第9場 | |
| 居間。柱時計の音に導かれ最初の臨終のシーンに戻る。ミュゼット窓の外を眺める。ガイヤルドが寄り添い、声をかける。 |
ガイヤルド | 雨が続きますね。止んで欲しいですか? |
ミュゼット | ええ。陰鬱ですもの。 |
ガイヤルド | 雨が止むことを祈るなら、死も受け入れなくては。大変、残念ですが。 |
ミュゼット | え?ええ。そうです。その通りです。 |
| カナリー、二人を睨む。12時の鐘が鳴り始める。鐘が鳴り終わりしばし沈黙が続く。 |
ブレー | (遺書を再度眺め、おずおずと)何も起こらないようですよ。 |
ガイヤルド | ま、まさか、生き返るとでも? |
カナリー | (ソファに死臥しているアルマンドを見つめ)まさか。ただ、私にも教えてくれると思ってたのに。方法を。 |
ガイヤルド | 方法? |
カナリー | 生き残る・・・儀式。ん?見て。手がおかしな形になってる。これが儀式? |
ミュゼット | 叔母様、それ私がやったんです。 |
カナリー | え?なんだって? |
ミュゼット | 母がよくそうやって眠っていたので。安らかに旅立ってもらえるかと。 |
カナリー | あ、ああ、そういうこと。じゃ、関係ないのね。そうだった。あなたのお母さん、手をこうして寝る癖があったのよ。昔から。なんだかの涙?が落ちてきた時にすくえるようにとかって。 |
カドリーユ | 神様の涙でしたっけ。 |
カナリー | そうそう!神様のって馬鹿じゃないの!だから私、カメムシ入れてやったことがあるのよ。 |
ミュゼット | カメムシ? |
カナリー | そうよ。あの子、カメムシ握って寝てたのよ。わはは。猛烈に怒られた。 |
ガイヤルド | そりゃそうでしょうね。 |
カナリー | そんなの、神様の涙?だって同じじゃない。猛毒なんだから。 |
カドリーユ | え?眠り薬じゃ? |
カナリー | そうなの?猛毒だってあの子言ってたわよ。 |
ガイヤルド | ま、どちらも似たようなところはありますからね。 |
カナリー | ふーん。ま、とんだ嘘つきね、嘘つき姉妹ね。あなたのお母さんも、この人も。本当に嘘つき・・・。雨って大嫌い、なんだか土とか草とかの匂いがわっと立ちこめてくる。百合の香りも台無し。(立ち上がって窓から百合を眺める。)百合、燃やした方が良かったのかなぁ。 |
| 直後、暗転し照明が一瞬つくと、ソファの上に立ち上がったアルマンドが見える。さらに暗転し照明が付くと、ソファから降りているアルマンドが見える。同様の照明で、アルマンドは徐々にカナリーに近付いていく。暗転。元通り居間の照明に戻るとアルマンドは元通りベットで死んでいる。 |
カナリー | (奥を向いたまま)あれ?誰か、電気消した? |
| 一同が不審げにカナリーを見る。カナリーが正面を振り返る。すると両目から夥しい血が流れている。一同、悲鳴。カナリー虚空に手をのばし、うろうろと歩き回り、苦しみながら倒れ絶命。驚いたカドリーユはブレーにしがみつこうとする。その様子がミュゼットの視界の端にとらえられる。 |
第10場 | |
| 居間。ガイヤルドとヴォルタしかいない。ガイヤルドは本を読んでいる。 |
ヴォルタ | 交霊術師の家ってのは、こんなもんなんですか? |
ガイヤルド | 交霊術は関係ないと思うが、この家が呪われている事は確かだな。(鉢植えを見て)まさに日の当たる場所なんてないわけだ。 |
ヴォルタ | 交霊って、死神を呼んでるんじゃないですか? |
ガイヤルド | なるほど。だとしたらたいした交霊術じゃないか。 |
ヴォルタ | でも、我々が来てからだとすると、案外、我々のどちらかが。 |
ガイヤルド | 二人ともかもしれんよ。もしかして、我々を恨んでいる霊が・・・ |
ヴォルタ | フルラーナ・・・。 |
ガイヤルド | 馬鹿馬鹿しい。 |
ヴォルタ | 気味の悪い家だ。 |
ガイヤルド | 案外、本当にトキソプラズマのせいかもしれないな。あの時は伏せたが、統合失調症や自殺にも関わりがあると聞いたことがある。 |
ヴォルタ | (笑いながら)ペストじゃなくて? |
ガイヤルド | ペストなんてありえないさ。あのアルマンドって人は元々、おかしいんだよ。 |
