SCENE 16 | 認知科学研究所 |
| 彦坂が、小野里に呼び出されている様子。
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灯里の声 | 私と一昭は、トウ馬を連れて、指示された場所に行きました。トウ馬は睡眠状態のままでしたし、行くしかなかったんです。その研究所につくと、トウ馬の治療をすると言って、2人の男が、待っていました。1人は、戸谷、もう1人は、建畠と名乗りました。
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| 灯里と一昭が用意された椅子に腰掛けている。病院の待ち合い室のような感じだ。戸谷が立っている。間もなく、建畠があらわれる。
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建畠 | (戸谷に)脳波が落ち着いた。大丈夫そうだ。
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灯里 | どうなの?トウ馬は治るの?
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戸谷 | ええ。トウ馬くんは、おそらく、ナルコレプシーの一種で、若干ではありますが、脳アノキシア の兆候が見られましたので、高圧酸素の・・・
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灯里 | 分かってるわよ。だから、高圧酸素療法 で、トウ馬は良くなるの?
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戸谷 | (灯里の口から高圧酸素療法という言葉がスラスラ出て来た事に、薄い笑みを浮かべて)はい。大丈夫です。
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一昭 | 良かった。
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灯里 | もう少し、質問をしていい?
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戸谷 | (建畠と目を合わせて)どうぞ。
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灯里 | ここは、どういう施設?
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戸谷 | 精神衛生センター付属認知科学研究所です。人間が物を認識する方法に付いて、医学的に研究をしています。
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灯里 | 枇杷坂順二という人がいた?ここの所長だったはずよ。
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戸谷 | ええ。枇杷坂教授は、私たちの研究チームの主任でした。
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灯里 | どういう人?
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戸谷 | 非常に優れた認知科学者で、ここの所長でした。脳の機能不全の治療の為の様々な研究を取り仕切っておられましたが、残念な事に、実験中の事故で・・・。
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一昭 | 実験中の事故?
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戸谷 | ええ。17年前の事です。被験者に刺されましてね。
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灯里 | 被験者に?
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戸谷 | はい。それが死因ではないのですが、合併症を併発しまして、肉体は日に日に衰え、しかし、そんな中でも、研究を続けようと・・・本当に立派な科学者です。
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一昭 | それじゃ、一体誰が・・・
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灯里 | 待って!(不意に頭を抱えて)今、何か?
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一昭 | 思い出したのか?
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灯里 | 話して。その実験ってなんなの?どうして、刺されてしまったの?
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戸谷 | 不慮の事故です。(建畠を見る)
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建畠 | 私からお話ししよう。・・・教授の研究は、一言で言うと、記憶の再生技術の開発だ。
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一昭 | 記憶の再生?
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建畠 | 人間の脳は、テラバイト、いやエクサバイト の単位に相当する容量を持っています。コンピューター数億台分の容量がある。脳がコンピューターに負けるのは、情報を取り出す能力。つまり、せっかくの記憶を思い出すことができない所に、問題がある。これをなんとかすれば、脳をコンピューターから守れる。
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一昭 | 脳をコンピューターから守る?
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建畠 | そう。現在の科学的進化は、確実に脳をコンピューターの僕にしてしまう。枇杷坂教授はよく言っておられた・・・
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灯里 | 脳を機械に渡すワケにはいかないと。
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建畠 | さすが、飲み込みが早い。(これは、灯里には分からないが、事実をついている)
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一昭 | ・・・それで、結局、何をしたんだ?
