SPEAKER370 volume.04『MILANDA』(ミランダ)-18 Sections you recall on the shorless BEACH-


ビーチ・インフォメーション
 ビーチ・インフォメーションは、役者・スタッフに配布された覚え書きのようなものです。それは、脚本の参考文献、あるいは脚注として機能するとともに、紙上演出とも言えるものです。文中に不的確な表現や間違いが多々ありますが、そのまま掲載します。註は後からつけました。
CONTENTS
#01「植民地=コロニー」--植民地のイメージとは?
#02「ラテン音楽」--ラテンとはどこ?
#03「ハリケーン」--フロリダ・キーズを襲ったハリケーン
#04「ビーチ、島」--ビーチは密室か?
#05「置き時計」--ニーベルングの指輪と置き時計
#06「リゾートの地理」--ハワイ、サモア、フィジー、地図ではどこ?
#07「ビーチで読書」--ビーチが舞台の小説など
#08「年表」--ためになる文化・発明の年表
#09「パラダイス・ロスト」--楽園は本当に楽園か?
#10「(涙の)最終回」--横須賀探訪
#01「植民地=コロニー」
 さて、今回は一回目ということで、これから、インフォメーションしていくことを、ちょっとずつ、お話しします。といっても、これは、別にレクチャーではなく、作家/演出家の心象風景、つまり(現段階で)思い描いているものを、書き綴ったもの。言葉で説明しづらいものだけど、言わないよりは言った方が良いかもしれないので、軽い気持ちで読んでください。最初のキーワードは「植民地=コロニー」。
 植民地は、まぁ、大きな国が、外国に持っている領地だと思っていいわけです。ショアレス・ビーチのある島は、架空の島だけど、設定的にイギリスの植民地ということになってます。植民地は15世紀のコロンブスとかのアメリカ発見から世界を分割するようになるんだけど、イギリスは17世紀の東インド会社から勢力を延ばして、他を圧倒するようになっていくわけです。ちなみに、1870年代に限って言えば、カナダ、インド、南アフリカ、オーストラリアの他に、アメリカ大陸ではホンジュラス、バミューダ、ジャマイカ、トリニダード・トバゴ、ギアナといったカリブ海諸国、アジアでは香港やマラッカ、ブルネイ、ペナン、シンガポールといったマレーシア地域、さらにオーストラリア近辺のニュージーランド、フィジー諸島なんかが植民地。アメリカも独立まではイギリス。世界史はここまで。
 台本上では、特に歴史的なことを踏まえる必要はなく、その島もこれらの文化圏の融合で良いし、別にイギリスに限らなくてもいいわけです。結局、欧米人から見た異文化ってことで一括できるし、ただし植民地なので欧化政策は進んでるはず。上の地域の中で、僕が想定しているのはトリニダード・トバゴ、マレーシアあたりの小さな島、フィジー諸島って感じ。まったく別の文化圏だけど。あと、特に植民者と植民地人の間に深刻な対立はないと思っています(実際はあるけど)。
 台本とか芝居に大きな差はでないんだけど、具体化する時にはモデルになるものが必要なので順に。衣装や美術はそういった異文化融合型である。ただしベトナムやインドシナほどフランスの香りはしない方が良いし、ドイツ的というのでもないので、やはりイギリス色が強い。時代も大きく衣装などにも関わるかもしれないが時代を特定することは難しいです。おおざっぱに19世紀後半から20世紀中頃かな。昔ではあるが大昔ではないという程度。
 植民地を舞台にした映画っていっぱいあります。『ラ・マン』とか『インドシナ』は仏領インドシナが舞台。これは1930年代の設定。『インディージョーンズ2』は上海から英領のインドに冒険する話しですよね。調べてみたらこれも1935年。ハリウッド・スペクタクルの古典的名作『ハリケーン』の舞台は南太平洋のとある島、これも1930年代ぐらいの話しと思われる。どうも1930年代って一つの目安になるような気がするわけです。他にも異国情緒映画のほとんどは植民地モノ。
 さて、次からもっとキーワードを小刻みにインフォメーションしていくつもりです。次のキーワードは「ラテン音楽」です。では。また。(1999.4.27.)
