Chapter1-2 アフガンハウンド群
  ダルメシアン・プランテーション
101匹の犬たちが住むすてきな家
ダルメシアン・プランテーション
青空の下楽しくみんな暮らしている
---------『101匹ワンちゃん』

 グット・モーニング・エキセントリック。船は、我々同志を乗せて昨晩出帆した船は、ポセイドンの嫌がらせによって、多くの人命と船そのものの後半部を失った船は、メデゥーズ号の筏1 よりは酷くないものの、浮いているのが精一杯であった。さて、我々はその後13日間の漂流生活をエンジョイした。海面はいつまでも青く、虚空を見上げれば紺碧を太陽と月が通過するばかり、星も、動いているとはいえ我々の目にはいつも不動で、時折、飛魚が水面を揺らす以外は何も変化を見せなかった。俺は、むき出しだった手足が赤く熱を帯び始める二日は前に、賢くもマントを着用していたが、英雄の何人かで、特に自分の肉体に諭悦にみちた誇りを抱いている連中は、このころになると、体の痛みにのたうちまわるようになった。このような連中に、まとめてサンバーンと名付けることは、名前の持つ特性から考えても無理なことだった(せめてサンバーンズと呼んでやろう)。
 14日目の大きい太陽が東の空から半分姿を見せたとき、その朝日をバックに一そうの観光船があらわれた。
「おーい、船だー」マストの先に上っていた仲間が声高に叫んだ。「これでダブロン金貨は俺のものだー」2 何をいっているのだろうかこいつは、俺は自分の名前をいまさらエイハブにする気はなかった。しかし、せっかくだから俺は彼に、エイハブがのり、そして死んだ船、捕鯨号の名前をくれてやった。
「おい、ピークォッド。お前の名前は、これからピークォッドだ。何が見えたって?もう一度いってくれ」
 ダブロン金貨などという故事(なのだろうか?)を知っていたくらいで、ピークォッドという名前も彼は知っていた。
「何だ、不吉な名前だな。せめてイシュメイルにでもしてほしいもんだ。船長!狂エイハブよ、船だ、大きい船が見える。東だよ。太陽の真ん前だ!」
「ピークォッドがいやなら、クィークェグにするぞ」
「なおさら、御免だ。OK!ピークォッドで手を打とう。エイハブ、タブロン金貨は?」
「ねーよ、バーカ」
 オレハ、ココロノナカデ、ソウ、ツブヤイタ。しかし、船とはやったぜ。英雄が最も愛し、尊ぶあの行為。人々が喝采し、誰もが誇るあの行為、英雄の大得意のあの行為を………してやろう。
「おい、ものども!………シージャックだ!」

