SCENE 13 | トウ馬のマンション |
| トウ馬、灯里、一昭が、座っている。
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トウ馬 | 僕の症状は、ナルコレプシー っていうんだ。急に眠気に襲われて、眠ってしまう脳の病気だよ。
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灯里 | そう。でも、トウ馬、眠ってしまう前に、誰かと話をしていた。
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トウ馬 | JBだね。JBと話していると、眠くなることがあるんだ。
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灯里 | そう、えっと、JBは置いといて、家族の人に連絡した方が良い?その病気、お薬とかあるのなら、私、その事を教えてもらっておいた方が良いと思うの。
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トウ馬 | 家族?それは、ないよ。薬もないよ。
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灯里 | 家族がいないの?
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トウ馬 | わからないけど・・・いないはずだ。そう言ってた。
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灯里 | 誰が?
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トウ馬 | JB。
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| 灯里、とてもつらくなる。
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トウ馬 | 一昭さん。いろいろとありがとう。
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一昭 | え?あ、いや。別に・・・。
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| 間。
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三人 | あの・・・。
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| 譲り合う。
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一昭 | ああ、トウ馬・・くん。
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トウ馬 | トウ馬で良いですよ。
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一昭 | 灯里・・・ちゃんに、サングラスをあげたよね。
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トウ馬 | あ、はい。
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一昭 | 確か、JBって人にもらたんだよね?
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トウ馬 | そうですよ。灯里ちゃんには、役に立つだろうって。
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一昭 | そのJBって人には、ここにいれば、会えるんだよね?
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トウ馬 | 会える?JBに?
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一昭 | ここに来てくれるんだよね?
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トウ馬 | えっと、その・・・見えないの?
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| 灯里、一昭と目を見合わせる。
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一昭 | トウ馬・・・。JBが、いやJBさんが今、ここにいるのか?
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トウ馬 | さっきから、ずっと。
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灯里 | 一昭。(やめましょう)
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一昭 | JBさん・・・。このサングラスはどうやって作ったんですか?
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灯里 | 一昭。(やめてよ)
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トウ馬 | 答える義務はないって。
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一昭 | だけど!このサングラスは、まるで、灯里のために作られたような物だ。灯里の病気の事を何か知っているんじゃないですか?
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トウ馬 | ・・・良い推理だって。
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灯里 | 一昭、やめてよ。JBなんていないわよ。
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トウ馬 | 「一番、物わかりが悪いな。灯里くん。」
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灯里 | ちょっと、冗談でしょ!トウ馬やめてよ!
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トウ馬 | 「さすが、佐伯の娘だ。」
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灯里 | どうして・・・。
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トウ馬 | 「母親に似て、強情だ。」
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一昭 | 分かった。トウ馬は、二重人格なんだ。
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トウ馬 | 「私は、君のご両親とは、昔、仲が良かったんだよ。とてもね。」
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灯里 | 嘘言わないで!
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トウ馬 | (JBに)やめてよ、JB。灯里ちゃんが、いやがってるじゃないか?・・・え?どういう事?・・・そんな事できないよ!
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一昭 | どうした?
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トウ馬 | JBが二人を連れて来いっていうんだ。
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| 一昭、傍らの光線に気が付く。部屋の奥にある機械から、赤い光線が放たれている。
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一昭 | 灯里、見ろ。これ。
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灯里 | 何?
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| 光線光る。
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トウ馬 | (JBに)JB、待ってよ・・・。
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| 光線光る。
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トウ馬 | でも。
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灯里 | これよ。これが、なんか、トウ馬を操ってる!
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| 光線が一段と強くなり。トウ馬、再び、暴れ出す。
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一昭 | トウ馬。(止めようとするが手がつけられない。)灯里、それを。
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| 灯里、手元の椅子などを振り上げ、その機械を壊そうとする。その時、光線が強烈な光りを放つ。トウ馬ぐったりして、気を失う。やがて、画面に、文字が現れる。
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一昭 | 待て!なにか、表示されてる。(送信されてる)
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| 「下記の場所で待つ。トウ馬は、私でなければ、治せない。枇杷坂順二」
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一昭 | 枇杷坂順二?JBか。どこからか、監視されていたんだ。灯里!