#02「ラテン音楽」
 みなさん、こんにちは。台本に行き詰まり気味の遠藤良太がお届けする「BEACH INFORMATION#02」です。今回は約束通り「ラテン音楽」。実は「ラテン音楽」は今回の台本には該当しないキーワードなのです。なぜでしょう。それはラテンという言葉は、それだけでアンチ・イギリスなのです。まず「ラテン音楽」は、ラテンアメリカの音楽ですからアメリカを想像してください。上からカナダ、アメリカ、メキシコの北アメリカ、そしてカリブ海諸国があってコロンビアからチリ、アルゼンチンに至る南米ですよね。ところがラテンアメリカはメキシコから南の国々をさします。ここがミソです。植民地で考えるからなんですね。カナダ、アメリカは、前回いったようにイギリスの植民地です。サッカー好きの人は知ってると思いますがメキシコ以南の地域はスペイン領(ブラジルだけポルトガル領)、そしてカリブ海の島々はほとんどフランス領です。フランス、スペイン、ポルトガルは、古代ローマの文化の継承者の国でカトリック教、言語もラテン語系列です。だから、ここいらがラテンアメリカで、対するイギリスのアングロ・アメリカとは異なる文化圏なんです。したがって英語で歌われるラテン音楽はない、というのが建て前です。(テックス・メックス料理とは、メキシコにテキサスを足した地域の料理で、テキサスやカルフォルニアはメキシコ同様元スペイン領をアメリカが強奪したもの)。さて歴史の話しはここまで。
 音楽的にはサンバ、レゲエ、ルンバ、タンゴ、マンボ、サルサなどなどですが、これらは都市部の音楽、ビーチから連想する多くの音楽はカリブ海の音楽でしょう。例えばドミニカのメレンゲ、トリニダードのカリプソ、マルチニーク島のビギン。カリプソやビギン、サンバの黄金時代は1930年代(メレンゲはやや遅い)、台本にも登場するカルメン・ミランダの時代というわけです。ボサノバはちょっと毛色が違う(台本のイメージではないです)。新しい音楽だし。もちろんこれらの音楽以外を使用しないわけではありません。ただのイメージ。
 で、ラテンはイギリスを意味しないんだけどイギリスの植民地っていっちゃった手前、唯一トリニダード生まれのカリプソは、OKなのです。
 さて、ラテン音楽以外にもビーチを連想させる音楽はありますよね。ポリネシアン・ミュージックってやつ。例えば、ハワイアン。ただ台本的には雰囲気が違う、というかハワイアンをかけると、ハワイだなって思われちゃう。(別のポリネシア音楽ならまだしも)、東南アジアの古典的な音楽は、我々のビーチの雰囲気と合致しませんね。ケチャとかガムランっていやでしょ?
 というわけで、音楽を総括してみました。いかがでしょうか。台本では「チャタヌガ・チューチュー」という曲が出て来ますが、これは、カルメン・ミランダやグレン・ミラーで有名な楽しい音楽です。では、次回は「ハリケーン」をキーワードにお届けします。(1999.5.1.)
