふと、黒い何かがベッドの下からはみでているのに気がついた。俺は恐る恐る手を伸ばし、それをおもいきりつかんで手を引いた。それがズルッとベッドの下から出てくると同時に俺は後ずさった。それは黒い巨大な蝙蝠だった。蝙蝠はすでに瀕死という体だったが、金色の不気味な目で俺を暫く見据えると、突然、凄まじい羽音をたてて、飛び掛かってきた。不気味な夢や、美しい美女となれば、俺も戸惑うが、やるかやられるかの戦いになれば話は別だ。今まで、俺の心に低く垂れこめていた困惑雲は、蝙蝠の攻撃によってあっさり吹き飛ばされ、俺の英雄心は、まさに晴れた。一瞬だった。耳に仕込んであった護身用の睾丸短剣(ポロック)が俺の手の上で回転し、蝙蝠が失速して床の上で醜くもがいていた。俺は、ボロックナイフの男根によく似た----その名の由来でもある----柄の部分で思い切り蝙蝠を殴り飛ばしてやったのだ。なぜならエイチッチの部屋を血で汚したくなかったからだ。俺は白目を向いている蝙蝠に歩み寄って、今度は柄ではなく鋭く研がれた刃を向けた。
「おい!ネズミ野郎!意識的に意識ねぇふりするなんて、ネズミには出来過ぎた芸当だぜ!三秒で意識を取り戻さなかったら、このままお前を無意識の世界に案内してやるぜ、いいか。イィーチィー・ニィー・サ……」
「ま、待った、いや、待ってくれ!」
「ひっかかったな!馬鹿蝙蝠めっ、我々の言葉を理解して、しかも、しゃべりやがるたぁ、てめぇ、あっ、ただの蝙蝠じゃぁ、ねぇー・えぇー・なぁー!」
「ひっ、ひぃぃぃぃーっ!」
 蝙蝠は目をうるうるさせながら叫んだ!そうして、俺がグイグイ突き出す男根(ポメル)、いや、刃に怯え、正体を現した。と、いってもその姿は蝙蝠をそのまま人間の形に置き換えたと言う以外に形容しがたいものだった。
「まず、名前から聞いとこうか」
「カワホリー2 と申します」
 俺はついあきれて言葉少なに次々尋問を重ねた。
「てめぇー何だ?」
「こ、蝙蝠です」
「嘘だ!」
「はっ、はい、こ、蝙蝠のようなものです」
「化け物か?」
「はい、はい、ば、化け物みたいな……」
「みたいな、だと!」
「い、いえっ、化け物で結構でございます」
 ここらへんから、デッドも会話にはいってくる。心して判別してくれ。
「俺に妙な夢みせやがったのはてめぇか?」
「そ、そうです」
「妙な夢って?」
「お前の夢だよ」
「僕の?」
「そうだ、なんだって、こいつの夢なんだ?」
「お望みでしたので………」
「は?お望みだって?」
「こいつ、なんなんです?」
「俺が望んだってのかよ?」
「こいつもしかして夢魔じゃ?」
「はぁ、そうです。お望みでした」
「やっぱ、夢魔なの」
「いいえ、あんなのと一緒しないで下さい」
「おい、いつ俺が望んだんだよ。じゃ、デッドと寝てたあの変な女は何なんだ?」
「え?僕と女が寝てた?」
「あ、あれは、ダミーで」
「駄目だ、話を最初から片付けよう」
「ダミーと寝たの?僕が?」
「いえ」
「いえ、じゃねぇ!お前の正体をはっきりさせよう。ん!……そうか!お前もしかして夢魔じゃねぇか?」
「いやだから、そうには違いないんだけど、そうじゃなくて」
「そうじゃないって、何で僕がダミーと寝なきゃなんないんだ?」
「お前、まどろっこしいな、何が言いてぇんだ?」
「そ、そりゃ、僕は皆に比べりゃ、女性経験も少ないし、少ないどころかアッチの方はまだないんだし、でも、だからってダミーなんかと………」
「お前に聞いたんじゃねぇ!いや、聞いたんじゃないよ」
「夢魔を超えた、超=夢魔、カワホリーがわたしの名前です」
「超=夢魔ぁー?」
「その超夢魔がどうして僕の童貞をダミーになんか?」
「望まれましたので」
「僕望んでなんかないよ、そんなの」
「いえ、あなたじゃなくて、こちらの方」
「おれも望んでねぇよ」
「かー!、まったく判らない人達だ!」
「なんだとー!」
「ひっ、いえ、すいません」
「ま、てめえの正体はいいだろう」
「よくないよ、夢魔と超=夢魔、どう違うんだ?どんなわけで僕の童貞を……」
「昨夜の出来ごともお前の仕業か?」
「そ、そうです」
「あれも俺が望んだっていうのか!」
「あれぇ?昨日なんかあったの?」
「はい、心の奥の欲望が」
「嘘だ!」
「ははぁ、嘘だといわれましても」
「夕べ何があったの?」
「お前の**がえぐり取られて、その穴をエイチッチの**が塞いだんだよ」
「ギャーッ!た、大尉が!な、な、な、な、ど、ど、ど、どーゆー………」
「ちょっと待った!自分で言ってて判ってきたぞ、簡略化していうとこうだな、デッドの男根と心臓がえぐり取られる。スクリームがすいこまれて絞られる。エイチッチの男根がデッドに侵入する。デッドが妙な女に誘われる。男根喪失に気付く。どうだ?そうだな?」
「そうです」
「ちょっと、なんなの、目茶苦茶だよ」
「いや、待てデッド!これは何かの象徴だ。置き換えなんだ!」
「男根は性欲、心臓は精神、理性を表す。理性のない獣(ビースト)、発情しない獣?男を吸い込む………?」
