新国立劇場:トーキョー・リング観劇記(2001年〜2004年)

*新国立劇場のホームページhttp://www.nntt.jac.go.jp/に公演初日の写真が掲載されています。できるだけ、その写真に合わせて解説しています。

【『ラインの黄金』あらすじと演出】

第1場
<ラインの川底。3人のラインの乙女たちが泳いでいると(ここからして上演不可能的だ!)、地底からニーベルング族のアルベルヒが表れ、彼女らに熱心に求愛する。しかしラインの乙女たちはいじわるな挑発と嘲笑を繰り返し、アルベリヒを馬鹿にする。そこに陽光が差し込み川底のラインの黄金が光り輝く。乙女たちはうっかり、黄金から指輪を作れば無限の権力を得られるが、それができるのは愛を断念した者だけだと漏らしてしまう。さんざんコケにされたアルベリヒは「愛を呪う!」と叫び黄金を盗む。大変だー!!>
普通の演出は人魚のような乙女を川を模した場面に、ファンタジー風の衣装を着たアルベリヒという感じだが、キース・ウォーナーはまず舞台奥から一条の光を客席に向かって投げかけ、舞台上が明るくなると分かるのだが、それは、映写機の光で、その横に神々の長ヴォータンが座っている。すぐに舞台下から、スクリーンが吊り上がって来る。そこには、音の変化に会わせて様々な水の映像が投射されている。やはり、ラインの川底のシーンということで、水中の演出なのだろうと、思いきや、すぐに、舞台下から遠近法を誇張した客席(客席を背にして)がせりあがって来て、スクリーンと共にそこが映画館である事が分かる。3人の乙女は、水の絵を写す映画を観ているようだ。白いぬいぐるみのような衣裳で登場する。
そこに赤いジャンバーにゴリラのマスクをかぶったアルベリヒがスーパーの袋を持って(低所得者、特に外国人労働者を表すらしい)登場し、客席の失笑を買う。マスクをぬいだアルベリヒに対して、乙女たちもぬいぐるみのような上着を脱ぎ、白いタイツのような姿になる(徐々に女性化する)。3人の髪の色は、金、赤、黒となっている。話が黄金にいたると、映像の中にジグソーパズルのピース型の黄金が浮かび上がってきて、光り輝く。
ここで、3人の乙女はスイムキャップと水中眼鏡をかけ、スイミングスタイルになり、体操のような踊りを披露する。黄金のジグソーパズルの表面に次々と数式が現れる映像は、やや陳腐な気もする。最終的には、アルベリヒが映像の中で黄金のジグソーパズルを破壊し、水中へと潜っていく。

第2場
<神々の長(他の神話と異なり絶対の権力を持っているわけではない。あくまでも神という種族の長)ヴォータン(オーディンの事)は、巨人族の兄弟に城を建てさせている。その報酬に青春の女神フライアを与えるという約束を巨人にしてます。その事で正妻のフリッカが彼を責め立てますが、ヴォータンは実はフリッカを与えるつもりなどなく、彼の参謀のような火の神ローゲ(ロキ)が何か代償を考えてくれるはずだと軽く考えています。そこへフライアの悲鳴が、巨人兄弟は城が完成したのでフライアをもらうと言い彼女を連れて行こうとします。ヴォータンは約束を違えてそれを拒否します。他の男神たちと巨人が一触即発の自体になった時、やっとローゲが表れ、アルベルヒが権力の指輪を作った事を軽く語ります。一同がそれぞれの激しい欲望に燃え、うずうずしています。結局、巨人はフライアの身代金としてアルベリヒの盗んだ黄金を持って来いと言い、フライアを連れて去ります(フライヤが消えると神々は一気に老いていきます。青春の女神は神々の若さを保つ力があったわけです)。しかたなくヴォータンはローゲを連れ地下世界に潜ります。>
本当はなにもない山上のシーンなのですが、今回は神々の仮事務所のようになっている。この部分は、言葉で説明すると、舞台前面に舞台一面を覆う板を立て、その真ん中辺りを、四辺形に切り抜いて、その切り抜かれた部分が舞台となっている。つまり、舞台空間の中間(上下左右の)あたりに、比較的小さめの舞台があり、それ以外の枠の部分は幅のあるプロセニアムになっているのである。その事務所には、階段で上がって来るようになっているので、2階という印象がある。事務所の中には、「W」とかかれたダンボ−ルが散積しており、奥には大きな窓があり、どうやら、その向こうに竣工したばかりの城があるようだ。
ヴォータンが設計図を眺めていると、女教師のようなフリッカが現れ、喧嘩になる。巨人の兄弟は、舞台の奥から、スポットライトを携えてやってきて、事務所の窓ごしに神々と対峙する。前述のように、この部屋は2階なので、窓の向こうが普通の地面だとすると、この上半身しか見えていない巨人は、相当のでかさという事になる。なるほどな、と思ったが、
残念ながら、あとあと、全身が見えて、普通の身長であることがわかる。肉厚の体つきにしてブルース・ブラザーズが横に膨れ上がったような衣裳である。メイクはハ虫類的な特殊メイクになっていた。そして青春の女神フライアはフリッカのお下がりのようなスーツで、フロアレディっぽい。モーニングを着た火の神ローゲは、ダンボ−ルの中から火花と共に登場するが、これも度胆を抜くと言うよりは、姑息な雰囲気が漂った(僕としては、そういう姑息さは好きだが)。 ヴァルハラ城は、「WARHAR」と書かれたネオンサインが窓の外を上下していた。(これは、僕の席からはほとんど見えない。往々にして良い=値段の高い席からしかちゃんと見えない演出が多かった気が・・・)

