Chapter1-4 高貴で有閑階級的円舞曲
迷い迷わされてカーニバル 
夢ね、夢よだから今夜は 
踊り、踊らされてカーニバル 
光の輪の中であなたを 
―――康 珍化 

 グット・ナイト・エヴリバディ!とっとと部屋へ入ってくそしてねちまえ!この馬鹿どもが。エイチッチ少尉が俺を待ってるぜ!あの笑顔が泣いたらどんなにかわいいだろうか。俺はサドだ。そして、少尉は多分マゾだな。顔で分かるんだ。ふふっ。

     論点1  結果的に再発し得る可能性を考える
     論点2  交換性の強い事象同志の相互間系
     論点3  遅すぎた年寄り
 
 俺は取り敢えず、その3つのことを、頭の中で論じながら時間を潰した。論点が大いに飛躍して、評論がやがて小説に変わっていく頃、約束の時間が過ぎていることに気付き、俺はそうっとエイチッチ少尉の部屋へいった。なぜ、そっとかは、俺の足に聞くといい。ドアにはこの国の軍人であることを表す紋章が象眼されていた。俺はノックは嫌いだった。なにか、入室の了解をドアごしにうける卑屈な態度が嫌だったのだ。そこで、俺はドアノブを握ってガチャガチャと2、3度音を立てて回した。そして、「どうぞ」という声がかかる前にドアを奥へ押した。
「あ、遅いから、もうお休みになってしまったんだと思いましたわ。よく、来て下さいました。さっ、どうぞお入り下さい。いえ、もう、5分待って、いらっしゃらなかったら私も寝てしまおうと思っていたんですわ………?……どう、なさいましたのかしら?……あ!そうですわね。驚いておられるもの無理はありませんわね」
 少尉はピンクのレースのついたネグリジェをきて、物憂げに立っていた。ブロンドの髪が、石像のように白く美しい顔を掠めて、肩の下まで流れていた。体の稜線が部屋のライトに照らされ、輪郭が影像となって俺の眼球に飛び込んできた。右手にスプモーニ・ピンクの液体が満たされたグラスを持っていた。
「エ、エイチッチ少尉?」
 何に対する疑問だか、自分でもよく分からなかったが、それが、そのとき俺にできたただ一つの質問だったような気がする。しかし、エイチッチ少尉は十分すぎるほど答えてくれた。
「この国では、未婚の男性は特に多いんです。何がって、こういう、男であり、女でありっていうタイプですわ。軍職にも随分いますのよ。もちろん、メンタルだけ女性化するなんていうのは、プロトですわ。今では、フィジカルに、つまり体も女性化できるんです。え?薬?いえ、薬ではありませんわ。そりゃ、一時期は、かなり昔のことですけど、薬物投与によるものもありましたし、かなり一世を風靡したときいておりますけど、副作用はあったみたい。ええ、私たち自身が結構進化しましたし、可能ですわ。誰にでも、ええ、朝だろうと、夜だろうと」。
(チャーリー・ブラウン!)
 俺はそう内臓に話しかけた。国の言葉で「なんてこったい!おどろいたなー!」の意味だ。くそっ親切に説明しちまったぜ。
「ちなみに、その薬物、随分と交易の道具になってそうよ。トランシルヴァニアなんかお得意様。あっ、これ、お飲みになります?」
「結構です」
「では、ダンスはいかが?」
 大昔のミュージカル映画のように、エイチッチがそういうと、どこからともなく円舞曲のイントロが始まった。こうして、二人は、まるで、四週間前からボールルームで練習を重ねたかのように、息もぴったりに踊ってしまうのだ。嵐のような運動だ。そして、何時の間にか、いたはずのない通行人やらなにやらが二人の後ろで、完璧なコンビネーションダンスを見せるのだ。そして、気がつくと俺はフレッド・アステアになっている。
「悪夢だぁぁぁぁぁぁー!」
 叫んでも、円舞曲は流れ続ける。ソウダ、このグロテスクな音使いはラヴェルだ!『高貴で感傷的な円舞曲』1 が俺の耳をつんざく。エイチッチが進みでてきて、俺の両手をとり、体を寄せあう。エイチッチの足がワルツのステップをとる!
「嫌だぁぁぁぁー!は、離せ!その手を……うあぁぁぁ!」
 足が、俺の足がエイチッチと同じ様に、ワルツのステップをとり始めている!喪、もはや、これは俺の足ではない。
「さあ、さあ、さあ」
 エイチッチの甘い声が、しかと組み合った手から体中に伝わる。臀部から鎖骨のあたりにかけて、さっと鳥肌が立つ。エイチッチの顔が何度も俺の唇のぎりぎりをとおる。吐息が頬にかかる。エイチッチの幅のある胸筋が、おれの胸について離れる。
もう、とまらない。が、我慢できない。
「うおぉぉぉぉーっ」
 と、獣のように、叫ぶと、俺は、その右手を、エイチッチの左手からもぎ取ると、奴の腰に当てた。そして、体を捻る。エイチッチの体もつられて、回転する。ワルツのステップが速度を増し、組んだほうの手が、横に突き出される。そのまま二人は旋回タンゴのステップに入った。しかし、ワルツの魅惑的なリズムにのったまま。エイチッチは俺のパートナーにして不足がなかった。俺の難しいステップに見事についてきた。モデレを舞い、プレクス・ランを踊り、アッサ・ザニメ、アッセ・ヴィフをクリアー、息も絶え絶えにモワン・ヴィフそして、エピローグ2 を舞い終えた。激しい旋回がいまだ、二人の体を縛り付けるように襲ってくる。完璧なダンスだった。嬉しいことに、バックダンサーはあらわれず。二人は部屋をたっぷり使ったソウルフルな舞踏をお互いへの惜しみない拍手で締め括った。
「はぁ、はぁ、エイチッチ少尉、なかなかやりますね」
「えぇ、えぇ、あなたも」
 二人は、汗を垂らし、はぁはぁいいながらも、賛辞を送りあい、拍手を続けた。
「エ、エイチッチ少尉、お、男に戻ってますよ」
「あ、あ、嫌だなー!はぁ、はぁ、いえ、実はね、若いうちは、激しい、運動を、はぁ、はぁ、すると戻っちゃうんですよ、これ」
「ああ、はぁ、はぁ、そうなんですか、はぁ、はぁ、どうでも、いいですけど、このはぁ、はぁ、ってやつ、読みにくい、ですね」
「そうですね、じゃ、やめましょう」
 エイチッチは上身を起こして、笑顔でいった。こんな、こんな可愛い奴と踊れるなんて、俺は、嬉しいぞ!
「今度は、もっと静かな曲で、お手合わせというか、あの……その……」
 むっ、こいつ、照れてるな、こいつは脈ありかー?
「是非、そう、では、一曲踊りましょう」
 俺は、俺にしては渋い声で言った。どこからともなくムーディーな音楽が流れてきた。『ムーンライトセレナーデ』3 だ。俺の母がよく病床の俺に歌ってくれたっけ。母はまさにミューズの化身と呼べる女で、彼女の口からは、あらゆる楽器の音が同時に流れ出るのだった。フルオーケストラによる口『ボレロ』は彼女の至芸中の至芸だった。『ムーンライトセレナーデ』のサックスアンサンブルも見事だった。あのクロマティック・アプローチ!4 そう、あれは、正月だ!久々に、母の実家の田舎で正月を迎えたのはいいが、慣れない雪国の気候にすっかり、風邪をこじらせちゃったんだっけな。外からは、近所の子供や親戚の子供たちの遊ぶ声が………
 −雀、雀、雀こ、欲うし。
 −どの雀、欲うし?
 −誰をし貰ればええべがな。
 −はにやすのヒサこと貰れば、どうだべ?
 −鼻たれて、きたなきも。5