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戸谷 | 教授の独創性は、人間の記憶が五感と深く結び付いている事を利用した事です。ある種の光景や音、味や匂いは、突然、昔のある記憶を呼び覚ますことがあります。それも、忘れてしまっているようなことまでね。そこで、一定の視覚刺激や、聴覚刺激によって、過去の記憶を呼び覚ませるようにしたらどうでしょう?ようは、光や、音から。
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灯里 | 光・・・。
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戸谷 | 具体的には、子供達にいろいろな情報を記憶させます。例えば、高等数学の演算、交響曲のスコア、各言語の文法です。そして、これらは、必要な時に、必要なだけ思い出せるように視聴覚の刺激情報と結び付けられています。
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建畠 | 簡単に言おう。例えば、ある被験者は、温かいスープを飲んで、幼い日の食卓を思い出すように、7800オングストローム の電磁輻射で、バイブルの全章段を思い出すことができる。
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一昭 | まさか。
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戸谷 | 脳は、外部からの働きかけに敏感なんです。コカインやアンフェタミン、それにモルヒネ を使用すれば、しかるべきレセプターが刺激され、幸福な感情になれる。同じ事です。脳は、情報の水源であり、記憶は洪水のように蘇るのです。
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灯里 | その実験を、トウ馬にしたのね。それで、あんな風になってしまった。
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一昭 | そうじゃない。
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灯里 | 何言ってるの!?そうに決まってるじゃない!
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一昭 | いや、トウ馬と・・・君にだ。
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建畠 | (薄い笑いを浮かべて)良くご存じだ。
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灯里 | 嘘でしょ?
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戸谷 | 嘘ではありません。7800オングストローム の電磁輻射で、聖書を思い出せるのは、あなただ。あなたは、様々な波長の可視光線を刺激として与えられれば、他にも、たくさんの情報を思い出す事ができるのです。
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灯里 | なに馬鹿な事いってるの。私は今まで、なんにも思い出してなんかいない!
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戸谷 | その割には、あなたは物知りのようだ。
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一昭 | 灯里、多分だよ。多分、君の涙の原因もその実験にあるんだ。
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灯里 | いやよ。実際に体験していないことなんて、思い出したくない。
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戸谷 | 体験は、したんですよ。嘘の記憶なんかじゃないんです。一度覚えて、忘れてしまった物を、再び思い出すだけです。
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灯里 | 覚えてない。
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戸谷 | 覚えたんです。ここで、トウ馬くんや、他の仲間たちと。
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灯里 | それで・・・トウ馬とは、どこかであったような気が?
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建畠 | 観察には比較対象が必要だ。様々なパターンの記憶とそれを呼び戻すための刺激を与えられた子供たちがいる。だが、あなたは、幸せな方と言える。役に立つ情報ばかりがインプリンティングされているんですから。
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灯里 | (とても不愉快な事を聞かされたように)どういう意味?
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戸谷 | ええ、人間の記憶には、思い出したくないことを隠蔽する機能もある。記憶喪失とかもその一例ですが・・・
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灯里 | つまり、わざと、思い出したくもないような記憶を刷り込まれた子供がいたって事?
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建畠 | 思い出したくないという理由で、情報を破棄するわけにはいかない。最初は、一緒に暮らしていた猫が殺される映像を作っていた。勿論特撮だ。我々はそんなに残酷ではない。そして最終的には、実際の映像を使った。アウシュヴィッツ、カティン、アルジェリア、フォークランド、ヒロシマ・・・
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灯里 | ひどい・・・
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建畠 | (冷笑を浮かべて)20世紀はね。しかし、不幸な記憶も、人間が生きていく上で、糧となる。
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戸谷 | しかし、この実験には、方法論上の不確定要素がありました。実験後しばらくして、一人の被験者の脳にバーストと呼ばれる現象が起こり不慮の事故が・・・。
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灯里 | どういう事?
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| トウ馬が入ってくる。
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戸谷 | 被験者の脳に、猫が殺される記憶が突然、よみがえったようなのです。そして、猫を殺そうとしているのが、教授だと判断した彼の脳が、彼に、「やめろ」と叫ばせ、そして、彼に教授を刺させたのです。(この彼は、トウ馬を直接指示していない。示唆にすぎない)
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灯里 | トウ馬。
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| トウ馬が灯里を一瞥し合図をすると数人の警備員が灯里と一昭を捕縛する。
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一昭 | おい、トウ馬、なんだよこれ?
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灯里 | トウ馬!どうして?