第3場
<地下世界。ニーベルハイム。指輪によって権力を得たアルベリヒは、弟のミーメや同胞たちを奴隷のように扱い、黄金を集めています。魔力でかぶると消えたり変身できる隠れ頭巾もミーメにつくらせました。ここにヴォータンとローゲがやってきて、変身なんてできるわけないといってアルベリヒを嘲笑します。怒ったアルベリヒは巨大な龍に姿を変えてみせます。ローゲは脅えた振りをして、すごいと喝采を送ります。だが真に難しいのは大きな物ではなく小さな物への変身だぞとそそのかし、蛙に変身したアルベリヒをヴォータンと共に捕縛してしまいます。そして地上へ引き出されるのです。>
舞台が上下に動き、まさに地下へ降りていくという演出も過去にあったが、今回は、横に動く。神々の仮オフィスが、上手に移動するともう1枚の別の絵が現れるように、地底の国が下手から現れる。この間、3人のラインの乙女が盗まれた黄金を探しているのだろうか、懐中電灯を手に舞台手前を行来する。舞台のつくりは、前のシーンと同じ、ただ、この地底の国は、「逆さまの国」になっていて、先ほどの多分上下逆の形のプロセニアムになっており、そこに「NIEBELHEIM」の文字が、上下逆に金で書かれている。プロセニアムの中は、柱が、並ぶ鍾乳洞のようだが、柱も上が細くなっており、さかさまの印象をあたえる。アルベリヒが連れている女性とのセックス・シーンがあるが、これはハーゲンの母親グリムヒルデと思われる。特筆すべきはストロボを使った魔法の演出であった。ここでは龍への変身が見どころだが、今回の龍は下手上に頭、上手下に尻尾という迫力にかけるものだった。

第4場
<再び地上。自分の身の代を黄金で払えと恫喝するヴォータンにアルベリヒはしぶしぶ納得します。指輪さえ残っていれば黄金は作れると。しかしヴォータンは隠れ頭巾ばかりか、その指輪まで奪い去ります。ここでアルベリヒは指輪に死の呪いをかけます。アルベリヒは怨みを抱いて地下に去り、巨人たちは、フライアの体が見えなくなるまで、黄金を積めと要求してきます。結局隠れ頭巾も取られ、指輪もよこせと言います。ヴォータンは指輪は渡せないと言いますが、その時、智の女神エルダが世界の深淵から立ち現れ、ヴォータンに指輪を避けるよう警告します。こうして全ての財宝が巨人兄弟の物になります。するとすぐに内輪もめが起き、ファフナーがファゾルトを殴り殺し指輪を手に去っていきます。こうして築城された新しい城にはヴァルハラという名が付けられ神々が堂々と入城していきます。>
ヴォータンが自慢の槍でアルベリヒの指ごと切断する勢いで指輪を奪い、指にはめるシーン。これらシーンの迫力ある音楽と芝居にはいつも魅入りますね。ウォーナーは、アルベリヒの呪詛の部分に自らの去勢シーンを加え、よりおぞましい印象を与えていた。
地母の女神エルダは、プロセニアムの一部がジグゾーパズル状に空いて登場。気持ちの悪い衣装とメイク。
神々の入城は空港のようにいくつものゲートがあるどこか空の上のターミナルのような所。 なんと、北欧の神々の他に、世界の民族衣装を着たような神様たちが大勢いて、まるで、神様の社交界のようだ。ここでのヴォータン一行の衣装は、白と金をあしらったものできれい。最後は「虹の橋」がかかるという設定で、これまでも虹色のエレベーターを使った演出などがありましたが、大量の七色の風船が空から舞い降り足下を埋め尽くして行った。そして、虚飾の城へと入場となる。ちなみにカーテンコールの時、歌手たちはこの風船を(やや楽し気に)蹴っていた。