 いや、待て、こんな思い出のはずがないぞ!おかしいな!母は、俺が生まれるとうの昔に死んでるはずだ。そうだ、俺は、父から生まれたんだ。そう、あれは、十一月の初霜の降りた寒い晩のことだ。窓から、外を見ていた父は、流れ星が西の山に落ちるのを見たんだ。その途端、父は陣痛をもよおして、彼の頭がい骨の中から俺が生み落とされたんだ。が、父は産後の肥立ちも悪く、やがて、絶命したんだ。ウェイト!待て!なんで、俺が男から生まれるんだー?くそっ、信じた読者がいたか?なんだ、一体、思い出がおかしいぞ。
「あの、どうしてのですか、お顔色が………曲、終わってしまいますよ」
 おお、かわいいエイチッチ少尉!
「もう一度、踊りましょう」
 俺は右手をエイチッチの肩から、左手を腰から背中に回し、セレナーデにのってほとんど動かないダンスを緩やかに、たゆとうように踊った。エイチッチは呼吸も整い、再び女性化していった。
「あ、あの、あなたをなんと呼んだらいいの?」
 エイチッチは吐息まじりに俺の首に語りかけてきた。
「名前?そんなものはとうの昔に忘れたよ、でも、君がいて、そして、俺がここにいるんだ、それでいいじゃないか。名前なんて、キスの邪魔さ」
 そうなんだ!おれはハードボイルド小説の主人公なんだ!俺の指の上に、エイチッチの顎がのった。さあ、さっき、状況に合わせて、『高貴で感傷的な円舞曲』をプレイしてくれた人は、今度は『マ・メール・ロア』6 のアポテオーズ:妖精の国をかけるんだ。唇があわさった二人の後ろの、幕が、豪華に上がると、巨大な夕陽がおちていくのさ。ゆっくり離れる唇と唇の隙間から、真っ赤な光が、一筋の線となって、君らの瞳に飛び込む。やがて、画面が光で一杯になると、幸せそうな二人のシルエットが動かなくなって、“THE END”の文字が、ゆっくりあらわれる。
「ハリウッドだぜぇぇぇぇー」
 胸の中で叫びたいのをこらえ、想像に文字通り幕を下ろし、俺は改めてエイチッチの目をじっと見る。エイチッチは三秒ともたず、目を伏せる。
「俺の名前は、君の胸の中にだけあるんだ」
 限り無く半透明に近い声で、そっと言う。エイチッチの琴線をふるわす。
「エイチッチ少尉、いや、エイチッチ」
 こら、俺の目指すハードボイルドにキスシーンは入れないのだ。唇が触れ合う瞬間、幕か、銃声だ!
 −ギャャャァァァァァーアッアッ・・・(非常に切れ味の悪い悲鳴)
 そらきた、悲鳴だ!

1 フランスの作曲家、モーリス・ラヴェル(1875- 1937)の管弦楽曲。

2 モデレ、プレクス・ラン、アッサ・ザニメ、アッセ・ヴィフ、モワン・ヴィフ、エピローグなど全て『優雅で感傷的な円舞曲』の曲名。

3 グレン・ミラー楽壇の演奏で有名なダンスナンバー。

4 ジャズの和声法の一つ。

5 太宰治の『雀こ』の中に出て来る津軽弁の遊び歌。

6 やはりラヴェルの代表的な曲。


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