#03「ハリケーン」
 なんか、順調にインフォメーションが続いてますね。この調子だと、キーワードで書くのは5月いっぱいでネタ切れ必至です。6月からは、脚本の内容に踏み込んでいけるかもしれませんね。
 さて、ハリケーンにはいる前に、前回の「ラテン音楽」の補遺から。多分みなさんの頭の中にあるラテン音楽が、極めて現代的なものだと思います。例えばサンバというと、あのリオのカーニバルのようなパーカッシヴでファンキーなサウンドでしょう。しかし実際のサンバはギター伴奏のしっとりしたものもあるんです。僕がいうサンバは素朴なサンバです。ブラジルではその後、50年代にボサノバ、80年代にランバダが登場するわけだけど、カルメン・ミランダのサンバは1930年から1945年までの録音で、今のような派手なサウンドではありません。日本の歌謡曲の1930年代(昭和ひとけたです。古賀政男の「丘を越えて」など)を考えれば、ラテン音楽にも大きな変化があることがわかりますよね。他のラテン音楽についても、同じです。
 さて、ハリケーンの話しですが、知ってのとおり「メキシコ湾・西インド諸島(カリブ海の島々)などで発生して、北アメリカをおそう暴風雨」です。脚本の中で語られるハリケーン、ミランダと同じかどうか分かりませんが、1935年9月にフロリダ・キーズは巨大なハリケーンに直撃され、島の多くの建物と人命が失われました。特に建設中のハイウェイの労働者が避難する列車が転覆、423人の労働者の命が海に消えた事件は、その日がレイバー・デー(労働者の日)だったこともあり、悲劇として語られています。ハリケーンの恐怖は、よく映画化されます。一回目で登場した『ハリケーン』(1937,米)という映画と、そのリメイク版(1979,米)のラストのハリケーンシーンはスペクタクルです。気候のことは良く分からないけど、南太平洋の島(リメイクではサモア島)にハリケーンは吹くのかな。タイフーンでは?
 さて、ハリケーンが過ぎ去った後って、多くの被害が出てるはずなんだけど、イメージとしては、時間が止まって、というか、全てが止まってしまって。すさまじい静寂に包まれてる感じがしますよね。この脚本では、ハリケーン・ミランダは、いわば、呪いをかける魔女の役になるわけです。「魔女ランダ」ともひっかかってるし。もちろん実際はただのハリケーンで、島の人達を全滅させてしまうわけです。したがってその後は、幽霊というのか死後の人間というのか、言葉は分かれるところですが、とにかく、もう死ぬことのない人間たちなのです。というよりハリケーンによって、時間は止まってしまい(時刻は動く)、島の人達はずっと死んだ時のままで、よくわからない時空間の中を生きているわけですね。古いお屋敷にいる古風な霊のように、1935年の時点の人々がそこにいるわけです。屋敷の霊が死んでから何年たったとかまったく気がつかず、死ぬ前の生活をいつまでも送っているように、いや、死んだことも気がつかずですね。ちょっとよくある話しだけど、話しの中にどうしてもハリケーンを登場させたくて、舞台での再現が無理なら、かつてあったことにしようと思って、せっかくだから全滅ということになったのです。実は今回の全滅は島全部なんだけど、ビーチの人だけという選択もあって迷ってます。(1999.5.5)
#04「ビーチ、島」
 そもそもなぜビーチなのか。僕は卒業旅行は、絶対リゾートと決めてて、フロリダかタイのサムイ島かサイパンかハワイに行きたかったのです。その夢を舞台にかける!小さい夢だけど。ビーチを再現という昔真鍋くんが語ったプランも魅力的だったし。そんな夢も見たものですから。
 さて、ビーチと言うとヘミングウェイの『海流の中の島々』っていう小説を思い出します。彼はハバナ時代お気に入りのバー「フロリディータ」でフローズン・バナナ・ダイキリを一日中飲んでいた。海岸側の別荘のバルコニーで、デッキチェアに座って朝から(重要!)ダイキリを飲む。夢ですね。ラムはトロビカルカクテルには欠かせなくて、ブルーハワイ、上海、マイアミ、キューバ・リブレなどもうビーチ・リゾート満載なのです。