【感想】
 なにしろ、あのリングを東京で観られると言うのが、甚だ嬉しい!そして、普通の神話的ファンタジーとしての演出ではなく、現代的で、スペクタクルで、SF的で、諧謔的な演出(ようするに保守的ではなく、毀誉褒貶が飛び交うような演出)というのが、嬉しい。一つの革新的なプロダクションに立ち会えた事がなんとも嬉しいのだ。キース・ウォーナーは、笑いをふんだんに取り込み、コミカルに(ある意味、漫画のように)状況を語っている。『ラインの黄金』は一人として人間の出てこない珍しいオペラであるだけに、一件、現実の乖離しそうな印象を残すが、ウォーナーは堅実に、そして前衛的な処理で人間を描いている。誰かが書いていたが、そのようにして描かれる神は、政治家であり、政敵を謀略でねじ伏せ、地元に立派な県庁を建てて、利権を漁りたいよう人々にさえ見える。ラストのターミナルにはゲート番号が下降線の矢印で書かれている。下向きなのだ!そして、エルダの登場にも使われたジグゾーパズルのピースの意匠は、この『リング』にどんな比喩を与えているのか、なぜヴォータンは、このドラマを映写して一人鑑賞していたのか、など、続く3作が楽しみでしょうがない。とりあえず、次の『ワルキューレ』では、ブリュンヒルデも登場するので、当分(4年間)目がはなせないし、少し高い席を目指してみようとも思った。しかし、財布と相談だ。

