第10場 | |
| 居間。ガイヤルドとヴォルタしかいない。 |
ヴォルタ | 交霊術師の家ってのは、こんなもんなんですか? |
ガイヤルド | 交霊術は関係ないと思うが、この家が呪われている事は確かだな。 |
ヴォルタ | 交霊って、死神を呼んでるんじゃないですか? |
ガイヤルド | なるほど。だとしたらたいした交霊術じゃないか。 |
ヴォルタ | でも、我々が来てからだとすると、案外、我々のどちらかが。 |
ガイヤルド | 二人ともかもしれんよ。もしかして、我々を恨んでいる・・・ |
ヴォルタ | フルラーナ・・・。 |
ガイヤルド | 馬鹿馬鹿しい。 |
ヴォルタ | 気味悪い家だ。 |
ガイヤルド | うん・・・いや、しかし、あのアルマンドって人は元々、おかしいんだよ。 |
ヴォルタ | というと? |
ガイヤルド | ペストだよ。考えてみれば、初めてここに来た時、玄関で背中を確認させられただろ?あれ、おかしいよ。 |
ヴォルタ | 背中に黒い斑点があるかどうか確認してたんですよ。 |
ガイヤルド | ペストなんて、今どきないんだよ。 |
ヴォルタ | 嘘だと? |
ガイヤルド | 嘘、というのとは違う。多分、彼女は信じている。 |
ヴォルタ | 思い込み?いやいや、それにしちゃ、詳しすぎますよ。彼女。まるで見て来たように。 |
アルマンド | (フラッシュバックで、ただ同じ芝居ではなく、本を読むような感じで〉ペストよ。確実。麻痺及び虚脱、目の充血、口腔の汚染、頭痛、リンパ腺腫脹、猛烈な乾き、精神錯乱、身体の斑点、内部からの傷口破裂、そして、それら全ての最後に・・・。脈拍は極微となり、些細な動作の際に突然死の転機をとる。分かるんですよ。ペストにかかる人間は、まず、寒気に襲われて、背中に黒い斑点が出るのだから。 |
ヴォルタ | 思い込みとは思えない科学的知識というか・・・ |
ガイヤルド | (一冊の本を渡す) |
ヴォルタ | これは? |
ガイヤルド | そのテーブルの上にあった。昨夜眠れなくて、拝借したんだ。そこを読んでご覧。しおりの・・・ |
ヴォルタ | 赤線の? |
ガイヤルド | そう。それを見つけた時、確信したんだ。 |
ヴォルタ | ええと「麻痺及び虚脱、目の充血、口腔の汚染、頭痛、リンパ腺腫脹、猛烈な乾き、精神錯乱、身体の斑点、内部からの傷口破裂、そして、それら全ての最後に・・・。脈拍は極微となり、些細な動作の際に突然死の転機をとる。」 |
ガイヤルド | 一字一句同じだよ。 |
ヴォルタ | これは、カミュの『ペスト』。 |
ガイヤルド | 小説だよ。そういうことだろう。 |
ヴォルタ | え?今一つ、良く分からないな。 |
ガイヤルド | つまり、それを読んでいるうちに彼女は思い込んでしまった。 |
ヴォルタ | となると、交霊術も。 |
ガイヤルド | 妄想ゆえの交霊術か、交霊術ゆえの妄想か。いずれにせよ、才能なのかもしれない。まあ、死んだ人の事をとやかく言うのはよそう。 |
アルマンド | (フラッシュバック)この家は、大丈夫、私が守っているから。でも感じる、呪詛の言葉、黒い斑点が、誰かの背中に表れるのがぁぁぁぁ。 |
ヴォルタ | 僕、見ちゃったんですよ。あの夜。ミュゼットさんが・・・ |
ガイヤルド | ミュゼットさんが? |
ヴォルタ | (ふいに思い付いて)ガイヤルド、背中を見てくれませんか?(服をぬぎかかる) |
ガイヤルド | 背中?ああ、バカだな。ペストの黒い痣は、腋窩(えきか=腋の下)か鼠蹊部(そけいぶ=足の付け根)にでるものだ。リンパ腺腫なのだから。 |
ヴォルタ | でも |
ガイヤルド | (にやりと笑って)昨晩さんざん見せてもらったよ。背中も、鼠蹊部も、腋窩も、(笑って)女を楽しませるためについているんじゃない所も。 |
ヴォルタ | あれは、ギクリとしましたね。 |
| 意味ありげな沈黙。ガイヤルドがヴォルタにそっと触れる。頬にキスをしてもよい。 |
ガイヤルド | フルラーナが君を連れて来た事に感謝をしなくては。私はシャワーを浴びる。そしてさっさと帰ろう。死神に取り憑かれる前に。 |
ヴォルタ | 夫と愛人。やっぱ、彼女、僕らの事、呪ってるでしょうね。 |
ガイヤルド | (あっさりと)そんな事は知らん。 |
| ガイヤルド、バスルームへ退場。ヴォルタ、それを見送るが、やはり気になるのか、自分で背中を見ようと、観客に背中を向けたまま、ゆっくり上着を脱ぐ。高まる音楽。彼の背中に黒い斑点がある事を観客は期待する(ヒッチコック的演出で)。背中が完全に現れた時、観客は彼の背中に斑点がない事を知る、その直後。 |