 さて『紅の豚』という映画はご存じですよね。あの世界観がぼくは好きです。ポルコ・ロッツの隠れ家のビーチや海に張り出したホテル・アドリアーナ。あの舞台はアドリア海ですから地中海の一部、イタリアとユーゴスラヴィアの間の海ですね。時代は1920年代後半。その頃からあそこは紛争地帯でした。
 珊瑚礁でできた島をキーズ(キー=Key)というんだそうです。当然、真っ白なビーチにエメラルド・ブルーの海ですよね。もう一つ、砂浜が白いのには貝殻の粉ということがあります。アフリカのジェフリー湾、フィリピンのスル諸島、フロリダのサニベル島が貝殻の多いビーチのベスト3だそうです。どうでもいい知識だけど。僕が小学生の頃いった中国のビーチは本当に真っ白でした。ただ裸足で歩くと痛いってことは貝殻のビーチだったんでしょうね。白くなくてもきれいなビーチがゴールデン・カラーと呼ばれる砂色のビーチ、砂は薄い黄色で海のブルーによく映えます。パームツリーが生えてますね。ポルロ・ロッソの隠れ家のビーチはこの砂漠色でした。ま、舞台の場合、照明をもろに浴びるので色は結構関係なくなりますが、あの日本の海辺のような黒い砂は嫌です。
 島については、細野晴臣が1975年にリリースした『トロピカル・ダンディ』というレコードのライナーに書いている島文化から見た音楽エッセイが割とおもしろいです。海にぽつんと浮かぶ島は、開かれていながら塞がれているというアンビバレンツを常に持っています。普段はどこへでも行けるのに、いざ嵐とかになると閉じ込められてしまう。開かれた密室劇をやるには最高です。島に閉じ込められて連続殺人事件なんて、よくあるタイプの話しだけど。たいてい犯人が分かった頃に救助隊がくる。これは島の持つアンビバレンツをあまり生かしていないやり方です。開かれることが分かっている密室劇ですね。今回の芝居は開かれませんし、閉じられているわけでもありません。ストーリーの都合に合わせて島を閉じたり開いたりさせるのではなく、島はそのままの自然な姿にしました。その変りに時間を閉ざすことで都合を良くしましたが。実は、サモンがエビの意志をついで船出とか、少年たちが島を脱出するなんて話しも考えたんですけど、それはご都合主義って奴ですよね。やはりあのビーチは死んだ勝者のための墓所であるべきで、それこそビーチが主役の舞台になるわけですから。今回は、つまらないですね。では。(1999.5.5.)
#05「置き時計」
『ニーベルングの指輪』というオペラがあります。全部上演すると15時間かかる大作で、四日間かけて上演します。神話的SFの世界なので、オペラ好き以外にもファンは結構います。松本零士やあずみ涼などが漫画化しています。さて、この指輪はラインの黄金から愛を放棄したものだけが作れます。そしてその指輪を手にするものは世界の支配権を手にいれられるので、争奪合戦がはじまります。小人から巨人、オーディン神、そしてワルキューレと呼ばれる戦いの女神、ジークフリートという英雄へ指輪は移動し、それを持つ者を呪の死へ導きます。
 さて、置き時計は最初のうち不死の力を与えるものです。どこかで難破した船から流れついたものか、海の底からきた神秘的な物です。ラインの黄金がラインの川底から来たように。置き時計を手に入れた人は不死になる(と思い込む)のですが、そのために殺されることになります。置き時計は、まずツナが拾い、エビ、イアン、フィッシャー夫妻、ミカエラ、ホーエル、サモンと移動します。そして彼等は一度は殺される(エビはそうとは言い切れない)ことになります。しかしご存じのよう、置き時計にはそんな力はありません。置き時計に何か力があったとするなら、それは、最初の殺人を引き起こした引き金だったということだけです。
 置き時計は二重の意味で人を苦しめます。一つ目は物欲的な争奪戦、そして、その力がないと分かった後の荒廃です。妹を生き返らせる魔法の粉にそんな力がないと分かる。生き返るという期待が裏切られる。同じシチュエーションで、人々を苦しめるわけです。これらは、まぁ裏ストーリーですが、最後に語られるように置き時計は、魔女ミランダの呪いを発現させるアイテムとも解釈できます。呪いの中にいると、呪いの正体は見えないものです。眠れる森の美女はとても幸せな人ですよね。ま、そういうことが言いたいわけじゃないんですけどね。