【『ワルキューレ』あらすじと演出】

第1幕
<豪族フンディングの館に戦い疲れた一人の男が転がり込んで来る。館で留守番をしていたフンディングの妻はこの男に蜂蜜を飲ませ、立ち去ろうとする男を引き止める。そこに館の主人フンディングが戦いから帰って来る。身の上話しを聞く内にこの男こそ今日の戦いで落ち延びた敵と知り、明日の決闘を言い渡し寝室に入る。しかし男にはすでに武器はなかった。以前この館を訪れた旅人がトネリコの木に霊剣を刺していった物があるがそれを抜けた者はいないという。妻が夫に睡眠薬を飲ませ男の元に忍んで来る。話している内にふたりが生き別れになった双児の兄妹ジークムントとジークリンデである事が分かる。父親の名はヴェルゼ、旅人となりトネリコに剣を刺した男。ジークムントは無頓着にも「おまえは花嫁にして妹」と歌い上げ、霊剣ノートゥングを引き抜く。>
開場すると、舞台前面に赤い剣が斜めに刺さっている。もちろんノートゥングである事がわかる。それ以外は、舞台には何もない空間がひろがっている。前奏曲が始まると、同じ赤い色の槍を持ったヴォータンが現れる。槍を振るうと、一団の男たちが下手から上手に走って行く(あとあとフンディングの郎党のものと分かる)。ここで、第一幕フンディングの住家にシーンが移る。まず、天空より下向きの赤い矢印が降りて来る。途中で、この矢印にはめ込まれた赤い剣が暗闇に赤く輝く(ネオンサインのように)。これは、ノートゥングを差し込まれたトネリコの木ということになるが、あとあとはっきりするように、赤い矢印にはヴォータンの意志が明確に刻まれているように思える。矢印と対照的に、舞台の下からフンディングの住家のセットがせりあがって来る。木目を基調とした部屋。斜めに区切られた空間の作り方は、全作『ラインの黄金』を継承している。この手法は、前回は舞台を狭く区切り過ぎる気がしたが、今回は空間に広さが出て良かった。テーブルとその両脇に椅子が置かれているが、これが非常に大きく、登場人物がミニチュアに見える。椅子は、その上に人が2人立てる程で、2〜3段の隠し段がないと登れない。机はその下を人がくぐれる程大きい。そして、部屋の下手にフンディングとジークリンデの等身大程の結婚写真。両壁に大きな扉がついている。そして、先ほどのトネリコの木を表す巨大な矢印が、丁度天井を突き破るように部屋の差し込まれて、机の上すれすれで止まる。第一幕第一場フンディングの館の完成である。
まず、巨大な机の上にしどけない姿でジークムントが寝ている。愛のない夫に満たされぬ体の為かセクシャルな動きである(これは、自慰行為と取る事ができよう。前回もアルベリヒのセックスや去勢といった性的シンボルを積極的に取り入れている)独り身を慰めるジークリンデの元に、ジークムントが飛び込んで来る。しかしジークリンデはそれほど驚く様子もなく、机の上に物憂気に寝たままである。やがて、二人の間に音楽上の愛が発現する。
 館の主フンディングが帰参する。フンディングの郎党も一緒である。この辺りのシーンでは積極的に照明が変化しドラマを明瞭にし盛り上げて行く。椅子の上に立ってのジークムントとフンディングの舌鋒合戦はコミカルですらある。フンディング役のドナルド・マッキンタイアは声が出ており、素晴らしかったが強い悪役的には見えないのが残念だった。演技重視の穏健な演出かと思ったら、驚いたのは「春」が部屋に入って来るシーンである。大きなドアが自然に開閉を繰り返すのはまだしも、一面緑のライトに照らされた床から、緑に塗られたいくつもの矢印が床を破って屹立してきたのには驚いた。具象の場面は突然、抽象的になり、二人の愛が高まるに合わせるように高々と持ち上がって行く(勃起する男根ととらえることができるかもしれない。さきほどの性的シンボルの話で言えば、非常にポップ・アート的なイメージに包有されている?)。そして、クライマックス、ノートゥングを抜くと机が真っ二つになり(これはもしかしたら『ジークフリート』でノートゥングが鍛え治された時両断されるものを先取りしているのかもしれない)ジークリンデが自ら結婚写真を指し示し、ジークムントはフンディングの写真を切り裂く事になる。この行為はフンディング、ひいてはフリッカの怒りをかう行為として成り立って来る。舞台後方の壁が机の両断と共になくなり二人の前に世界(等高線で描かれた地形図のようなイメージで、館のはるか下に広がっているように見える)が広がる。二人は世界に飛び出し、舞台から落下するように消える。