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| 灯里、呆然としている。
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一昭 | おい!灯里。
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灯里 | 一昭・・・どうしよう!私。
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一昭 | 分かってる。トウ馬は放っておけない。
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灯里 | 違うの!今、気が付いたの!私のお母さんって、誰?お父さんは、どこにいるの?考えた事なかった。でも、私、思い出せない・・・。 |
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SCENE 14 | 催眠治療室 |
| 灯里は、催眠療法を試す事にし、精神科医、香川を訪ねる。
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香川 | 一時的なショックで、記憶障害が起こる事はよくあります。
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灯里 | でも・・・両親の事なんて、一番大切な事なのに。
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香川 | 大切な事程、忘れやすいのかもしれませんよ。
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灯里 | いえ、なんだか、覚えているとか、忘れたとかじゃないんです。ショックです。私・・・気にしていなかった。
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香川 | 最近は、催眠療法はあまりやっていないのですが、まあ、とにかく強いご希望だ。試してみましょう。
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| 催眠治療が開始される。
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香川 | どうですか。私の言葉が聞こえますか。聞こえたら、手を上げて。
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| 灯里、手をあげる。催眠が進むに連れ、そこは1984年ある場所になる。そこには、灯里の父、佐伯螢介、母、耀子、そして枇杷坂がいる。
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香川 | お母さんやお父さんの声が聞こえて来ませんか。耳をすませて。思い出して。
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母 | 具体的にどういう実験をするのか、聞いてからにしたいわ。
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香川 | 何が聞こえました?
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灯里 | 「具体的にどういう実験をするのか、聞いてからにしたいわ。」
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香川 | そこは、どこですか?
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灯里 | 部屋。白い部屋です。
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香川 | ご両親がいますか?
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灯里 | います。お父さんと、お母さん・・・。それから、もう1人。男の人がしゃべってます。
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枇杷坂 | いいでしょう。私たち人間の歴史は、身体機能の拡張の歴史だったと言える。最初の人類が武器を持って、腕力を拡張した時から。
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香川 | 誰の声ですか?
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灯里 | 分からない。
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枇杷坂 | そして、この拡張は、視力や聴力だけでなく、人間の情報能力にまで及んでいます。
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母 | それも、最近の話ではないわ。メソポタミアで文字が使われ出したのは、会計管理の必要からよ。
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枇杷坂 | 文字ですか(軽く笑うような素振りで)・・・。フォン・ノイマン のデータによると人間の脳の容量は、100億ギガバイトに及ぶ。
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父 | いや、確か、100億GBは、多すぎると言う説もあったはずです。
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枇杷坂 | 確かに、それでも、膨大な容量だ。プライミング効果 も考えると巨大な図書館をはるかに超える。
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母 | 脳を拡張すると言う事?
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枇杷坂 | (無視して)では、何故、人は忘れてしまうのでしょう?情報は保存されているのに、思い出せないなんて、勿体ないというより、不合理きわまりない。
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母 | 滅多に利用しない情報は、その分シナプスが強化されないわ。思い出すための回路に信号が流れにくくなっているから。
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枇杷坂 | そう、要するに、インターフェイスが貧困なんです。覚えていないっていうのは、脳に情報がないってことじゃないでしょう?肉体が記憶を生かしきれていない。そこで、記憶が回路のパターンである以上、なんらかの刺激で、切れていた回路が繋がれば、記憶の再生は可能になる。
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父 | 扁桃核でのフラッシュ・バックなどもその一例かな。
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母 | 脳が記憶容量で、コンピューターをはるかに上回るからって、記憶を再生する必要があるかしら?人間は、自然な環境の・・・
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枇杷坂 | 私が危惧しているのは、いつまで、人間の、いや、脳に限定しても良い、脳機能の拡張が、非侵襲的方法に留まっていられるかということだ。
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母 | 非侵襲的方法?つまり、脳を改造したり、脳に何かを埋め込んだりする事が今後、起こるって言うわけ?