 驚くべきことに、船に乗っていたのはたった一人の老人だった。人間は彼一人であった。しかし、動物がいた。45頭のアフガンハウンド!ここで暫く老人の昔話に付き合っていただきたい。
………老人はコ=コーロといい、ある日、彼は洪水を予言した。神の言葉だ、と彼は主張したが誰も信じなかった。神も、そんなことをコ=コーロに継げた覚えは、彼がこれまで創造してきたもののなかで最も微小なものの涙ほどもなかった。コ=コーロは、反響乱のうちにアフリカから買ったプランテーション用の奴隷を使い、一気に船を仕上げた。神とはいえ、大自然の猛威を好きなように操ることは『自然法』3 で禁じられていたため、不可能だった。しかし、この時、偶然、コ=コーロの村の上流のダムが決壊した。コ=コーロは船に飛び乗り、ペットだった数々の動物達を船に押し込み、鉄砲水にのって川を下り海洋へ出た。なお、この洪水では彼の村の、もう塩をかけられた青菜のように萎えていたご神木の一本が折れるべくして折れ、裏通りの商人のバラックが数軒流され、村長の飼育していた食用ジャイアントパンダが逃げ遅れ溺死したのみで、村民はちょっとした高台に逃れていただけでみな助かった。当然、大半の家もそのまま生き残り、村は直ぐに日常を取り戻した。そればかりかダムにたまっていた肥沃な土壌が流され田畑を潤わせ、翌年からは作物の生産高が一気に4倍に膨れ上がった。さて、コ=コーロのほうはといえば、そのまま知らないうちに大洋に押し流され、漂流した。愛すべきペットは積んだものの、食料を積み忘れたコ=コーロは泣く泣くブタのハチロウを食した。なかなか美味だったそうだ。やがて、空腹に絶えきれなくなった一部の動物たちは、かつて、同じ野原をかけ、同じ峰に休んだ小動物達を貪った。こうして、彼等は肉食獣と呼ばれるようになり、船内は凄惨な雰囲気に包まれた。はじめのうちは、血の味に理性を失った肉食獣と、理性的な動物たちの決死の戦いだった。が、同じく理性的動物であるコ=コーロを味方につけられなかったこういった動物たちは、また空腹との二正面戦争を強いられた彼等は、敗退を余儀なくされ、あるものは貪り食われ、あるものは、海へ身を投げ、自ら死を選んだ。やがて、餌を失った肉食獣たちはかつての主人であるコ=コーロへの視線にさえ殺伐さを増し、食うか食われるかといった深刻な問題へと発展した。ある日、コ=コーロは目覚まし時計がわりに一番可愛がっていたハツカネズミの中(チュン)を彼等に与え、それを食しているすきを見て、1頭、2頭と撃ち殺していった。痛痒は感じないでもないが、コ=コーロは「獣窮まれば則わち噛む」という先祖代々つたわる成句を片時も忘れたことはなかった。彼は、その後、何の攻撃もせずただ籠の中でひたすら耐えている猛禽類も虐殺し、毛をむしって、干した。獣禽にも劣る行為とはこのことをいうのだろう。そして彼は先程の言葉に先んずる「鳥窮まれば則わち啄む」という言葉は胸に刻んでいたが、その句閉める「人窮まれば則わち詐る」4 は都合よく忘れていた。コ=コーロは、暇だったので船を海に浮かんだまま改造し観光船さながらに仕立てた。観光船と間違えて、訪ねよってくる海の獣たちを捕らた。そして、獣や鳥の肉を海水で丁寧に洗い、甲板に干すと、大好きな酒を貯蔵してある酒蔵へくだった。そこには肩を寄せ会い寒さから身を守っているつがいのアフガンハウンドがいた。ベルティエとミュラーであった。食料は十分たりていたが、コ=コーロは、本能的に、彼等に銃を向けた。「コ=コーロ様、コ=コーロ様。着るものがなくてとても寒いのです。貴方の着ているそのお召し物を譲ってくださいませんか」とアフガンハウンドがいったかどうかは知らないが、血走ったコ=コーロの瞳の奥が溶解するように崩れ落ち、半透明のガラス球を手で抑えながら、コ=コーロは、うずくまった。激痛がその瞳を襲い、何かが掌の上に落ちた。甘く濡れた粘液でコーティングされた、それは、魚鱗だった。
 それから、コ=コーロと二頭のアフガンハウンドの漂流生活が始まった。コ=コーロはよく、星空を肴に甲板でアフガンハウンドと酒を酌みかわし、お互い、何も包み隠さず思うままを吐露しあった。と主張するがこれも、真違のほどは………。アフガンハウンドはせっせと事をこなし、次ぎから次へと、子を産んだ。時には、そして、彼等は、彼等の子孫たちを時には育て、時には食し、生き延びた。アフガンハウンドの母はよくコ=コーロにもらしたという。「何の因果で産まれてきた大切な子を食べなきゃならないんでしょう、うちのが魚釣りくらい出来たらねー」しかし、一番食べるのは余犬ならぬアフガンハウンドの母、ミュラーだった。産まれた子のうち成犬したものはモンセー、ジュルダン、オジュロー、ベルナドット、マセナ、ブリュンヌ、モルティエ、ネイ、ランヌ、ルフェーヴル、スルト5 などという名を与えられ、たいそう、可愛がられた(後世の歴史家の多数は、ベルナドットとモルティエがコ=コーロの子であると主張している)。そして、繁殖に次ぐ、繁殖でとうとうその頭数が45頭を数えたとき、この船にであったということらしい。