第2幕
<主神ヴォータンは、ワルキューレの一人で彼が特に愛しているブリュンヒルデに命じ、フンディングとの決闘ではジークムントを勝たせるよう命じる。実はジークムントはヴォータンが人間の女に産ませた息子で、偉大な英雄の一族ヴェルズング族(といっても2人しかいない)なのだ。しかしヴォータンの正妻で婚姻の女神フリッカが現れ、不倫と兄妹の近親相姦を断罪し、フンディングを勝たせろと詰め寄る。ヴォータンは実はジークムントに世界支配の指環を奪回させようと目論んでいたのですが、結果フリッカに負けブリュンヒルデへの命令を撤回逆転させます。ヴォータンは絶望し怒り、世界の終末口にします。驚いたブリュンヒルデはヴォータンの意図を汲み取りきれないまま、戦場に向かいます。ブリュンヒルデはジークムントに死を告げますが、彼は一人でワルハラ(天国)に行くくらいなら妻=妹とともに地獄に行くと言い、妻が自分の子を身ごもっている事を告げても、霊剣ノートゥングで自分達を殺めようとします。その愛の強さに打たれたブリュンヒルデは命令に背きジークムントを助けると約束してしまいます。フンディングとの決闘が始まりますが、ヴォータンが現れその槍で、自分が自分の息子にもたらした剣を打ち砕き、ジークムントは死にます。ブリュンヒルデは砕けた剣の破片とジークリンデを馬に乗せその場を逃げます。ヴォータンは怒り彼女を追います。>
荒涼とした岩山、という設定になっているが、あまり岩山というイメージはない。まず舞台床面には航空写真でできた地図のようなものが、岩山らしい地形を描いている。そこに赤いライン(誰の足取りだろうか)がひかれている。下手に盛り上がった部分がありヴォータンの道具類がある。特に『ラインの黄金』で登場した映写機が重要だ。舞台の周りは、目盛りのついた定規のようなテクスチュアでかこまれている。舞台奥に、この舞台へ登場するための近未来的シャフトがある。第3幕の舞台との関連で見ると、ここはワルハラなのかもしれないし、下手の盛り上がった部分が、岩山で、地形図の部分は底から見下ろす人間界なのかもしれない。まず、ヴォータンはW印の段ボール(『ラインの黄金』で登場)から地図を取り出す。そしてそこに赤い矢印を3本指さしこむ。そこにブリュンヒルデがなんと、おもちゃの木馬に乗って現れ観客の失笑を買う(しかしこの木馬=グラーネは後々重要なモティーフとなる)。
ブリュンヒルでの出で立ちは、剣道の胴衣を思わせる。また赤い十字の盾は、剣や槍と同色だが、医療関係の赤十字を思わせるが、この連想は後程確かめられることになる。ここでのヴォータンはモーニング姿のようで、前作での金満政治家のようではなく見える。
フリッカは前作幕切れの神々の衣装で現れヴォータンを圧倒する。しばらく舞台はこのまま続く、ヴォータンの長い回想では再び映写機が回される。彼はあくまでも回想者として舞台に立つ。こうなると『神々の黄昏』後も生き残るのではないかとすら思える。しかし、やがて映写機を槍で尽き、フィルム(=失敗に終わった計画)をちぎり捨てる。
第3場では、下手の岩山が姿を消し、フンディングの館が、俯瞰された姿のミニチュア(またげる程の大きさ)で地図の上におかれる。舞台自体が巨大な地図だった事がはっきりする。さらに上空から3つの赤い巨大な矢印が地面に降りてきて地図上を指す。先程ヴォータンが広げていた地図がそのまま再現されている事が分かる。3つの矢印にはそれぞれドイツ語?が書かれている。おそらく重要な位置を指していて、ジークリンデとノートゥングの位置(つまりフンディングの住家)やファフナーが指輪を守る洞くつなどが示され、ヴォータンの計画を示唆していたのだろう。第1幕では、家具を大きくしてみせたが、第2幕では逆に、世界を小さく俯瞰している。これはうまい!ジークムントとジークリンデがちぎれたフィルムを手繰りながら岩山に現れる。ブリュンヒルデもあらわれて、ジークムントを説得する。フンディングの登場はさらに意表を着いた。地図上のミニチュアの家の屋根がパカッと開き武器を手にせり上がってきた。やがて、二人の決闘となる。ブリュンヒルデはジークムントを応援し、舞台にはフリッカも登場しフンディングを見守る。ヴォータンが現れ、ジークムントの剣を折ってしまう。ここで通常フンディングがとどめを刺すのだが、ここでは郎党がジークムントを囲んで殴打して殺してしまう。フンディングはヴォータン登場に恐れおののいて動けない。やがて、ヴォータンの「行け!」(僕の大好きなシーンだ)で、フンディングのみならず、郎党全てが死に絶える。ヴォータンの強烈な悲しみと力が出ているが、歌い方に迫力がなかったように思える。