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枇杷坂 | 私の言っている事がSFではない事は、脳科学を専門になさっている佐伯先生ならお分かりでしょう?
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父 | 確かに、そういう研究はすでに進行中だ。
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枇杷坂 | 唾棄すべき研究だ。脳は、人間そのものです。その聖域をコンピューターにのっとらせようとしている。脳は容量や処理速度の点で、コンピューターをはるかに凌駕しているのに。
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母 | それで、脳がコンピューターに負けているインターフェイスの弱点を、どう解消しようって言うの?
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枇杷坂 | 覚えた事を思い出せれば良い。脳に傷などつける必要などないのです。紅茶に浸して口にしたマドレーヌから、膨大な記憶を蘇らせるようにね 。
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母 | パターンコンプリーション を使おうって言うのね?
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香川 | お母さまは、なんて言っておいでですか?
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灯里 | 「そんな実験に、私たちの子供を使おうって言うの?」
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枇杷坂 | あなた方のお子さんは、比較観察に適しています。いや、私の娘でも良いのですが。あんな、状態でさえなければね・・・
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母 | 脅迫する気?あれは、事故よ。
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枇杷坂 | 脳外科の権威ともあろうかたが、事故ですか。佐伯先生。
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母 | 娘さんが植物状態になったのは、この人のせいではないわ。脳内手術は未知の分野が多いのよ。ショック症状になる事は、予測できなかったわ。
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枇杷坂 | 未知なのに、手術に踏み切ったと?
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父 | それは、違う、あの悪夢のような発作を止めるには・・・
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枇杷坂 | いや、いいんですよ。科学とはそうして、切り開いて行く物だ。さて、ご協力頂きたいのは、実験ではなく、観察です。ことは、記憶の獲得に関する心理学レベルの話し。つまり、何も傷つけない、非侵襲的方法だ。
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母 | 枇杷坂さん、非侵襲的方法が必ずしも人を傷つけないとは・・・
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枇杷坂 | このままでは、人間の未来は、機械の奴隷ですよ。違いますか?
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父 | それは、その通りだが。
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枇杷坂 | 私たち人間が、科学を作るのです。いいですか、決して、その逆ではない!
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| 香川と一昭がいる。テープを再生している。
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灯里の声 | 白い部屋、白い建物・・・太陽。
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香川 | 一部の記憶が混濁しているようなんです。先ほどのなんらかの会話の事は、非常に明確に覚えているのですが、おかしな事に、それより後の幼少期の記憶になるとこの言葉を繰り返すばかりで。なにか心当たりは?
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一昭 | さあ。
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香川 | あとは、これです。
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灯里の声 | 四月は最も残酷な季節だ。リラの花を死んだ土から生み出し、記憶に欲望をかきまぜ、春の雨で鈍重な草根を奮い起こすのだ。(冬は人を温かくかくまってくれた。地面を雪で忘却の中に被い、ひからびた球根で短い命を養う。)
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一昭 | (途中で遮って)なんですか?これ。詩?
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香川 | T・S・エリオット の「荒野」ですね。
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一昭 | へえ、そうなんですか。
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灯里の声 | 連れていかないで!
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一昭 | これは?
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香川 | ええ、幼少期の記憶には、この叫びが良くでてきますね。連れていかないで。
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一昭 | 連れていかないで・・・どこかに連れていかれるのをいやがっているみたいですね。
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香川 | ・・・もしくは、誰かが連れていかれるのを嫌がっている。
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一昭 | 誰か・・・ですか。
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香川 | それから、灯里さんのご両親と一緒にいた人物、枇杷坂と呼ばれていた人物についてですが・・・(資料を取り出す)
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一昭 | 調べていただけたんですか?
