SCENE 21 | 国立覚醒医療院 |
| 灯里、小野里、元永、彦坂がいる。一同、感慨深そうにしている。彦坂は泣いている。
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灯里 | これが、私の覚えている事全てです。
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小野里 | なるほど。(彦坂に気付き)どうした?
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彦坂 | ええ。ちょっと。
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元永 | 2人で未来に希望を繋いで人工冬眠を選んだ。だけど、2020年代の人工冬眠の混乱のせいで、二人はバラバラになってしまった。
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小野里 | しかし、そんな実験が、存在したなんて・・・。
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灯里 | 枇杷坂は、観察だと、言っていました。
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| 一同、静まり返る。
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彦坂 | そ、そうだ。それで、結局、こうして、話を聞かせてもらって、灯里ちゃんの、目の病気は、治せるんですか?
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小野里 | 俺は、治せると思う。元永はどう思う?
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元永 | カウンセラーとしての所見だけど、良いかしら?
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小野里 | いや、むしろ、その方が良い。
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元永 | 灯里さんの、涙の原因は、記憶、つまり脳にある。
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彦坂 | 記憶・・・。
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元永 | 光の刺激、情報を取り入れ、再生する訓練を受けていた灯里さんのニューロンは、光刺激に特別な感受性をもっている。特に、情報の刷り込みと再生は、光刺激のとほとんど同じ回路で処理されているんじゃないかしら。
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彦坂 | そ、それで?だから?
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元永 | 彼女が、幼い頃、なんらかの理由で、弟さんと別れる事になった。弟さんが、特別な実験場所に連れていかれたんだと思うけど。
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彦坂 | 連れていかないで、か。
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元永 | その時、おそらくよ、眩しい太陽の光が灯里さんの目に入った。光に敏感になっている灯里さんのニューロンは、弟が連れていかれてしまう悲しい記憶を、太陽の光と共に、彼女の意識下に刷り込んだのよ。そして・・・。
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彦坂 | そして、涙を流すという反応だけが、残った。
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元永 | そんな所ね。どう?
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小野里 | 同感だ。だとすれば、現在の医学で、治すことができるが、どうする?
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灯里 | 治すってどうやって?
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小野里 | 太陽の光とその記憶とを結び付けているニューロンのネットワークを断絶する。つまり、太陽を見ても、君の潜在意識は、あの記憶を思い出さなくなると言うこと。
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灯里 | 思い出さなくなる・・・。先生・・・だから言ったんです。治療は必要ないって。
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元永 | (わざと)確か、一昭君も君が太陽の下で生きられるよう願っていたはずだけど。
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灯里 | わたし・・・一度、自分が信じられなくなりました。この手も足も、記憶もみんな私に嘘をつく。知らずに命令されてる。同じ道を何度も通ってる・・・。でも、この瞳は、私がトウ馬と引き離された日の強烈な太陽の光をやきつけていた。太陽の光は、無意識にではあってもちゃんと、その時の私の悲しみの記憶を引き出す。必要もないいろいろな事を無理矢理記憶させられた、でも、一番重要な、そして私自身が忘れてしまった事をこの涙は、覚えていてくれた。だから、この涙を、その証として、とっておきたいの。この涙は宝箱の鍵なんです、きっと。
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小野里 | (言葉を失って)・・・では、やはりこれを。(薬を渡す)
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灯里 | これは?
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小野里 | 涙の抑制剤さ。コンタクトタイプの点眼薬になっている。眼球に必要以上の涙を出さなくするが、効力も効果時間もいろいろ選べる。次善の策と用意したが、これが、最良の治療のようだ。必要な時は飲んで、泣きたい時は泣けば良い。
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灯里 | ・・・。
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小野里 | 一昭君の夢と、そして、君の存在の証だ。
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灯里 | ・・・医学って随分、進んだんですね。枇杷坂の情熱も最初はきっと・・・。
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元永 | (軽く笑って)そういうふうに、無理して許容してはだめよ。
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灯里 | そうですね。
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彦坂 | ところで、じゃ、どうして、いや・・・例のサングラスの太陽では、涙が出なかったんですかね。やっぱり、映像からは出てなくて、太陽から出ている赤外線やガンマ線が記憶に作用・・・
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元永 | そうね。確かにそれは、不思議だわ。どうなの?