ガイヤルド | (声のみ)(悲痛な叫び)ヴォルタ!! |
ヴォルタ | どうしました? |
ガイヤルド | ヴォルタ! |
ヴォルタ | ガイヤルド? |
ガイヤルド | 背中だ、私の!背中に!! |
| ヴォルタ、急いでバスルームに消える。暗転。 |
第11場 | |
| 誰もいない居間。ブレーとカドリーユがいちゃつきながら降りて来る。(たった今まで、セックスをしていたと思われる) |
カドリーユ | 本当に大丈夫? |
ブレー | 何が? |
カドリーユ | シャワー、一緒に入って?奥様にバレない? |
ブレー | 大丈夫だよ。 |
| ブレー、バスルームに入る。 |
ブレー | あ!(凍り付いた声で)カドリーユ、シャワーは無理だ。 |
カドリーユ | どうして?ベタベタだよ。 |
ブレー | せ、先客が。 |
カドリーユ | 先客? |
ブレー | 来るな! |
カドリーユ | な、何? |
| カドリーユ、覗き込んで青ざめる。ミュゼットが降りて来る。 |
ブレー | 奥様。 |
ミュゼット | バスルームはしばらく使えません。 |
ブレー | ご存じで・・・ヴォルタは? |
ミュゼット | いません。探しましたが、荷物もありません。出ていったのでしょうね。 |
ブレー | では?ヴォルタが。 |
ミュゼット | なんですか?二人とも(服が乱れているのを見て) |
ブレー | 気の毒に。 |
ミュゼット | カドリーユ。帰りましょう。家に。用意をして。 |
カドリーユ | は、はい。(逃げるように2階に) |
ブレー | 手伝って来ます。 |
ミュゼット | 私。 |
ブレー | え? |
ミュゼット | 二人は付き合っていたと思うの。 |
ブレー | 二人?え? |
ミュゼット | 二人よ。 |
ブレー | (カドリーユの去った方を見て)奥様。それでしたら、実は--- |
ミュゼット | ガイヤルドさんと、ヴォルタさん。 |
ブレー | え?ええ? |
ミュゼット | ええ。 |
ブレー | 男、同士ですよ。 |
ミュゼット | 悪いの? |
ブレー | ええ、だって、うわー気持ち悪いですね。 |
ミュゼット | そう? |
ブレー | そうですよ。男同士なんて。 |
ミュゼット | あなた、女の人が好き? |
ブレー | そりゃ、そうですよ。 |
ミュゼット | 誰か好きな人は? |
ブレー | いますよ。 |
ミュゼット | その人が男になっちゃたら? |
ブレー | 男にならないから、好きなんですよ。 |
ミュゼット | じゃ、ある朝起きたら、あなたは女になってました。それでも女の人が好きよね? |
ブレー | あ、難しいな。レズだ。それにしても、ええ?本当ですか? |
ミュゼット | (赤くなって)なんとなく、分かるの。私には・・・。 |
ブレー | あ・・・はあ。でも、そいじゃ、可哀想なのは、フルラーナさんでしたっけ、そりゃ自殺しますよね。 |
ミュゼット | フルラーナ? |
ブレー | だって、夫を捨てて愛人を作ったけど、その愛人が今度は彼女を捨てて、別の人に走ったわけでしょ。それが男で、しかも自分の夫ですよ。三重苦?二重苦か?こんがらがってよくわかりませんけど。 |
ミュゼット | 表現自体が間違っているかも。(ふと何かに気付き)あなた、趣味の良い香水つけてるわね。 |
ブレー | え?香水?そんなのつけてませんよ。 |
ミュゼット | あら、(もうすでに泣きそうな心持ち)そう、でも・・・ブレー、庭の百合を持って帰りたいの、根っこごと30本くらい抜いて来てくれない? |
ブレー | 30本? |
ミュゼット | じゃあ、50本。 |
ブレー | 50本。(退場) |
ミュゼット | カドリーユ。ちょっと降りて来て。 |
カドリーユ | (登場して)なんでしょう?奥様。 |
ミュゼット | ここに座って。 |
カドリーユ | あ、はい。 |
ミュゼット | 香水。使ってくれてるのね。 |
カドリーユ | あ、わかります?ありがとうございます。 |
ミュゼット | ちょっと付け過ぎかも。 |
カドリーユ | 良く分からなくて。 |
ミュゼット | クラントが言ってたわ。 |
カドリーユ | え? |
ミュゼット | あなたとの事。あなたとは遊びだって。 |
カドリーユ | そん----- |
ミュゼット | 嘘よ。 |
カドリーユ | 嘘。奥様・・・あ!(バレた) |
ミュゼット | 庭で百合を摘んでもらっているの。(呟くように)ベンジンがあれば・・・燃やしてしまいたい。 |
カドリーユ | え?奥様? |
ミュゼット | 手伝ってきて。 |
カドリーユ | 奥様。大丈夫----- |