「判らなくて当然です。あなたは象徴を一連づけて考えようとしている。違います。バラバラの集まりなんです」
「バラバラの集まり?」
 やっと話が落ち着いてきた。スクリームもデッドの後ろに立っていた。
「いいですか、あなたが部屋に入るとデッドは死んでいる。裸で。股間の辺りが血塗れだと思った。いえ、血まみれだったのは全身のはず、ただ、股間も血まみれだった。あなたは何気なく、股間に目をやった。もしや!と思った。ここですでに、願望が働いているのです。次にもあなたは思い当たるかのように心臓をチェックした。猟奇的な希望です、どっか他にもえぐられててほしいなという。一生女にもてない姿になった、と誰かが言うのを聞いて、生きていたらなと期待した。エイチッチがやってきて、こいつが何か知ってたらおもしろいと想像した。エイチッチは知っていた。生きていたらと思ったのでデッドは生き返った。スクリームが歩み寄った時、とっさに危ないんじゃないかと思った。予想は全て願望だ。思ったとおり、スクリームが犠牲になった。実は、もう一人くらい犠牲者が欲しいと思っていたからだ。そこで、当初からの確実な願望、エイチッチとピーしたかった願望がでてくる。ただし、裏返って。デッドの穴にエイチッチを挿入するという代替的な希望が沸いた。以前デッドが仲間の男達に抱かれているのを見て、あなたの美意識はもっと美しいものと抱き合わせてやりたいと感じていた。エイチッチを見て、こいつだと思った。そのまま二人のセックスを見たかったが、いざ躊躇した。果たして本当にそれが美しいかどうか自信がなかったからだ。そこで、防衛機能が働いて、それそのものではなく、それの話という逃走路がとられた。女とデッドがデッドのアレについて話している光景だ。そして、さらに防衛手段でエイチッチではなく、表層的にもっと醜い女、すなわちダミーになったのだ」
 超=夢魔の声色はだんだん重さを増し、俺を威圧してきた。俺は一言一言に蹴倒されるような気分で、その時々の自分の心境を思い出した。超=夢魔のしゃべり方の変化さえ気が付かなかった。俺は喘ぐように言った。
「し、しかし、なんで、デッドが透明な容器になって、スクリームがそこで絞られるなんてことが、俺はそんな奇想天外なことまでは期待しなかったし、考えもしなかった。他の所作でもよかったはずだ。なのになぜ?」
「いいや、お前の脳裏にあのイメージはしっかりと焼き付いていた。あれもお前の記憶の表れなのだ」
「嘘だ!あんなものに見覚えなんか……!」
 そこで、俺は驚き愕然と肩を落とした。一瞬記憶が遠のくのを感じた。
「そ、そんな………」
 超=夢魔はいつの間にか、部屋の片隅のサイドテーブルの方を見ていた。
「お前はエイチッチと抱き合いながらこの部屋にいる間、なんどとなくあれを見ている。紛れもなくあれは記憶になった」
 そうだ、エイチッチは俺が部屋に来たとき、確かに飲んでいた。あれは、スプモーニ。カンパリに絞りたてのグレープフルーツジュース。俺はサイドテーブルの上に乗っている透明なアラベスクの意匠の長い足の付いたガラスの置物を呆然と見ていた。丁度、その腹の部分にグレープフルーツなどを入れて、上のバーを回すと、足の間に開いた小さな穴から果汁がこぼれだす。足の間にグラスを入れておいて。それは、まさしく、果実の体液を絞りだすスクィザーだった。
「オー・マイ・ガット!(ああ、私の消化器官!)3
 英雄としてならした私が、初めて敗北感を味わっていた。しかし、悔しさが胃液を持ち上げる頃、俺は、エイチッチ大尉の存在に思い当たった。
「い、いつから夢なんだ。大尉は?大尉はどこだ?」
「私の管轄では、あなたが、大尉と踊っている途中からが夢だったと」
「私の管轄?どういうことだ」
「ええ、この島には超=夢魔がたくさんいるんです。我々の上には超=超=夢魔もいるし、超≠夢魔もいます。状況のどこまでが夢なんだか、私のようなものには・・・」
 なるほど、やっと英雄の仕事みたいになってきたじゃねぇか。この島は、その超=超=超=夢魔のおかげで、まさに夢の島ってわけか。ようは、その夢魔の総本山を倒して、共同幻想を打ち破ってやれってわけだ。
「すると、おまえも夢かもしれんなぁ」
「あなたがたもです」
 聞き覚えのある声。しなやかな風の動き。香り。
「大尉」
「まいりましょう。夢魔窟へ。表にテルメルを用意してあります」
「テルメル?」
「空飛ぶ乗り物です」

1 先の記述では、石英になったと書かれていた。

2 「かわほり」は蝙蝠の古名

3 ここでは、「God(神)」と、羊・豚などの腸から作った細い紐・糸を表す「gut」がかけられており、その後、ガットを消化器官と説明している。デッドの体は、スクリームを絞る事で、まさに、消化器と化している。


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