『ペストと交霊術』〜La Peste et le Médium〜

第9場〜第11場

第9場

  居間。柱時計の音に導かれ最初の臨終のシーンに戻る。12時の鐘がなる。12回鳴り終わるまでに、皆、冒頭と同じ場所に移動する。鐘の後もしばし沈黙が続く。
ブレー(おずおずと)何も起こらないようですよ。
ガイヤルドま、まさか、生き返るとでも?
カナリー(ソファに死臥しているアルマンドを見つめ)まさか。ただ、私にも教えてくれると思ってたのに。方法を。
ガイヤルド方法?
カナリー生き残る・・・方法。嘘つき・・・。(立ち上がって窓から百合を眺める。)
  直後、暗転し照明が一瞬つくと、ソファの上に立ち上がったアルマンドが見える。さらに暗転し照明が付くと、ソファから降りているアルマンドが見える。同様の照明で、アルマンドは徐々にカナリーに近付いていく。暗転。元通り居間の照明に戻るとアルマンドは元通りベットで死んでいる。
カナリー(奥を向いたまま)あれ?誰か、電気消した?
  一同が不審げにカナリーを見る。カナリーが正面を振り返る。すると両目から夥しい血が流れている。一同、悲鳴。カナリー虚空に手をのばし、うろうろと歩き回り、苦しみながら倒れ絶命。驚いたカドリーユはブレーにしがみつこうとする。その様子がミュゼットの視界の端にとらえられる。

第10場

  居間。ガイヤルドとヴォルタしかいない。
ヴォルタ交霊術師の家ってのは、こんなもんなんですか?
ガイヤルド交霊術は関係ないと思うが、この家が呪われている事は確かだな。
ヴォルタ交霊って、死神を呼んでるんじゃないですか?
ガイヤルドなるほど。だとしたらたいした交霊術じゃないか。
ヴォルタでも、我々が来てからだとすると、案外、我々のどちらかが。
ガイヤルド二人ともかもしれんよ。もしかして、我々を恨んでいる・・・
ヴォルタフルラーナ・・・。
ガイヤルド馬鹿馬鹿しい。
ヴォルタ気味悪い家だ。
ガイヤルドうん・・・いや、しかし、あのアルマンドって人は元々、おかしいんだよ。
ヴォルタというと?
ガイヤルドペストだよ。考えてみれば、初めてここに来た時、玄関で背中を確認させられただろ?あれ、おかしいよ。
ヴォルタ背中に黒い斑点があるかどうか確認してたんですよ。
ガイヤルドペストなんて、今どきないんだよ。
ヴォルタ嘘だと?
ガイヤルド嘘、というのとは違う。多分、彼女は信じている。
ヴォルタ思い込み?いやいや、それにしちゃ、詳しすぎますよ。彼女。まるで見て来たように。
アルマンド(フラッシュバックで、ただ同じ芝居ではなく、本を読むような感じで〉ペストよ。確実。麻痺及び虚脱、目の充血、口腔の汚染、頭痛、リンパ腺腫脹、猛烈な乾き、精神錯乱、身体の斑点、内部からの傷口破裂、そして、それら全ての最後に・・・。脈拍は極微となり、些細な動作の際に突然死の転機をとる。分かるんですよ。ペストにかかる人間は、まず、寒気に襲われて、背中に黒い斑点が出るのだから。
ヴォルタ思い込みとは思えない科学的知識というか・・・
ガイヤルド(一冊の本を渡す)
ヴォルタこれは?
ガイヤルドそのテーブルの上にあった。昨夜眠れなくて、拝借したんだ。そこを読んでご覧。しおりの・・・
ヴォルタ赤線の?
ガイヤルドそう。それを見つけた時、確信したんだ。
ヴォルタええと「麻痺及び虚脱、目の充血、口腔の汚染、頭痛、リンパ腺腫脹、猛烈な乾き、精神錯乱、身体の斑点、内部からの傷口破裂、そして、それら全ての最後に・・・。脈拍は極微となり、些細な動作の際に突然死の転機をとる。」
ガイヤルド一字一句同じだよ。
ヴォルタこれは、カミュの『ペスト』。
ガイヤルド小説だよ。そういうことだろう。
ヴォルタえ?今一つ、良く分からないな。
ガイヤルドつまり、それを読んでいるうちに彼女は思い込んでしまった。
ヴォルタとなると、交霊術も。
ガイヤルド妄想ゆえの交霊術か、交霊術ゆえの妄想か。いずれにせよ、才能なのかもしれない。まあ、死んだ人の事をとやかく言うのはよそう。
アルマンド(フラッシュバック)この家は、大丈夫、私が守っているから。でも感じる、呪詛の言葉、黒い斑点が、誰かの背中に表れるのがぁぁぁぁ。
ヴォルタ僕、見ちゃったんですよ。あの夜。ミュゼットさんが・・・
ガイヤルドミュゼットさんが?
ヴォルタ(ふいに思い付いて)ガイヤルド、背中を見てくれませんか?(服をぬぎかかる)
ガイヤルド背中?ああ、バカだな。ペストの黒い痣は、腋窩(えきか=腋の下)か鼠蹊部(そけいぶ=足の付け根)にでるものだ。リンパ腺腫なのだから。
ヴォルタでも
ガイヤルド(にやりと笑って)昨晩さんざん見せてもらったよ。背中も、鼠蹊部も、腋窩も、(笑って)女を楽しませるためについているんじゃない所も。
ヴォルタあれは、ギクリとしましたね。
  意味ありげな沈黙。ガイヤルドがヴォルタにそっと触れる。頬にキスをしてもよい。
ガイヤルドフルラーナが君を連れて来た事に感謝をしなくては。私はシャワーを浴びる。そしてさっさと帰ろう。死神に取り憑かれる前に。
ヴォルタ夫と愛人。やっぱ、彼女、僕らの事、呪ってるでしょうね。
ガイヤルド(あっさりと)そんな事は知らん。
  ガイヤルド、バスルームへ退場。ヴォルタ、それを見送るが、やはり気になるのか、自分で背中を見ようと、観客に背中を向けたまま、ゆっくり上着を脱ぐ。高まる音楽。彼の背中に黒い斑点がある事を観客は期待する(ヒッチコック的演出で)。背中が完全に現れた時、観客は彼の背中に斑点がない事を知る、その直後。
ガイヤルド(声のみ)(悲痛な叫び)ヴォルタ!!
ヴォルタどうしました?
ガイヤルドヴォルタ!
ヴォルタガイヤルド?
ガイヤルド背中だ、私の!背中に!!
  ヴォルタ、急いでバスルームに消える。暗転。