第3幕
<ワルキューレたちが集合しています。有名な音楽「ワルキューレの騎行」です。ここにブリュンヒルデが馬に女性を乗せて逃げ込んで来るので妹たちは驚きます。しかも誰あろうヴォータンから逃げているので匿ってくれというのです。ちなみにワルキューレはヴォータンが智の女神エルダ(ラインの黄金でヴォータンに指輪から手を引けと忠告した女)に産ませた9人の戦さ乙女で、ブリュンヒルデはお姉さんです。妹たちはヴォータンからは守れないと戦きます。ジークリンデはジークムントを失い、しかもこのように迷惑をかけるようならいっそ殺してくれれば良かったのに、あのまま戦場に置き去りにしてくれれば良かったのにと自暴自棄に歌います。しかしブリュンヒルデから彼の子がお腹にいると聞かされると掌を返して絶叫して喜びあなたは良い人だと絶賛します。ブリュンヒルデは追って来るヴォータンの矢面に自分が立ち、その間に東の森にジークリンデを逃がします。その森は奇しくもファフナー(ラインの黄金で登場した巨人兄弟の一人で指輪を得るために兄を殺した)が龍になって指輪を守っている所でした。怒り狂ったヴォータンが登場し、命令に背いた罰としてブリュンヒルデを神々の世界から追放すると言い渡す。その神性を奪い無防備な眠りに閉じ込め、最初にお前を起こした者の女になれと。その罰のあまりの過酷さにワルキューレが取りなしをしますが、ヴォータンの逆鱗の前に散り散りに逃げて行きます。二人きりになった父と愛娘は語り合います(いいシーンです)。私はそんなにひどい罪をおかしたのでしょうか。あなたの心が本当は命じたかった事を実行しただけなのにと哀願する娘にヴォータンは約束します。父たる自分よりも自由な男だけが彼女の眠りを覚ますことができるように、彼女の眠る岩山を燃え盛る炎で取り囲むと。「わが槍の穂先を恐れる者は炎の輪を越えるべからず!」こうして父娘は抱きあい、娘を眠りの世界へ誘います。ヴォータンは炎を呼び出し眠るブリュンヒルデを炎が囲み終幕です。>
もっとも驚いた演出はワルキューレの舞台です。前作のヴァルハラへの入場のシーンと似たようなセットだが、白い病棟でドアがいくつもある。緊急救命室?ワルキューレたちは看護婦の格好をし(前にブリュンヒルデが赤十字の盾を持っていた事に注意)、馬=ストレッチャーに死んだ英雄を乗せ、ワルハラに送っていく。非常に雑然とした場面だが、いままで見たワルキューレたちの中で一番美人に見えた。看護婦効果か!?壁に投影されたデジタル時計の意味はいまいちわからない。
ヴォータンとブリュンヒルデの別れのシーンでは、舞台下から巨大な木馬が競り上がって来て度胆を抜かれた。前半でブリュンヒルデが乗っていた物のクローズアップだ。おそらく父が幼いブリュンヒルデに与えたおもちゃなのだろう。ここで父娘は過去に遡行し、神と戦さ乙女ではなく普通の親子の心証風景に突入し、ちょっと泣かされます。二人の別れのクライマックスは、舞台一面分が後ろにスライドし、舞台と同じ大きさの巨大な奈落(溝)が姿を表す所。もしかしたらその後に木馬が出て来たのかもしれない。で!、ラスト。大きなベッドにブリュンヒルデが寝ている。周りは子供部屋のような雰囲気、そしてそのベッドの輪郭から本当の炎が吹き出し、ブリュンヒルデを囲んでいく。ただし残念ながらこのシーンの寝ているブリュンヒルデは明らかに人形ということがわかってしまうものでした。

【感想】
 一年前の4月に『ラインの黄金』で幕を開けたトーキョー・リングがいよいよ第一夜を迎えた。ちなみに観劇当日(4/1)のタイムテーブルはこうである。

16:00 開場
16:15 三宅氏によるプレ・トーク

17:00--18:10 第1幕
 35分間 休憩
18:45--20:25 第2幕
 45分間 休憩
21:10--22:25 第3幕

 最初から最後までの拘束時間、6時間半!!優雅な一日です。休憩中はシャンパンを飲む。ここにいる誰もが始めてみる光景を前にいろいろな感想、批評、絶賛、酷評、そして次の幕の予想を声高に語り合っている。中には昨日も来ていたと見られる人々もいて、声が出ていないとか、オケがうまくなっているとかいろいろ喋っている。演劇も、演出も、歌手の歌も、オケの鳴りも、全てが一体となったまさに総合舞台芸術。しかし逆に見どころが多すぎて・・・。演出の意図を読み取るのに要素が多すぎて頭を使う、その割にはすんなり感情が入って来る場合も多く、イギリス的な合理的な演出なのかもと思った。演技という意味ではやはり世界超一流のキャストというわけではないので仕方がないが、どうしても弱い。というより迫力や威厳を取り去る演出なのかも知れない。こうなると次作で初登場の我らが英雄ジークフリート君は白痴のように描かれる可能性すらある気がする。楽しみだ。
 ただ、残念なのは、やはり舞台作品である以上、キャストが変わっているのは興がさめる。例えばヴォータンは一年前の『ラインの黄金』ではアラン・タイトスとハリー・ピータースがWキャストを務めたが今回はジェームス・ジョンソンとドニー・レイ・アルバートになっている。おかげで全作で髪がふさふさだったヴォータンは今回禿げてしまった・・・。多少の役の変更は1年おきのプロダクションである以上しかたがないが、せめて作品全体にまたがってよく登場するキャスト(ヴォータン、リュンヒルデ、ジークフリート、アルベリヒ)あたりは同じキャストが好ましいなぁ。


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