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トウ馬 | 四月は最も残酷な季節だ。死んだ大地からライラックを育て上げ、記憶と欲望を混ぜ合わす・・・。
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SCENE 17 | 認知科学研究所 |
| 研究所にしては大きめの会議場。プレスルームや研究発表に使用されている。本日は、外部の学者やプレス向けの講演発表会が催されている。演壇に灯里が立っている。公演会場を見おろせる部屋(PA用の部屋など)で一昭がそれを見守っている。傍らにトウ馬、その側に戸谷と建畠がいる。
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灯里 | そこで、NMDA受容体の遺伝子に注目します。この遺伝子はいくつかのサブユニットからなり、そのうちのNR1は、既知のあらゆるタイプの海馬のNMDA受容体に必要不可欠なサブユニットである可能性が高いのです。そこで、NR1遺伝子の上流と下流にloxPを入れたマウスをCA1野の錐体細胞に特異的なCreタンパク質ができるマウスとかけ合わせるのです。そして、CA1野のNMDA受容体をノックアウトしたマウスに記憶の長期増強が見られるか分析していく訳です。この実験にはモリス水迷路を使いますが、この実験については、後半の講議でご説明いたします。ここまでで何か、ご質問は?
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記者 | ノックアウトマウス での実験については分かりましたが、長期的には、これを人間に応用する場合が考えられますよね。その場合の実験はどうなるのでしょうか?
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灯里 | どういう意味ですか?
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記者 | つまり、意図的に記憶作用を増強したり、歪めたりする、ノックアウトヒューマンは、人体実験は必要なのでしょうか?
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灯里 | ・・・・・・そういった必要性はないと、思います。
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| 灯里、演壇から降り、一同のいる部屋にやって来る。
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建畠 | お見事ですね。
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トウ馬 | さすが、灯里ちゃん。
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戸谷 | 結局、ノックアウトマウスは、水迷路の中で右往左往して、絶対にその道順を覚える事が出来ないという理論ですね。少し可哀想ですね。
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トウ馬 | でも一度通ったってことも覚えてないから、苛立つ事はない。毎回、新しい体験をしているだけでしょ?
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灯里 | どうして、知ってるの?どうして、私はこんなこと知ってるの??
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トウ馬 | 一緒に勉強したじゃないか。前に。
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灯里 | 覚えてないわ。
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戸谷 | 覚えてないんじゃないんですよ。思い出していなかっただけです。
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| 灯里、独り離れて、この陰惨な光景から目をそらそうとしている一昭の元に歩み寄る。
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灯里 | (呟く)一昭。トウ馬の病気覚えてる?ナルコレプシー。急に眠りに落ちてしまう病気。眠ってしまう直前には、入眠時幻覚っていう、幻覚を見ることが多いの。つまり、夢なんだけど、それは、ありありとした、鮮明なイメージなの。
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一昭 | 何が言いたいんだ?灯里。
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灯里 | (独り言のように)結局、JBって誰なの?トウ馬は、JBと会話をした後、睡眠に襲われる。ねえ。JBは本当にいるの?トウ馬の入眠時幻覚だとしたら?一昭、私、分からない。どこまでが、本当?どこまでが嘘?どこまでが体験していて、どこからが新しいことなの?私の現在はどこなの??
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一昭 | 灯里。嘘なんか、ないよ。だろ?
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灯里 | (感情が昂って)全部、嘘だったら、どうやって、嘘が分かるのよ!私、誰の目を信じれば良いの?誰の耳を信じれば良いの?この目も、この耳も、まったくあてにならないじゃない!
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一昭 | 灯里!
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灯里 | お母さんやお父さんの記憶だって、私、一瞬だけど、なくしてしまった。そして、身に覚えのないことばかり、思い出す。この記憶は、私の記憶?あてにならない目、あてにならない耳、あてにならない記憶・・・ねえ、一昭。私は誰なの?