第11場

  誰もいない居間。ブレーとカドリーユがいちゃつきながら降りて来る。(たった今まで、セックスをしていたと思われる)
カドリーユ本当に大丈夫?
ブレー何が?
カドリーユシャワー、一緒に入って?奥様にバレない?
ブレー大丈夫だよ。
  ブレー、バスルームに入る。
ブレーあ!(凍り付いた声で)カドリーユ、シャワーは無理だ。
カドリーユどうして?ベタベタだよ。
ブレーせ、先客が。
カドリーユ先客?
ブレー来るな!
カドリーユな、何?
  カドリーユ、覗き込んで青ざめる。ミュゼットが降りて来る。
ブレー奥様。
ミュゼットバスルームはしばらく使えません。
ブレーご存じで・・・ヴォルタは?
ミュゼットいません。探しましたが、荷物もありません。出ていったのでしょうね。
ブレーでは?ヴォルタが。
ミュゼットなんですか?二人とも(服が乱れているのを見て)
ブレー気の毒に。
ミュゼットカドリーユ。帰りましょう。家に。用意をして。
カドリーユは、はい。(逃げるように2階に)
ブレー手伝って来ます。
ミュゼット私。
ブレーえ?
ミュゼット二人は付き合っていたと思うの。
ブレー二人?え?
ミュゼット二人よ。
ブレー(カドリーユの去った方を見て)奥様。それでしたら、実は---
ミュゼットガイヤルドさんと、ヴォルタさん。
ブレーえ?ええ?
ミュゼットええ。
ブレー男、同士ですよ。
ミュゼット悪いの?
ブレーええ、だって、うわー気持ち悪いですね。
ミュゼットそう?
ブレーそうですよ。男同士なんて。
ミュゼットあなた、女の人が好き?
ブレーそりゃ、そうですよ。
ミュゼット誰か好きな人は?
ブレーいますよ。
ミュゼットその人が男になっちゃたら?
ブレー男にならないから、好きなんですよ。
ミュゼットじゃ、ある朝起きたら、あなたは女になってました。それでも女の人が好きよね?
ブレーあ、難しいな。レズだ。それにしても、ええ?本当ですか?
ミュゼット(赤くなって)なんとなく、分かるの。私には・・・。
ブレーあ・・・はあ。でも、そいじゃ、可哀想なのは、フルラーナさんでしたっけ、そりゃ自殺しますよね。
ミュゼットフルラーナ?
ブレーだって、夫を捨てて愛人を作ったけど、その愛人が今度は彼女を捨てて、別の人に走ったわけでしょ。それが男で、しかも自分の夫ですよ。三重苦?二重苦か?こんがらがってよくわかりませんけど。
ミュゼット表現自体が間違っているかも。(ふと何かに気付き)あなた、趣味の良い香水つけてるわね。
ブレーえ?香水?そんなのつけてませんよ。
ミュゼットあら、(もうすでに泣きそうな心持ち)そう、でも・・・ブレー、庭の百合を持って帰りたいの、根っこごと30本くらい抜いて来てくれない?
ブレー30本?
ミュゼットじゃあ、50本。
ブレー50本。(退場)
ミュゼットカドリーユ。ちょっと降りて来て。
カドリーユ(登場して)なんでしょう?奥様。
ミュゼットここに座って。
カドリーユあ、はい。
ミュゼット香水。使ってくれてるのね。
カドリーユあ、わかります?ありがとうございます。
ミュゼットちょっと付け過ぎかも。
カドリーユ良く分からなくて。
ミュゼットクラントが言ってたわ。
カドリーユえ?
ミュゼットあなたとの事。あなたとは遊びだって。
カドリーユそん-----
ミュゼット嘘よ。
カドリーユ嘘。奥様・・・あ!(バレた)
ミュゼット庭で百合を摘んでもらっているの。(呟くように)ベンジンがあれば・・・燃やしてしまいたい。
カドリーユえ?奥様?
ミュゼット手伝ってきて。
カドリーユ奥様。大丈夫-----
ミュゼット早く!行って!
  カドリーユ、慌てて退場。
