『ペストと交霊術』"La Peste et le Médium"


脚本について
 ウーヴェルテュール家のリビングルーム。女当主のアルマンドは、いつものように妹であるカナリーと紅茶を飲んでいる。一見、普通の、時に置き去りにされたような姉妹だが、少し変わった所がある。交霊術で神様と対話をする姉と、ペストの到来を恐れる妹。そして、神様に言われて2人が用意するのは、一体の死体・・・。しかし、物語はサスペンスではない。犯人探し、殺しのトリック、そんな物は描かれない。リビングルームに溢れかえるのは、ただ、無目的な時間の溝の中ですれ違う、理解と愛のいびつで皮肉な物語。そして恋愛に関する若干の悲喜劇。
『毒薬と老嬢』+『ペスト』
 物語は、ウーヴェルテュール家のリビングルームを舞台に進んで行きます。この家には、アルマンドとカナリーという二人の姉妹が住んでいます。今回の構想の最初の出発点は、ジョセフ・ケッセリングの戯曲『毒薬と老嬢』(註1)とアルベール・カミュの小説『ペスト』(註2)を合わせたような作品にするという事だったのですが、この設定は『毒薬と老嬢』を思わせます。「エキセントリックな姉妹がいる居間」です。
『欲望という名の電車』や『何がジェーンに起こったか』や『八月の鯨』(註3)を揚げるまでもなく、姉妹が出て来る作品は多いのですが、その微妙な関係がいつでも何か起こりそうな雰囲気を出していて僕は好きです。大物女優の共演になりやすいのも面白さの一因かもしれませんが。特に『何がジェーンに起こったか』は最高です。
 さて、話がそれましたが、この『ペストと交霊術』も『毒薬と老嬢』のように、姉妹が暮らす居間にいろいろな人がやって来る事で進行して行きます。アルマンドは交霊術師です(ただし作品の中では一度も交霊術は行われない)。そして、彼女は常にこの町がペストに侵されようとしていることを皆に警告しています。カナリーはその事をひどく恐怖しています。ここにカミュの『ペスト』が絡んで来ます。あとは、サマセット・モームの『カジュアリーナ・トリー』(註4)(小説の内容そのものではありませんが)やO・ヘンリーの短編『眠りとの戦い』(註5)などの作品がチラチラっと登場します。
 僕は作品に参照や引用を頻出させるのが好きなんですが、今回は相当控えめです。そして、今回はいつものように「〜学」がベースになっているわけでもありませんので、専門用語もナシです。(だから、参考文献を読まずに済んだ・・・)

註1:ジョセフ・ケッセリングの戯曲。時代設定は第二次世界大戦初期。閑静な住宅街に住むアビィとマーサの老姉妹は町では慈善家で人の良いおばあちゃまで通っているが、生い先の短い老人に毒入りワインを飲ませ、死体を地下室に埋葬していた。寂しい老人を殺害する事を慈善活動と考えている猟奇的な老姉妹を描いたシチュエーション・コメディ。フランク・キャプラが映画化している。
註2:アルベール・カミュの小説。アルジェリアのオラン市にペストが流行したという想定で書かれた長篇。
註3:『欲望という名の電車』はテネシー・ウィリアムズの戯曲。ブランチとステラという姉妹が登場。エリア・カザン監督の映画では、ブランチ役、ビビアン・リー、ステラ役、キム・ハンター。『何がジェーンに起こったか』は1962年公開のロバート・アルドリッチ監督の傑作サイコ・サスペンス。姉妹を演じたのはベティ・デイビスとジョーン・クロフォードという2大女優。『八月の鯨』はリビーとサラという老姉妹が登場する映画。リリアン・ギッシュとベティ・デイビスが演じた。
註4:サマセット・モームの短編集の名前だが、カジュアリーナ・トリーは、東インド諸島、マレー半島にかけて生育する奇木。満月の夜、この木の陰に立つと、未来の秘密を囁く声が聞こえるという伝説がある。
註5:O・ヘンリーの短編小説。風邪薬のキニーネと間違えて、モルヒネを飲んでしまった男の話。
舞台と時代背景
 これまで「現代」の「日本」という設定の芝居はほとんど書いた事がありませんが、今回も異国です。サブタイトルが"La Peste et le Médium"とフランス語になっているように、今回はフランスです。『コントローラー370』で未来のニューヨーク(っぽい町)を、『ミランダ』で1930年代のイギリスの植民島を、『黒い二、三十人の女』で架空の神聖ローマ帝国(ドイツ)を描いたので、次はフランスの番だという思いもあり、丁度、カミュやボオマルシェの作品を読んでいた事もあって、今回はフランス風の設定にしました。特定の場所ではないのですが、フランスっぽい感じ。ウーヴェルテュール家(註6)のリビングルームも僕のイメージでは、ギマール様式やルイ15世様式(註7)などフランスのインテリア様式が混在したような、古いわけではないが、ちょっと値打のありそうな、そして時間から置き去りにされたような空間です。交霊術もペストもフランスにはゆかりがありますし。
 時代背景は、『毒薬と老嬢』の舞台が確か1930〜40年代だったと思います。その時代の影響も確かにありますが、基本的に現代劇(のつもり)です。ただ時間がゆっくり動いて来た町という感じです。古い時代のような印象を受けるかも知れませんが、登場する文物がそれほど古い時代でない事を示しています。例えば、交霊術が心霊主義として登場し研究されて流行り出すのは1840年代以降だし、フォードによる自動車の大量生産は1903年以降の事。また、台詞の中に「国連難民高等弁務官」(註8)というのが出て来ますが、これは1951年設立なんです。だから現代劇です。舞台が古臭い、あるいは古風な印象を与えるとしても、それはそれで良いのですが。