ヴォルタ | というと? |
ガイヤルド | ペストだよ。考えてみれば、初めてここに来た時、玄関で背中を確認させられただろ?あれ、おかしいよ。 |
ヴォルタ | 背中に黒い斑点があるかどうか確認してたんですよ。 |
ガイヤルド | ペストなんて、今どきないんだよ。 |
ヴォルタ | 嘘だと? |
ガイヤルド | 嘘、というのとは違う。彼女はそう思いこんでいる。 |
ヴォルタ | 思いこみ?いやいや、それにしちゃ、詳しすぎますよ。彼女。まるで見て来たように症状を色々言っていたじゃないですか。 |
ガイヤルド | (読んでいた本のあらかじめ栞を挟んでいた所を何気なく開き〉麻痺及び虚脱、目の充血、口腔の汚染、頭痛、リンパ腺腫脹、猛烈な乾き、精神錯乱、身体の斑点、内部からの傷口破裂、そして、それら全ての最後に・・・。脈拍は極微となり、些細な動作の際に突然死の転機をとる。 |
ヴォルタ | そうそう、それです!思いこみとは思えない科学的知識、というかよく覚えてますね!! |
ガイヤルド | 覚えてないよ。(読んでいた本を渡す) |
ヴォルタ | これは? |
ガイヤルド | そのテーブルの上にあった。書いてあるんだよ。ほら。 |
ヴォルタ | あ!「麻痺及び虚脱、目の充血、口腔の汚染、頭痛、リンパ腺腫脹・・・。」これは?
|
ガイヤルド | アルべール・カミュ『ペスト』。小説だよ。ある町にペストが蔓延する話だ。そういうことだろう。 |
ヴォルタ | 全て妄想だと? |
ガイヤルド | そうなると、交霊術も分からんな。妄想ゆえの交霊術か、交霊術ゆえの妄想か。いずれにせよ、あそこまで徹底すれば才能だよ。まあ、死んだ人の事をとやかく言うのはよそう。 |
ヴォルタ | (ふいに思い付いて)ガイヤルド、背中を見てくれませんか?(服をぬぎかかる) |
ガイヤルド | 背中?ああ、バカだな。ペストの黒い痣は、腋窩(えきか=腋の下)か鼠蹊部(そけいぶ=足の付け根)にでるものだ。リンパ腺腫なのだから。 |
ヴォルタ | でも |
ガイヤルド | (にやりと笑って)昨晩見たさ。君の背中も、鼠蹊部も、腋窩も、(笑って)女を楽しませるためについているんじゃない所も。 |
ヴォルタ | あれは、ギクリとしましたね。 |
| 意味ありげな沈黙。ガイヤルドがヴォルタにそっと触れる。頬にキスをしてもよい。 |
ガイヤルド | フルラーナが君を連れて来た事に感謝をしなくては。私はシャワーを浴びる。そしてさっさと帰ろう。死神に取り憑かれる前に。 |
ヴォルタ | 夫と愛人。やっぱ、彼女、僕らの事、呪ってるでしょうね。 |
ガイヤルド | (あっさりと)そんな事は知らん。 |
| ガイヤルド、バスルームへ退場。ヴォルタ、それを見送るが、やはり気になるのか、自分で背中を見ようと、観客に背中を向けたまま、ゆっくり上着を脱ぐ。高まる音楽。彼の背中に黒い斑点がある事を観客は期待する(ヒッチコック的演出で)。背中が完全に現れた時、観客は彼の背中に斑点がない事を知る、その直後。 |
ガイヤルド | (声のみ)(悲痛な叫び)ヴォルタ!! |
ヴォルタ | どうしました? |
ガイヤルド | ヴォルタ! |
ヴォルタ | ガイヤルド? |
ガイヤルド | 背中だ、私の!背中に!! |
| ヴォルタ、急いでバスルームに消える。暗転。 |
第11場 | |
| 誰もいない居間でブレーとカドリーユがいちゃついている。 |
カドリーユ | 本当に大丈夫? |
ブレー | 何が? |
カドリーユ | シャワー、一緒に入って?奥様にバレない? |
ブレー | 大丈夫だよ。 |
| ブレー、バスルームに入る。 |
ブレー | あ!(凍り付いた声で)カドリーユ、シャワーは無理だ。 |
カドリーユ | どうして? |
ブレー | せ、先客が。 |
カドリーユ | 先客? |
ブレー | 来るな! |
カドリーユ | な、何? |
| カドリーユ、覗き込んで悲鳴を上げ青ざめる。ミュゼットが降りて来る。 |
ブレー | 奥様。 |
カドリーユ | お医者様がお風呂場で死んで・・・ |
ミュゼット | ええ、しばらくは使えませんね。 |
ブレー | ご存じで・・・ヴォルタは? |