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一昭 | 灯里。そんな風に考えちゃだめだ。そうやって考えたら、全ての事が判断できなくなっちゃうじゃないか。君の記憶は、君の記憶だよ。知らない部分はあるけど、俺と共有している所だってあるはずだ。つきあっていた頃の事、君だけの記憶じゃないだろ?君が証明できないことでも、俺が、証明できる。
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トウ馬 | (くすくす笑う)
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一昭 | 何がおかしい?
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トウ馬 | ごめんごめん。それは、一昭君の記憶だって言うから。そうだなって思って笑ってしまったんだ。
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一昭 | 何?
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トウ馬 | それは、一昭君の記憶だって、JBが言うから。そうだなって思って笑ってしまったんだ。ね?JB
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一昭 | やめろ!
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灯里 | 一昭。トウ馬。聞こえるの?JBの声が?
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| 急激な光が、一瞬煌めく。
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トウ馬 | そうだよ。
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一昭 | やめろって言ってるだろ!
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灯里 | 一昭。(静かに、疲れた様子で)JB、私の声が聞こえる?
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トウ馬 | 「聞こえるよ」
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灯里 | あなたは誰?
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トウ馬 | 「枇杷坂」
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灯里 | (震える声をなんとか抑制して)もう少し、質問して良い?
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トウ馬 | 「どうぞ」
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灯里 | 今、私と会話をしているのは、誰?トウ馬?それとも・・・。
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トウ馬 | 「トウ馬としゃべりたいなら、そうすれば良い」
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灯里 | トウ馬。
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トウ馬 | なに?灯里ちゃん。
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灯里 | (急に、戸谷に)トウ馬に何をしたの?
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戸谷 | え?
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灯里 | とぼけないでよ!なんなのよ。これ。(激して、掴み掛からん勢い)何かしたのね。トウ馬の頭になにかしてるのね。
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一昭 | 灯里。トウ馬は、二重人格なんじゃ?
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灯里 | 違う。誰かに指令されて繰り返しているだけ。誰かが喋っていることを繰り返してるだけだわ。私には分かるのよ。そうなんでしょ?トウ馬の部屋でも、そうだった。ここでもさっきから、変な光がピカピカしてる。視覚への光刺激が、トウ馬には、言葉として伝わっているのよ。
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建畠 | さすがに、頭がきれる。
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灯里 | 嘘をついたのね。枇杷坂は生きてるんでしょ?出て来なさいよ!影に隠れて、トウ馬の口を使わないで!人の物を使わないで!
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戸谷 | 我々科学者は、嘘は付きません。私は、最初から、死んだとは言ってない。
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一昭 | でも、記録では、死んだ事になっていた。
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戸谷 | ええ、確かに、亡くなられました。脳、以外は。
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一昭 | 脳?
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戸谷 | 枇杷坂教授の脳は、他の体に移植されているのです。
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灯里 | そんな事、不可能だわ!
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戸谷 | あなたのお父様の功績ですよ。見事な移植手術でした。
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灯里 | そ、そんな・・・。父がそんな事・・・。
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建畠 | 責任をとられたのだよ。なんといっても、彼の息子さんが教授を刺したのだから。
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灯里 | え?それじゃ・・・。 |
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SCENE 19 | 認知科学研究所 |
| SCENE 17と同じ場所。数分後。
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灯里 | トウ馬!思い出した。わたし・・・ここにいた。トウ馬とここにいた。トウ馬、私が分かる?
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トウ馬 | 灯里ちゃん。
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灯里 | そうじゃなくて、小さい頃から、ずっと私の事知っているでしょ?
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トウ馬 | いや、灯里ちゃんと会ったのは、あのバーだ。
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灯里 | どうして?思い出せないの?
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建畠 | どうして、思い出せないの?それを我々は、なくしたいのだ。
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灯里 | ・・・あなたたち、狂ってるわ。幼い私たちを実験の道具にした!
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建畠 | (嘲るように)幼い、幼い子供・・・。幼いというのは、何歳までを指すのかね?
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灯里 | どういう意味?
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建畠 | 二十歳をすぎても、まだ幼いのかね?