 とにかく、海辺に落ちている怪しいものは拾わないというのが鉄則のようですね。もしかしたら、すでに自分たちが死んでいることに、気付いてしまうかもしれません。ここが死後の世界ではないなどという保証はどこにもないのですから。まあ、そういうことが言いたい話しでもないんですけどね。
 置き時計には、最初、持ち主が死んだ瞬間から時間を逆行させるパワーを持たせようと思っていました。漫画じゃあるまいし、ジョジョ(註:『ジョジョの奇妙な冒険』)の読みすぎだって感じです。で、リアリティを持たせるにはどうしたら良いか。置き時計はただの置き時計というのが最もリアルです。つまり、これはギミック(gimmick:人気を得るためまたは注意を引くための)からくり,工夫,手口,(手品などの)たね,仕掛け。 として機能するわけです。ギミックが多い作品はあまり良い作品とは言えません。僕の脚本は無駄にギミッキーになる傾向があるので、要注意ですね。あまりからくりに凝りすぎない演出をしたいと思ってますが、どうなることでしょう。それよりなにより写真をカラーにしたいです。(註:配付時にはビーチの写真などがレイアウトされていたが白黒だった。)(1999.5.7.)
#06「リゾートの地理」
 新宿の「ティキティキ」(註:ポリネシア・レストラン。取材と称して行った)に行って思ったのですが、やはり、カリブ海とポリネシアは違うということ。まあ「ティキティキ」のポリネシア受容も、何か違うのかもしれませんが、リゾート気分ということで。代々木にも「タヒチ・カフェ」という、タヒチアンのカフェがあってここも行ってみたい所。で、思ったのはこういったビーチリゾートの地理的ポジションをきっちり把握している人は、僕も含めてあんまりいないってこと。で、今回は、その辺を。
 まず、ポリネシアというのは、太平洋の日付変更線の東の島々。ハワイ、フェニックス、サモア、タヒチがここ。ミクロネシアは、その西、マリアナ諸島などで、マリアナ諸島の一番下がグアム、真ん中がサイパンです。その下がメラネシアっていう地域で、パプアニューギニア、ニューカレドニア、バヌアツ、フィジー、トンガなどです。ニューギニア島はオーストラリアのすぐ上だけど、島の半分はインドネシアの一部。というよりすぐ隣がインドネシアで、すぐ上がフィリピン。よく聞くモルジブというのは、インドの下。さてラテン音楽の時に紹介した国々島々はメキシコ湾、カリブ海つまり南北アメリカの間です。キューバ、ジャマイカ、ハイチ、プエルト・リコ、ドミニカ、トリニダード・ドバゴ、バハマ、グアドループ。太平洋のリゾートとカリブ海のリゾートでは、いままでにも述べてきたように、文化、音楽、気象状況など随分違ってます。あたりまえだけど、深く考える機会はほとんど、ない。
 さーて、ついでに、例えばハイチは黒人が多い国です。ラテン音楽というと黒人が思い浮かぶ人、多いのでは?一瞬、忘れがちですが、この黒人たちは先住民族ではありませんよね。メキシコあたりのネイティブはインディオです。どちらかというと、僕らの仲間モンゴロイドの人たちです。ここに侵略者として欧米人がやってきます。主に、スペイン、ポルトガル、フランスです(もちろん、コロンブスがその最初の人です)。このインディオと白人の混血が「メスティーソ」です。次にこの白人たちは、労働力としてアフリカ大陸から黒人奴隷を大量に連れてきました。この黒人と白人の混血が「ムラート」です。インディオと黒人の混血というのはあまりいません。インディオを追いやって(殺して)から、黒人を入れたわけですから。さらに植民地生まれの白人を「クリオージョ(クレオール)」と言います。確かにラテン文化は、ムラート系が強いのですが、黒人の文化ではないし白人の文化でも、インディオの文化でもないマルチ文化なのです(フレンチ・カリビアンという音楽の分類もあるくらいで)さらに、これらが欧米に輸出され彩りがつくわけです(サルサなんかはニューヨーク生まれだし)。そろそろ、場所をカリブ海のある島と限定しても良いんですけどね。では。(1999.5.16.)