ミュゼット | 庭に倒れてました。クレントと同じところから飛び降りたのかな。 |
ブレー | 一体、何が? |
ミュゼット | ・・・この家のせいなのかも。 |
ブレー | この家の? |
ミュゼット | カドリーユ。うちに帰りましょう。用意をして。 |
カドリーユ | は、はい。(逃げるように2階に) |
ブレー | 手伝って来ます。 |
ミュゼット | 私。 |
ブレー | え? |
ミュゼット | 二人は付き合っていたと思うの。 |
ブレー | 二人?え? |
ミュゼット | 二人よ。 |
ブレー | (カドリーユの去った方を見て)奥様。それでしたら、実は・・・ |
ミュゼット | ガイヤルドさんと、ヴォルタさん。 |
ブレー | え?ええ? |
ミュゼット | ええ。 |
ブレー | 男、同士ですよ。 |
ミュゼット | 悪いの? |
ブレー | ええ、だって、本当ですか? |
ミュゼット | あなた、女の人が好き? |
ブレー | そりゃ、そうですよ。 |
ミュゼット | 誰か好きな人は? |
ブレー | いますよ。 |
ミュゼット | その人が男になっちゃたら? |
ブレー | 男にならないから、好きなんですよ。 |
ミュゼット | じゃ、ある朝起きたら、あなたは女になってました。それでも女の人が好きよね? |
ブレー | あ、難しいな。それにしても、なんで分かったんですか?現場でも? |
ミュゼット | なんとなく・・・。 |
ブレー | はあ。でも、それじゃ、可哀想なのは、フルラーナさんでしたっけ、そりゃ自殺しますよね。 |
ミュゼット | フルラーナ? |
ブレー | だって、夫を捨てて愛人を作ったけど、その愛人が今度は彼女を捨てて、別の人に走ったわけでしょ。それが男で、しかも自分の夫ですよ。三重苦?二重苦か?こんがらがってよくわかりませんけど。 |
ミュゼット | 多重事故。(ふと何かに気付き)あなた、趣味の良い香水つけてるわね。 |
ブレー | え?香水?そんなのつけてませんよ。 |
ミュゼット | あら、(もうすでに泣きそうな心持ち)そう、でも・・・ブレー、庭の百合を持って帰りたいの、根っこごと30本くらい抜いて来てくれない? |
ブレー | 30本? |
ミュゼット | じゃあ、50本。 |
ブレー | 50本。(退場) |
| ミュゼット、窓越しに庭の百合を眺める。ややあって苦笑すると同時に、寒気を感じた動作をする。キニーネを飲もうと思い、棚からキニーネの瓶とグラスを取りソファに座りグラスに6分目まで注ぐ。ミュゼットの「水の量」だ。全く同じ瓶が棚の隣においてあった事を思い出し、以前間違って飲みそうになったモルヒネの事が脳裏に溢れ出す。ふと立ち上がり、棚のモルヒネを握る。 |
ミュゼット | カドリーユ。カドリーユ。 |
カドリーユ | (登場して)なんでしょう?奥様。 |
| ミュゼット、深く息を吸い込みカドリーユの香水を嗅ぐ。 |
ミュゼット | ちょっと付け過ぎかも。ブレーに庭で百合を摘んでもらっているの。(呟くように)ベンジンがあれば・・・燃やしてしまいたいけど。 |
カドリーユ | え?奥様? |
ミュゼット | 手伝ってきて。 |
カドリーユ | 奥様。大丈夫・・・ |
ミュゼット | 早く!行って! |
| カドリーユ、慌てて退場。 |
| ミュゼット、棚からモルヒネの瓶とグラスを取って来る。ソファに戻りグラスに6分目まで注ぐ、一瞬考えて、そのまま9分目まで注ぎ、じっと考え込むように2つのグラスを眺める。(ここで観客にどちらがキニーネで、どちらがモルヒネの瓶であるか明示する必要はない) |
| 前のシーンに戻り、ガイヤルドの背中を見たヴォルタが逃げるようにバスルームから飛び出して来る。 |
ガイヤルド | (服を羽織りながら登場する)ヴォルタ! |
ヴォルタ | 来るな! |
ガイヤルド | ヴォルタ!大丈夫だ。これはペストではない |
ヴォルタ | 近寄るな。 |
ガイヤルド | ヴォルタ!待て。ヴォルタ! |
| クラント登場。過去のミュゼットに語りかけるように台詞を紡ぐ。 |
クラント | 愛を確かめる薬があるんだって。 |
ヴォルタ | やめろ、フルラーナ。君のせいだ! |