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戸谷 | 君は、理由付けをしている。認めたくないことから、目を反らしている。実験の記憶を幼い子供の頃の事にしておきたいんだ。
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灯里 | 理由付け!?
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戸谷 | そう、例えば、右脳と左脳の連絡が切断された患者がいる。この患者の左耳にだけ「歩きなさい」と命令すると彼は歩き出すんですが、どうして歩き出したのかと尋ねてみる。質問に答える左脳にはそれが分からない。本当は彼らは、自分が歩き出した理由を知らない、ところが、すぐに答えるんですよ。
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トウ馬 | 「コーラを取りに行くのだ」とか「家に帰る用事ができた」などと。これが理由付け。
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建畠 | 人間は、すべて、自分の意志で動いていると思い込みたいのだ。
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戸谷 | 灯里さん。私たちは、なんの操作もしていないのに、いつまで、君は、私たちの顔を、忘れている振りを続ける気なんですか?
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灯里 | え?どういう意味?・・・私は、記憶の実験を受けていた。子供の・・・頃?あれ?私が、この実験をされたのはいつ?
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戸谷 | 3才から
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灯里 | 3才から、いつまで・・・?
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戸谷 | ・・・。
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灯里 | 3才から、いつまで!あなたたち、バーにいた?森安さん?田淵さん?
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戸谷 | 安心しなさい。3才から今まですっと続いていたわけではないんだよ。厳密に言うと、22才の誕生日の前日まで、君はこの施設で実験を受けていた。あの誕生日の日、君は自由になったんですよ。わたしたちが監視をする中でではあるが。
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灯里 | でも、でも、わたし、あそこで3年働いたはずよ。
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建畠 | そういう記憶を覚えてもらったが、君は一瞬戸惑ってしまった。
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灯里 | 私の住んでる家にだって・・・
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建畠 | 心配だから、最初は送らせたはずだ。あのバーにいるのは、全員、ここの実験体なので、あそこを通して、外の世界に戻しているのだよ。常に観察する必要が、あるという意味では、もしかしたら、実験は続いているのかもしれないが。
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灯里 | だって、あたし、カクテルだって作れたわ。3年間勉強したのよ。
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トウ馬 | (急に誰かの言葉で喋り出す)研究の意味を良く分かっていただけないようだ。君は、カクテルの作り方を思い出せる。そういう事なんだよ。
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| 一人の女が現れる。灯里よりやや年上の線の細い女性。白い肌は青いくらいで、帽子をかぶっている。なんらかの機械を口にあてている。
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灯里 | ・・・誰?
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戸谷 | ・・・現在の、枇杷坂教授です。
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一昭 | そんな・・・
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戸谷 | 教授の娘さんですよ。植物状態でしたから。
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トウ馬 | (女が機械を使うのに合わせて)「君のお父さんの責任ではないが、結局、娘の意識は戻らなかった。だから、代わりに(事も無げに)私の意識がここにある(頭を指す)。
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| 間。
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トウ馬 | 「さあ、いろいろな事が分かって、良かっただろう?思い出すと言う能力は、本当にすばらしい!しかし、残念ながら、そうも言っていられない。実験室にお戻り願おうか。」(部下たちに合図を送る)
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灯里 | 何をするつもり?
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トウ馬 | 「2、3の手続きをして、そう、誕生日からやり直そうじゃないか。」
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| トウ馬、灯里に近付く。
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一昭 | やめろ!(トウ馬に飛びつこうとする)
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| なんらかの音が聞こえ、一昭、急に張り付いたように動かなくなる。
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灯里 | どうしたの?一昭?
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一昭 | 足が動かない。
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トウ馬 | 「この音、聞こえるでしょ?振動数10キロヘルツ の音波。」
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一昭 | いやな音だ。
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トウ馬 | 「ごく初期の実験ですが、あなたの痛みの記憶を呼び起こす音です。動くと痛いので、潜在意識が、動くなと命令しているのです。」
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| トウ馬、灯里に近付く。
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灯里 | トウ馬はつれていかせない。
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トウ馬 | 「君は何を言ってるんだ?つれていかれるのは、君だよ。」
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灯里 | いいえ、つれていかせないわ、あの時のようには。もう二度と。
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建畠 | さあ、トウ馬、早く、彼女をこちらへ。
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| トウ馬、動かない。
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戸谷 | トウ馬!どうしたんです?