#07「ビーチで読書」
 今回、ビーチを舞台にと決めたのは、僕がビーチに行きたかったから、というだけではなくビーチが流行っているという気もしていたからなのです。流行っているというか、潜在的な希望があってビーチはいつでも流行っている状態なのだと思います。僕みたいに余りビーチに縁のない人間が、ビーチに行きたくなったりするのも、そういうことなんでしょうね。つまり、自然に触れたいとか、泳ぎたいとか、そういうことじゃなくて、潜在的な希望を満足させる機会が少しでも訪れれば、流行るわけです。
 アレックス・ガーランドという作家の『BEACH』という小説を読みましたが、今度ディカプリオ主演で映画になります。目下タイで撮影中なのですが、きっと映画『ビッグ・ウェンズディ』がヒットした時のように潜在希望を刺激され、多くの人がビーチいいなぁと思うでしょうね。そして、ナイロン100℃の「フローズン・ビーチ」も記憶に新しく、主にこの二つの存在が、僕をビーチに駆り立てたわけです。駆り立てられた時は「フローズン・ビーチ」も名前を聞いただけで、本当に影響されるのではなく、ビーチという言葉の軽いインスパイアが衝動になるのだから、潜在的希望なのだということが分かる気がします。ドラマ「ビーチボーイズ」は僕は観てないんだけどね。
 ヘミングウェイの作品の中で、僕が一番好きなのが、『海流の中の島々』で、舞台はキューバです。「美しくも凶暴な南海の自然、巨魚の戦う少年、不毛の愛を酒と官能に溺れさせる男女とか、死と隣接する生命の輝き」などと紹介文には書いてあるのだけど、特に後半のマングローヴの茂みを縫って展開する激しい銃撃戦の緊張感は最高です。『BANANA FISH』という漫画の中で、「人間の孤独について書かれている」と紹介されますが、映画向きの作者ヘミングウェイですから、なかなか手に汗握ったりの内容でおすすめです。木村くん(註:サモン役の役者)の指摘していた『月と六ペンス』はモームの作品で、ゴーギャンのコピーみたいな人物の話しですので、当然、最後にはタヒチに行くのだからビーチもありです。『白鯨』のエイハブ船長は、悪魔の鯨を追い続ける漁師です。これは映画版がかなりお奨めですね。
 今回の台本執筆の最初の頃頭にあったのが『蝿の王』という小説で、これは「十五少年漂流記」に近い話しで、後者でも最初はイギリス系とフランス系の少年に別れて喧嘩になるんだけど、『蝿の王』はもっとひどくて、やがて殺し合い、というより片方のグループがもう片方を狩る状況にまで発展するタチの悪い話しで、読後しばらく嫌ーな気分にさせられる、もうホラーです。で、脚本の方も、殺し合いという状況を作り出すことになりました。『ロビンソン・クルーソー』とか『宝島』なんかはその点、良い話しですね。カミュの『異邦人』は、ビーチで殺人という共通点がありますね。最初の方の舞台が、アルジェリアのビーチで、主人公は、太陽が暑かったから、なんの関係もないアラビア人を射殺してしまいます。
 ところで、「チーズバーガーズ」(註:一つ前のSPEAKER370の作品)で最後に流れた曲をご記憶でしょうか。先日、MDを整理してて気がついたわけですが、カーテンコールの陽気な音楽は"On a Sunday by the Sea"(日曜日の浜辺で)という曲で、ミュージカル『ハイ・ボタン・シューズ』の中の、スラップスティックなダンスナンバーです。この舞台が20世紀初頭のビーチだったわけです。やはり、なんらかの予定調和という奴が働いているのかなと思うわけでした。(1999.5.24.)