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小野里 | それは、目医者の領域だな。錯覚なんだよ。君たちは、テレビを映像だと思っているが、あれは、静止画の連続に過ぎない。1秒間にせいぜい コマ。動いているように見えるとは言っても、実際の、太陽の輝きとはまるで違う。灯里ちゃんが、そこまで認識できる事を、枇杷坂は知っていたのだと思うよ。
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元永 | なるほどね。錯覚。なんて多いのかしら、この世には、錯覚が・・・。
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灯里 | 錯覚が・・・。
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元永 | さ、灯里さん。退院して、そして、探さなきゃね。
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灯里 | ええ。探すつもりです。
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SCENE 22 | ある施設の庭 |
| 国立覚醒医療院でのその後の会話と、灯里がトウ馬を発見するまでの、独白が重なる。
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小野里 | ・・・。弟さん。随分、前に覚醒していたそうだな。
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元永 | ええ。そうね。でも、彼女、別に悲しんでないわ。
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灯里 | トウ馬はそこにいた。
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小野里 | 強い子だ。
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元永 | そうね。
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小野里 | それにひきかえ・・・知らずに命令され、同じ道を何度も通ってる。・・・(急に慟哭して)どうして!どうして、もっと早く彼女を起こしてあげられなかったんだ!!どうして!私は、私は、医者なのに、たった一人の患者と向き合う勇気がなかった。私には、勇気がなかった。
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灯里 | 静かな湖のほとりの、小さな覚醒者用の施設。
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元永 | (慈悲深く)あなたのせいじゃない。あなたにも、それは分かっているはず。ただ、あなたは、回り道をするタイプなのよ。その回り道をした自分が許せなくて、自分を叱責する理由が欲しいだけ。
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灯里 | 私たちの入眠から28年後に、睡眠ポッドの故障で彼は、先に覚醒していた。
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小野里 | 前に、そうだ、彦坂に医者が牧師を兼ねていても良いと言われて、言い合いになった事がある。俺は牧師を兼ねることが恐かったんだ。
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元永 | そう思うように自分を騙していただけよ。あなたは、いつだって、医者よ。今回もちゃんと患者さんの心を診察して、最適な治療をしたわ。立派なお医者さんだった。
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小野里 | 心の診察か。人の慰め方を心得ているな。
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元永 | そうよ。カウンセラーは天使を兼ねているのよ。
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灯里 | ありがたい事に、その時点で、彼の病気を治す治療法は確立されていた。
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小野里 | どうりで。
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元永 | なによ、どうりでって?(軽く)なんなら、カウンセラーが、妻を兼ねても良いんだけど?
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灯里 | そして、彼は、そこにいた。
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| SCENE 1と同じ庭。まるで、幻影のような夏の光景。一面の緑。灯里、車椅子に乗った老人に歩み寄り。
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灯里 | 久しぶりね・・・。
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| 若い女性が現れる。どうやら老人の介添をしているらしい。
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介添人 | 何にも分かりませんよ。おじいちゃん。
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灯里 | 治らなかったんですか?
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介添人 | え?ああ、冬眠した病気ですか?それは、すっかり治りましたけど、もう、お年だから・・・いわゆるアルツハイマー病 ってやつですね。おじいちゃん。お客さんよ。・・・もう、この頃は、言葉もでないみたい。
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灯里 | そうですか。自然に、忘れていくんですね。人間って。いろんな事を。
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介添人 | ご家族の方ですか?本人の文書か、近親者の同意があれば、記憶の再生をすることができますよ?
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灯里 | え?あ、ごめんなさい。私、長い間、眠っていたものだから。
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介添人 | え?ああ、そう、脳の再生医療です。β-アミロイド をね。
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灯里 | あ、ああ。ちぇっとね。
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介添人 | 医療も随分進歩しました。記憶のメカニズムも解明されましたしね。
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灯里 | そうですか・・・彼は、何か文書を残してますか?
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介添人 | いえ、特に。
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灯里 | じゃあ、そっとしておいてあげてください。無理に思い出させないで・・・。
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介添人 | 今どき、珍しいですね。そういう考え方。でも、私のお爺ちゃん、あ、この施設を作った人なんですけど、もそんな事を言ってました。年を取るんですもの。その分、幸せになれるように忘れていくんだって。
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灯里 | へえ。素敵な言葉。
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介添人 | そうそう、この人、第1号の患者さんなのよ。というより、私のお爺ちゃんが、この人の世話をするために作ったような施設なんです。ここ。
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| ピーという音が出る。老人が何かを持っていてそれが音を立てているようだ。
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介添人 | どうしたの?
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灯里 | それ・・・。
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介添人 | お爺ちゃんの遺品なの。嫌な音でしょ?(老人に)何?どうしたの?(老人の口元に耳をあてて)・・・ありがとうって言ってます。この話をすると必ず、こう言うんです。ありがとう。一昭さん、ありがとうって。
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灯里 | 一昭・・・(言葉を詰まらせる)
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介添人 | ああ、私のお爺ちゃんの名前。お友達だったらしいの、大事な人の大事な人だから、もっと大事な人だったんだとか、そんなような・・・。ちっちゃい頃聞いた話だから、良く覚えてないけど・・・あれ、どうしたんですか?
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灯里 | (涙を隠して)いえ。別に・・・。また、来てもいいかしら?
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介添人 | もちろん。お爺ちゃんも大喜びよ。
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| 去っていく灯里。彼女の背後で、トウ馬がゆっくりと立ち上がり、何か昔大事にしていた物をつかみ取ろうとでもするように、灯里の方に手を伸ばす。それを介添人が驚いて見つめる。 |
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