ガイヤルド | ヴォルタ!何を言っている? |
ヴォルタ | フルラーナ!君が井戸に近づくから。来るな!(ガイヤルドを避けようと突き飛ばす。ガイヤルド倒れる。) |
クラント | その薬を飲むと、一番愛している人の事だけ忘れてしまうんだ。 |
| 呻きながら這い寄ってくるガイヤルドにヴォルタはカジュアリーナ・トリーの鉢植えを手にする。 |
クラント | 愛している人にその薬を飲ませて、自分の事を忘れていれば、愛されていたって事。愛を確かめて忘れられるか、愛を疑いながら、信じていくか。君ならどっちを選ぶ? |
ヴォルタ | 君が井戸に近づくから。君が井戸をのぞき込むから。僕は、僕は。 |
ガイヤルド | ヴォルタ!フルラーナのことなんて、どうでも良いじゃないか! |
| ヴォルタが鉢植えを振り下ろそうとするので、バスルームの方に逃げるガイヤルド。ヴォルタの姿だけが見える状態で、鉢植えが振り上げられる。 |
ヴォルタ | (女性の声で)あなた!そうはいかないわよ! |
| ガイヤルドめがけヴォルタの鉢植えが振り落とされ、同時にミュゼットが9分目のグラスを一気に飲み干す。ミュゼットゆっくりと眠りに落ちて行く。ヴォルタは我に返り、ガイヤルドに歩み寄る。 |
ヴォルタ | (元の声で)ガイヤルド!ガイヤルド!神様!神様! |
| 神様とアルマンドが階上など別の場所に登場。チェスでもしながら、軽口を叩いているような和やかな雰囲気。 |
神様 | あれは、感謝の祈りか、絶望の叫びか。気安く呼ばないでほしいな。 |
アルマンド | あなたってさあ、今まで誰にも愛されたことないでしょ? |
神様 | そんなことない。世界中の人が私を信仰しているよ。 |
アルマンド | 信じてるだけよ。愛するってのとは違うでしょ? |
神様 | 愛されてもいる。人はいろいろな局面で、私の事を愛していると言います。 |
アルマンド | 愛している物の総称としてあなたの名前を利用してるだけじゃない。 |
神様 | 総称。 |
アルマンド | そうよ愛しているほかのたくさんの物の総称、ようは容れ物よ。お金を愛していても貯金箱を愛している人はいないわ。 |
神様 | 私が容れ物だって? |
アルマンド | 確かにみんなあなたを信じている。でも、あなたって、結局、全知全能の絶対者で理解不能。理解できないものを愛せるわけないじゃない。信じられてるってだけで、こんなに図に乗ってるのは、世界で一人、あなただけよ。そして、全能であるはずのあなたにも、分からない事が一つある。 |
神様 | それは? |
アルマンド | 不安。理解と誤解の狭間で、継続と停止の窓際で恐れ戦く私たちの心。絶望にも不条理にも慣れることなんてない。むしろ不条理(絶望)に慣れることは、不条理(絶望)そのものよりたちが悪いわ。要は、あなたは、全能だから、人間を理解出来ない。理解できない物を愛しているような振りをするのは、もうやめたら?
|
神様 | じゃあ、君は? |
アルマンド | 私は、一番理解できるものを、一番愛している。 |
神様 | 何?聞くまでもないか。だけど、その理解も間違っていたと気付く日が来る。 |
| クラントが眠りに落ちたミュゼットの髪を優しく撫でる。ミュゼット、かすかに目を開き、手をお椀のように組み、口元に運んでいく。クラントその手をはっと掴み止めるが、それはむなしい幻想に過ぎず、彼女の手は力なく口元に運ばれていく。その手を優しく下に降ろすクラント。 |
| カドリーユとブレーが登場。カドリーユは百合を一輪だけ隠し持っている。(上演時は百合は枯れてなく、カドリーユは百合の花束を抱えて戻ってくるバージョンが採用された。) |
カドリーユ | 奥様、百合枯れちゃってますよ。 |
ブレー | 根腐れですね。雨で。全滅です。 |
カドリーユ | 奥様?奥様?また眠ってしまわれた。なんちゃって。一輪だけ残ってました。はい。 |
| カドリーユが、ミュゼットの手に優しく百合を一輪置く。ブレーが、懐から何かの薬を出し、カドリーユに振って見せる。 |
カドリーユ | 旦那様の精力剤? |
ブレー | 奥様が寝ている間に。交霊の部屋なら誰も来ない。 |
カドリーユ | もう、誰もいない。 |
| 2人笑いながら、退場。 |