#08「年表」
20世紀の第二次大戦までの年表です。●はその時代を舞台にした代表的な映画。
1900年 パリ万国博覧会(多くの芸術家が、アジアなどの異国文化に触れる)
    飛行船ツェッペリン号、第1回飛行。ニーチェ死去(思想)。
    アール・ヌーヴォ、モダンスタイルの美術。
1905年 アインシュタイン、特殊相対性理論。フォービズム始まる(美術)。
1906年 マサチューセッツで初のラジオ放送。セザンヌ死去(美術)。
1907年 フォードTモデル発表。ピカソ「アヴィニョンの娘」キュビズム始まる(美術)。
1919年 ピアリー、北極点到達。
1910年 ハレー彗星、大接近。
1911年 アムンゼン南極点到達。
1912年 タイタニック号、沈没。●「タイタニック」
    アメリカでラグタイム流行(音楽)。
1913年 ジャズという言葉が初めて活字になる(音楽)。
1914年 第一次世界大戦勃発、パナマ運河開通。
1916年 カフカ「変身」(文学)。
    「電話で」が初めてのサンバとして発表(音楽)。●「アラビアのロレンス」
1917年 ロシア革命。マタ・ハリ銃殺刑。●「マタハリ」。フロイト「精神分析入門」(思想)。
1918年 第一次世界大戦終結。
1919年 ワイマールにバウハウス創設(美術)。モーム「月と六ペンス」(文学)。
1920年 チャペックの「R.U.R」にロボット登場(文学)。
1923年 関東大震災。
1924年 アメリカ全国ネットのラジオ放送開始。レーニン死去。
    ブルトン「シュルレアリスム宣言」(文学)。トーマス・マン「魔の山」(文学)。
1925年 ベアード、実用テレビを発明。パリでビギンがブームに(音楽)。
1926年 無線電話開通(NY〜ロンドン)。フリッツ・ラング「メトロポリス」(映画)。
1927年 リンドバーグ、大西洋無着陸横断。
    デューク・エリントン楽団、コットンクラブで演奏開始(音楽)。
1928年 エイゼンシュタイン他「トーキー映画宣言」、ラヴェル「ポレロ」(音楽)。
    プロイアー、磁気テープ(オープンリール)を発明。
1929年 世界大恐慌。ヘミングウェイ「武器よさらば」(文学)。
 1930年代 ルンバが世界的ブームに(音楽)。●「ラ・マン」
1930年 カルメン・ミランダ「タイ」がヒット。●「スティング」●「殺人狂時代」●「プロジェクトA」
1931年 満州事変。●「ラスト・エンペラー」。ダリ「記憶の固執」(美術)。
1933年 ヒトラー内閣成立。ルーズベルト、ニューディール計画。
1934年 ハモンドオルガン発明(音楽)。フンらアメリカでカリプソ録音(音楽)。
    キュリー夫妻、人工放射能発見。
1935年 ベニー・グッドマン、ロサンゼルスでスィング・ジャズ演奏(音楽)。
    ギブソン「エレクトリック・スパニッシュ」ギター(エレキギターの先祖)発明(音楽)。
    ●「インディ・ジョーンズ・シリーズ」。エルビス・プレスリー生まれる(音楽)。
    フロリダ・キーズを巨大なハリケーンが直撃。
1937年 ヒンデンブルグ号炎上。カロザース、ナイロンを工業化。ピカソ「ゲルニカ」(美術)。
1939年 第二次世界大戦勃発。
(1999.5.27.)