註6:ウーヴェルテュールとは「オーバーチュア(序曲)」のフランス読み。
註7:ギマール様式は、フランスのアール・ヌーヴォーを代表する建築家エクトル・ギマール(Hector GUIMARD1867〜1942)の様式。アイアンワーク、家具のデザインにも秀作を残した。ルイ15世様式は、ルイ15世時代の室内装飾などの様式。ロココ形式にあたる。作者がフランスに持っているイメージの一つに、多くのインテリア様式がある。
註8:1921年北極探検で有名なノルウェーのフリチョフ・ナンセンが国際連盟から初の「難民高等弁務官」に任命されたのが前身。
目的のない物語
宣伝用に「みんなで集まって何かを成し遂げる的な物語が流行り、そしてそんな物語がリアルに思えない、そんな時代に捧げた物語。終わりのない いつまでも続く詩のような、無目的な物語。」というコピーを作りました。何か最終的な目的を持った物語という物があると思います。例えば、恋愛の成就とか、優勝とか、経営に行き詰まった旅館の立て直しとか、犯人の逮捕とか、伯爵を懲らしめるとか。物語が始まって数十分で(あるいはタイトルで)観客はその物語の結末を知らされるタイプの物です。この方法はお客様を楽しませるという事では素晴らしい方法で、登場人物(時には全員で協力して)は一定の目的を持っていて、観客の目的は彼らが目的を達する現場を見る事になります。こうしておくと後はそれぞれの登場人物や事件が合目的(目的にあっている)であれば高揚し、非合目的(邪魔が入ったり、裏切り者が出たり、仲間が死んだり)であればハラハラするという事になります。そして達成された目的に快哉をあげ、涙を誘います。こういった作品のコピーには、たいてい「果たして、××は、〜できるのか?」というような文句が入ります。「果たしてフロドは指輪を捨てられるか?」というわけです。そして僕はこういう作品が大好きなのです。『ロード・オブ・ザ・リング』大好きです。そこで本題なのですが、今回目指したのは、このタイプではない物語です。
 つまり目的性を持たない物語。芝居が始まって何分たとうと、この芝居の結末を予測出来ない。予測できない程のサスペンスということではなくて、予測する意味がないわけです。目的がないのだから結末がどうこうという問題ではなく、はっきり言って今回はこれ以上続けても意味がないと言う所で自動的に物語は終わってしまいます。こういう物語は映画より芝居向き(あるいは、詩や箴言集)だという思いもあって、今回は「目的性を持たない」事を目指してみました。一言で言えば今回はこじんまりした空気の中で、ちょっとエキセントリックな出来事が起こって行く、その様子を眺めていただこうという趣向なのです。勿論こちらもよくあるタイプですが、僕は初挑戦かもしれません。
百合の比喩と性
 舞台となるウーヴェルテュール家の庭には、百合の花が大量に植えられている設定です。手元のシンボル辞典で「百合」を調べた時、その象徴として「純潔」「夫婦の貞節」「女王に相応しい美と気品」「不滅と復活」「男根」「欲望」「後悔」「悲哀」そして「死者に手向ける花」がありました。今回はこれらの象徴をできるだけなんらかの形で取り入れる事にしました。したがって復活や、死者の話しもでてきますし、男根にまつわる話しも登場します。
 元々、今までの作品で描いていない、セクシャルな事を明け透けに書こうという意図もありました。特に昨今のお芝居ではセックスに関する言葉や卑猥な言葉を使うのは普通だとも思いますし(以前、観たパトリック・マーバーの『クローサー』もそうでしたし)、フランス風と決めた時、ミシェル・フーコーの『性の歴史』を思い出したので、今回は性に関する言説を取り入れる事にしました。そこにはホモセクシャル(ゲイもレズも)も登場しますし、偏見かもしれませんが、フランスと言えば、エロス、性愛というイメージもありましたので。
セメレー
 ミュゼットの夢に出てくるギリシア神話のセメレーの物語。ここが劇中劇になっています。セメレーはゼウスの愛の証を得るために、ヘラに唆されてゼウスの雷によって焼け死んだ女性とされています。このセメレーの話は、潤色されヘンデルのオラトリオにもなっており(『セメレ』)、今回はこのオラトリオの筋と歌詞を参考にして使っています。
 ここに、ミュゼットが亡き母(サラバンド)から教わった愛する人を失った神様の涙のエピソードが加わります。