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トウ馬 | ・・・嫌だよ。もう、やめようよ。
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建畠 | トウ馬!
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トウ馬 | もう、やめようよ・・・。もう、やめよう!!!
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| JB、何かのスイッチを押す。赤い光が一瞬部屋を包む。
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トウ馬 | あ(頭を押さえて、その場に膝まずく)
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灯里 | 何をしたの?
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建畠 | 命令です。おそらく、記憶を一部消したのだ。あなたがたを守ってやりたいと思わないように。
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灯里 | 私たちの記憶を消しているの?
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| 再び、光線が照射された。
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トウ馬 | !
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一昭 | 灯里!
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| トウ馬、動かない。再び、赤外線。トウ馬はおののき、目を抑え、後ずさる。
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戸谷 | 教授。急激な消去は危険です。バースト が起こる。
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トウ馬 | 人が死んでいる・・・たくさん殺されて。
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灯里 | なに?
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トウ馬 | みんな、焼かれて、体中が融けて・・・。
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建畠 | 実験の時の映像がフラッシュバックしてるのか?
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灯里 | やめて、今すぐ、やめなさい!
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| JBに飛びつこうとするが、建畠と戸谷に押さえられる。人類の侵して来た殺戮の映像が切れ切れに投射されても良い。
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灯里 | そうやって、トウ馬からいろんなものをはぎとって、裸にして、最後に残酷な記憶だけを残そうっていうの?
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| 再び、照射。ふいにトウ馬の動きが止まった。ふらふらとJBの前に進んでいく。
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トウ馬 | ・・・殺さないで。僕の・・・僕の猫を。やめろ。(もがくように)やめろ!やめろ!やめろ!やめろ!やめろ!
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| トウ馬は、叫びながら、JBに突進する。建畠と戸谷は灯里を押さえていたため、動けない。JBは、トウ馬に突き飛ばされる。彼女の帽子が落ちると、アクリル性の頭蓋の中で蠢く枇杷坂の脳が見える。観察用に透明な頭蓋にしてあったのだ。そして、JBの体は、柵を超え(あるいは窓を突き破り)公演会場に落下して行く。アクリルの割れる音。公演会場から悲鳴。
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灯里 | トウ馬!(かけよる)
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戸谷 | 教授!(JBの落下した場所を見下ろし、駆け付けようとする)教授の脳が!教授!
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建畠 | (頭を抱え)・・・同じだ・・・17年前と。
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戸谷 | 建畠さん!何をやっているんですか!早く教授の脳を!建畠さん。(動こうとしない建畠に舌打ちをして、教授を助けるため部屋を出て行く)
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灯里 | (放心状態のトウ馬を抱えて)これが、あなたたちの目指した事?猫を殺す映像を見せて、逆上した被験者に殺される。それを繰り返す。それでも、まだ、科学には犠牲はつき物だって言うんでしょうね。
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建畠 | こうして、人間を強くしていかないと、機械は我々の尊厳を傷付け、人間はいつか必ず、コンピューターの僕になってしまう。誰の腕や足を切り取る事もなく、誰の体に劇薬を投与する事もなく、誰の遺伝子を人為的に変造する必要もなく、この方法なら!・・・人間を強く出来た。そのためなら、自分の娘、自分の脳、みんな犠牲で良いんだ。より多くの人が救われるのなら。
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灯里 | だけど!あなたたちの方法には、欠陥があるわ。その結果がこれじゃない。そうでしょ!口では、人間、人間っていって、結局、あなたがたが傷つけたものは、なに?確かに、肉体は無傷かもしれない。でも、一番大切な物を傷つけたじゃない。さあ、私たちを解放して。
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| 建畠、頷いたまま、動かなくなる。
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