ミュゼット | 早く!行って! |
| カドリーユ、慌てて退場。 |
| ミュゼット、窓越しに庭の百合を眺める。ややあって苦笑すると同時に、寒気を感じた動作をする。キニーネを飲もうと思い、棚からキニーネの瓶とグラスを取りソファに座りグラスに6分目まで注ぐ。ミュゼットの「水の量」だ。全く同じ瓶が棚の隣においてあった事を思い出し、以前間違って飲みそうになったモルヒネの事が脳裏に溢れ出す。つと立ち上がり、棚からもう一つの瓶とグラスを取って来る。ソファに戻りグラスに6分目まで注ぐ、一瞬考えて、そのまま9分目まで注ぎ、じっと考え込むように2つのグラスを眺める。(ここで観客にどちらがキニーネで、どちらがモルヒネの瓶であるか明示する必要はない) |
| ここから三つのシーンが同時進行。 |
| 前のシーンに戻り、ガイヤルドの背中を見たヴォルタが逃げるようにバスルームから飛び出して来る。 |
ガイヤルド | (服を羽織りながら登場する)ヴォルタ! |
ヴォルタ | 来るな! |
ガイヤルド | ヴォルタ!大丈夫だ。これはペストでは---- |
ヴォルタ | 近寄るな。 |
ガイヤルド | ヴォルタ!待て。ヴォルタ! |
| クラント登場。ガイヤルドたちが無言になるタイミングで過去のミュゼットに語りかけるように台詞を紡ぐ。 |
クラント | 愛を確かめる薬があるんだって。 |
ヴォルタ | やめろ、フルラーナ。 |
ガイヤルド | ヴォルタ!何を言っている? |
ヴォルタ | フルラーナ!来るな!(ガイヤルドを避けようと突き飛ばす) |
クラント | その薬を飲むと、一番愛している人の事だけ忘れてしまうんだ。 |
| なおも近寄って来るガイヤルドにカジュアリーナ・トーリーの鉢植えで防戦するヴォルタ。 |
クラント | 愛している人にその薬を飲ませて、自分の事を忘れていれば、愛されていたって事。愛を確かめて忘れられるか、愛を疑いながら、信じていくか。君ならどっちを選ぶ? |
| バスルームの方に逃げるガイヤルド。ヴォルタの姿だけが見える状態で、鉢植えが振り上げられる。ガイヤルドめがけヴォルタの鉢植えが振り落とされ、同時にミュゼットが9分目のグラスを一気に飲み干す。ミュゼットゆっくりと眠りに落ちて行く。ヴォルタはうまいタイミングで退場できれば良い(一度、暗転しても可)。 |
| 神様とアルマンドが階上など別の場所に登場。チェスでもしながら、軽口を叩いているような和やかな雰囲気。 |
アルマンド | あなたってさあ、今まで誰にも愛されたことないでしょ? |
神様 | そんなことない。世界中の人が私を信仰しているよ。 |
アルマンド | 信じてるだけよ。愛するってのとは違うでしょ? |
神様 | 愛されてもいる。人はいろいろな局面で、私の事を愛していると言います。 |
アルマンド | 愛している物の総称としてあなたの名前を利用してるだけじゃない。 |
神様 | 総称。 |
アルマンド | そうよ愛しているほかのたくさんの物の総称、ようは容れ物よ。お金を愛していても貯金箱を愛している人はいないわ。 |
神様 | 私が容れ物だって? |
アルマンド | 確かにみんなあなたを信じている。でも、あなたって、結局、全知全能の絶対者で理解不能。理解できないものを愛せるわけないじゃない。信じられてるってだけで、こんなに図に乗ってるのは、世界で一人、あなただけよ。そして、全能であるはずのあなたにも、分からない事が一つある。 |
神様 | それは? |
アルマンド | 私たち、人間の不安。理解と誤解の狭間で、継続と停止の狭間で恐れ戦く私たちの心。つまり、あなたは、全能だから、人間を理解出来ない。理解できない物を愛しているような振りをするのは、もうやめたら? |
神様 | じゃあ、君は? |
アルマンド | 私は、一番理解できるものを、一番愛している。 |
神様 | 誰?聞くまでもないか。だけど、その理解も間違っていたと気付く日が来る。 |
| クラントが登場し、眠りに落ちたミュゼットの髪を優しく撫でる。その心情は自殺を止めたいがそれが出来ないこと、そしてせめて安らかにいて欲しいことを祈っている。 |
ミュゼット | (かすかに目を開き、ほんとんどかすれた呟き声で、上空を見つめ)フルラーナ。 |
クラント | フルラーナ?(ミュゼットの目線の先に目をやる) |
| 大量の百合を抱えたカドリーユとブレーが登場。 |
ブレー | 百合を50本・・・。 |
カドリーユ | 奥様? |
| 家屋のセットが全て吊り上げられ、ソファの背景に数万本の百合が広がる。
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