  ミュゼット、窓越しに庭の百合を眺める。ややあって苦笑すると同時に、寒気を感じた動作をする。キニーネを飲もうと思い、棚からキニーネの瓶とグラスを取りソファに座りグラスに6分目まで注ぐ。ミュゼットの「水の量」だ。全く同じ瓶が棚の隣においてあった事を思い出し、以前間違って飲みそうになったモルヒネの事が脳裏に溢れ出す。つと立ち上がり、棚からもう一つの瓶とグラスを取って来る。ソファに戻りグラスに6分目まで注ぐ、一瞬考えて、そのまま9分目まで注ぎ、じっと考え込むように2つのグラスを眺める。(ここで観客にどちらがキニーネで、どちらがモルヒネの瓶であるか明示する必要はない)
  ここから三つのシーンが同時進行。
  前のシーンに戻り、ガイヤルドの背中を見たヴォルタが逃げるようにバスルームから飛び出して来る。
ガイヤルド(服を羽織りながら登場する)ヴォルタ!
ヴォルタ 来るな!
ガイヤルドヴォルタ!大丈夫だ。これはペストでは----
ヴォルタ 近寄るな。
ガイヤルドヴォルタ!待て。ヴォルタ!
  クラント登場。ガイヤルドたちが無言になるタイミングで過去のミュゼットに語りかけるように台詞を紡ぐ。
クラント愛を確かめる薬があるんだって。
ヴォルタやめろ、フルラーナ。
ガイヤルドヴォルタ!何を言っている?
ヴォルタフルラーナ!来るな!(ガイヤルドを避けようと突き飛ばす)
クラントその薬を飲むと、一番愛している人の事だけ忘れてしまうんだ。
  なおも近寄って来るガイヤルドにカジュアリーナ・トーリーの鉢植えで防戦するヴォルタ。
クラント愛している人にその薬を飲ませて、自分の事を忘れていれば、愛されていたって事。愛を確かめて忘れられるか、愛を疑いながら、信じていくか。君ならどっちを選ぶ?
  バスルームの方に逃げるガイヤルド。ヴォルタの姿だけが見える状態で、鉢植えが振り上げられる。ガイヤルドめがけヴォルタの鉢植えが振り落とされ、同時にミュゼットが9分目のグラスを一気に飲み干す。ミュゼットゆっくりと眠りに落ちて行く。ヴォルタはうまいタイミングで退場できれば良い(一度、暗転しても可)。
  神様とアルマンドが階上など別の場所に登場。チェスでもしながら、軽口を叩いているような和やかな雰囲気。
アルマンドあなたってさあ、今まで誰にも愛されたことないでしょ?
神様そんなことない。世界中の人が私を信仰しているよ。
アルマンド信じてるだけよ。愛するってのとは違うでしょ?
神様愛されてもいる。人はいろいろな局面で、私の事を愛していると言います。
アルマンド愛している物の総称としてあなたの名前を利用してるだけじゃない。
神様総称。
アルマンドそうよ愛しているほかのたくさんの物の総称、ようは容れ物よ。お金を愛していても貯金箱を愛している人はいないわ。
神様私が容れ物だって?
アルマンド確かにみんなあなたを信じている。でも、あなたって、結局、全知全能の絶対者で理解不能。理解できないものを愛せるわけないじゃない。信じられてるってだけで、こんなに図に乗ってるのは、世界で一人、あなただけよ。そして、全能であるはずのあなたにも、分からない事が一つある。
神様それは?
アルマンド私たち、人間の不安。理解と誤解の狭間で、継続と停止の狭間で恐れ戦く私たちの心。つまり、あなたは、全能だから、人間を理解出来ない。理解できない物を愛しているような振りをするのは、もうやめたら?
神様じゃあ、君は?
アルマンド私は、一番理解できるものを、一番愛している。
神様誰?聞くまでもないか。だけど、その理解も間違っていたと気付く日が来る。
  クラントが登場し、眠りに落ちたミュゼットの髪を優しく撫でる。その心情は自殺を止めたいがそれが出来ないこと、そしてせめて安らかにいて欲しいことを祈っている。
ミュゼット(かすかに目を開き、ほんとんどかすれた呟き声で、上空を見つめ)フルラーナ。
クラントフルラーナ?(ミュゼットの目線の先に目をやる)
  大量の百合を抱えたカドリーユとブレーが登場。
ブレー百合を50本・・・。
カドリーユ奥様?
  家屋のセットが全て吊り上げられ、ソファの背景に数万本の百合が広がる。