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香川 | はい。あなたの言っていた住所には、認知科学研究所という施設があります。ここのデータベースからあたった所、すぐに該当する人物がいました。枇杷坂順二氏はその施設の所長を勤めていました。
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一昭 | なるほど。
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香川 | 彼の専門は、認知科学なので、灯里さんの記憶の中の話ともつじつまが会いますね。灯里さんの記憶している姿、年齢とも符合しますし・・・。
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一昭 | そうですか・・・。実は、その男に、その研究所に来るように呼び出されたんです。
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香川 | え?本当ですか?
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一昭 | そう、灯里が両親の記憶を失う前に、枇杷坂からメッセ−ジが届いて・・・。
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香川 | それは、おかしい。
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一昭 | どういう事ですか?
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香川 | 研究所はまだありますが・・・枇杷坂順二氏は(資料に目を落として)1986年に・・・ |
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SCENE 15 | 国立覚醒医療院 |
| 小野里と彦坂が話している。
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彦坂 | 死んでいた?17年も前に?
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小野里 | ああ。
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彦坂 | それで?
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小野里 | ああ。
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彦坂 | ああって。
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小野里 | 彼女は、また黙ってしまった。
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彦坂 | それで、どうするんですか?原因が脳じゃ・・・神経科に移送します?
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小野里 | 医局でもゴーサインが出ている。しかし・・・。
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彦坂 | 何か、問題でも?
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小野里 | うん。とりあえず、元永に相談してみたんだ。そうしたら、例の話をしてみろと。
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彦坂 | 例の?
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小野里 | そう、思いきって涙の成分の話をしてみたんだ。本当は悲しいんじゃないのかって。
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彦坂 | それで?
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小野里 | 私は涙を流しているだけ。泣いているのは、私の記憶だそうだよ。
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彦坂 | また、わけのわからない事を・・・、普通にしていると良い子なんですけどね。
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小野里 | 思わず、現実に、君の脳が泣いているんだと大きい声を出してしまった。始めてだ・・・。自分でもびっくりした・・・。
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彦坂 | 彼女は?
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小野里 | 怪我の巧妙というんだろうか。彼女は、全てを語ってくれると約束してくれたんだ。
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彦坂 | 全てを?
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小野里 | 明日だ。元永に立ち会ってもらう。お前も立ち会え。今回のケースはお前の手柄だ。
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彦坂 | ・・・なんだか・・・寂しいですね。
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小野里 | なんだ。喜ばないのか?
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彦坂 | だって、この話を聞いてしまったら、もう彼女とは・・・。
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小野里 | 病気が治ってしまったら、患者と会えなくなる。当たり前の事だ。我々は、患者と早く会えなくなるように望むべきなんだぞ。
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彦坂 | はあ、そうですけど・・・。
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小野里 | 一人一人の感情は問題じゃない。医者は、牧師ではないんだからな。
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彦坂 | 先生は、医者の範囲を、必死に狭くしようとしているように見えます。
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小野里 | 俺が医者を?
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彦坂 | 医者が牧師を兼ねていてはいけないんでしょうか?
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小野里 | 医者は医者だ。それ以上でも、それ以下でもない。
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彦坂 | それじゃ、どうして、彼女を、神経科に移送しなかったんです?
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小野里 | それは・・・。
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彦坂 | 元永さんから聞きました。先生、妹さんを医療ミスで亡くしているんだそうですね。それも、執刀医は、先生のお父さん。その事が・・・
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小野里 | (大声で)その事と、今の状況はまったく関係ない!
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彦坂 | では、教えて下さい。脳は、眼科の範疇ではないのに、何故、彼女を、神経科に移送しないんです。・・・それは・・・
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小野里 | (静かに)・・・そうだ。彼女が、私の患者だからだ。大きな声を出してすまなかった。焦って、疲れているんだ。きっと。 |
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