 そういった数のアフガンハウンドたちは我々にとって、格好の餌となった。しかし、神の恵みか、いなか、食べる量にまして、彼等は増えた。面白いほど増えた。どんなに食べようとも、犬たちは、遭遇時の数を割ることはなかった。更に、この船に乗り換えてから、われわれはとんでもないことにきずいた。きずいてしまった。きずかざるを得なかった。この船は、まず、第一に箱船の形をしていた。マストや風を張らんで満々と膨らむ帆は、この船には付随していなかった。このころなら臨海人のフェニキア人やギリシア人などはすでに、ペンテコストレス船といわれる、櫂を備えた立派な船を有していた。なのに………。因みに断っておくが、初段階において我々が搭乗していたものは、コントロールが容易で、かつ前進性に富んだ三角帆を備えた東方的な船であった。さて、帆がなく、櫂がないこの船は、一体どうやって進んできたのだろう。あの、老人が大海に浸水し、船尾を押しながらバタ足をした可能性も、確かに、ある側面においては、捨て難いものかもしれない。だが、と私は考える、老人のバタ足は、運動生理学的に、あるいは、運動物理学的に、更に、海洋学、浮力、微分、積分、5次方程式、三角関数的見地から見ても、0.1ノットに満たない速度しか出せないのではないか?なるほど、確かに多数のアフガンハウンドが、この老人と肩を並べて水をかいた可能性も示唆されよう。しかし、私はアリストテレスの著作において犬は泳ぐに際して、後肢よりも前肢を使うと、読んだ記憶がある。更に、ソクラテスにおいては犬は水が、とくに塩水が嫌いである、という理論(確か「ソルティードッグの小売哲学」と呼ばれている)さえ脳裏に残っている。注意深く観察すれば、老人コ=コーロの両足は、頼り無く細い。その細さたるや、両足を合わせても、阿房宮6 の庭園に生えたという柳の木の幹よりも細いといった所だ。
「コーロ爺、この船は、ここまでどうやって進んできたのか?」
 爺答えて曰く、
「船の犬に於いて進まざるは無きなり、犬をして漕がしむるに及ばざるは則わち是れ成らなりに鳴り為る慣れなれ、と」
 このときコ=コーロが使った言葉の意味は我々にはさっぱり分からなかった。僚友の一人が、おそらくヘブロン語7 だろうといってはいたが、俺に言わせれば、ナンセンス、これはパーリ語8 の一種に相違ない。コ=コーロはそれでも、暫く舌を回し続けていたが、最後に、我々にも分かる言葉で、こう、結論付けた。
「ですから、まず、隗より始めよ」9
「そうか!櫂より始めよ、か」
 我々は船のいらない部分で、多くのオールを造った。そして、船体にも細工を施し、ようやく操縦できる船が完成した。
 4月も末の話だが、久し振りに大地を見た。今まで、大地と見せ掛けた雲だったり、巨人の水死体だったり、はりぼてだったりとだまされてきたが、今度こそ間違いない。島の回りを一巡すると港があった。うまく接岸して港に下り立つと、直ぐに騎兵隊が現れて我々を包囲した。銃剣を突き付けて、いった言葉は我々にもよく分かる言葉だった。
「海港管理隊の権利を持って貴方がたの身柄を拘束します。身柄調査が一通り住むまでは、本国民との接触は禁じられておりますので、センターへ連行いたします。申し遅れました。わたくし、海港管理隊隊長、ロバート・E・ゼットトン大尉、綴りは“Z”−t−o−nです」
「ゼ、ゼットトン?」
 絶句であった。

1 ジェリコ−の絵で有名な1816年のフリゲート艦メデューズ号難破事件の事。

2 メルヴィルの『白鯨』の中で、エイハブは、最初に白鯨を発見した物に報酬としてダブロン金貨を約束し、マストに打ち付ける。ここから暫く『白鯨』に関する台詞が続く。

3現実の法律の上位に、時や場所を超越して普遍の理想法が存在するという考え方を意味する。Law of Nature。

4 「鳥窮まれば則わち啄む。獣窮まれば則わち噛む。人窮まれば則わち詐る」は、『筍子』の中の言葉。

5 歴史好きの読者なら先にベルティエとミュラーの名が出た時点で気がつくだろう。ここに並んでいる名前は、全て、ナポレオン帝国の元帥の名である。

6 阿房宮は、中国秦朝の未完の宮殿である。ただしこの辺りの著述はでたらめである。

7 ユダヤ教の聖典と言える『旧約聖書』に使われている言語。

8 原始仏教典の言語として知られる中期インド=ア−リア語の俗語の一種。

9 現代では、何ごとも言い出した者がまず実行せよという意味に使われている。隗は人名である。


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