#09「パラダイス・ロスト」
 しばらくぶりですが、配役も決まり装置やフライヤーのプランもたってきました。公演まであと9週間くらいでしょうか。特に、悪いペースではなさそうなので、(というか悪いペースだったら、こんなものは書いていないが)今回は、ビーチの隠喩・解釈について。
 「ビーチやリゾートに行こう!」という羨ましいCMが増えてきました。駅などの旅行パンフも海一色です。そんな中にビーチとは、切っても切り離せない表現があります。それは「パラダイス」です。
 "Paradise"とは天国一般を指します。"a paradise"(地上の楽園、絶好の場所)の意味で、これらの広告文句はつけられているわけですが、その原義は、もちろん"The Paradise"(エデンの園)です。ところで「失楽園 "Paradise Lost"」という物語りを知ってますよね。神が禁じた木の実を食べたアダムとイヴが楽園から追放されるという聖書の物語で、ミルトンの詩作で特に有名です。その実は一説には知恵の実、または善悪の実となっています。知恵のない状態、自分の行ないの正邪が分からない状態が、エデンに住んでいる人のあり方です。劇作中のビーチをパラダイスと考えると、そこに一つの隠喩が見えてきますね。
 さて、地上の人が、天国に行きたいと願うのは、そこではもう苦しみや死がないと信じているからにほかなりません。そして、そこが幸せであるためには、地上での生活は忘れているべきです。地獄が生前の咎を一生背負い続けていく恐怖なのに対し、天国は地上とは切り離された世界なのです。思い出したくない苦痛を思い出せる限り、その人は天国的幸福状態にあるとは言えませんね。つまり、天国にいる人は、かつて自分がどこにいたか、かつて自分はなんだったのか、そして、自分がどのように生き、どのように死んだのかを忘却しているはずです。天国的幸福とは無知を前提にしているのです。よくいう「知らないほうが幸せだよ」って奴ですね。意味は少し浅くなりますが、"Ignorance is bliss"(無知は至福)の"bliss"は、神の加護を意味する"bless"の類音で、日本的には「知らぬが仏」ですね。
 ビーチの人々が、死に気付いていない状態は、天国的幸福であると言えます。彼等は死んでも生き返るのですが、「天国的に」その死を忘却するという性質を持っています。ではこの状態を、あえて打ち破る必要はあるのでしょうか。そこに一つの問いがあります。劇では天国的幸福の極端なグロテスクを提示しましたが、実際はもっと普通に幸せかもしれません。今回は哲学的な話しですが、過去の哲学者たちは、自分の死を気付かない人間を否定していることが多いようです。越えることの出来ない死との悲劇的な葛藤こそが、生であるという人もいれば、自分の死を体験できることを自己存在のあり方とする人もいます。簡単に言えば人間性とは死を前提にしているということでしょうか。だとすれば、人間性の回復は一つの答えになりそうです。これらは、全てとても単純化した読解ですが。「失楽園」にパラフレイズして考えれば、「死なない」は楽園的呪いといえます。人間をこの楽園的呪いから解放したのは悪魔サタンということになります。ディーンの異界の人間であり、楽園の子らを口車にのせ、トリックを使い、彼等から楽園を失わせるのです。と同時に、自らが犠牲になり、内なる楽園を祈りによって復活させる(「復楽園」)キリストの役割も果たしているのです。
 さて、イアンと同じデッキの上で(註:イアン・ティーコの店に一部であるデッキはそのまま客席につながっている)ビーチの物語を見ているお客さんも、この世界では楽園の子ということになります。そこでお客さんに対する一つの問いかけが起るわけです。端的に言うと「あなたたちは生きていますか?」これはストレートでイヤですね。スピーカー的には、ちょっと立ち止まって、当り前になっていることを考え直してみませんか?程度の感覚が良いのですが。確かに何も知らないことほど、幸せなことはないかもしれません。しかし半歩でも立ち止まりこの幸せが楽園的だと気付いた瞬間、既にあなたは、楽園を追われているのです。一度追われた楽園に再び戻ることは絶対にできないのですから、この芝居を見て「そうしよう」と思うのではなく、既にそうしてしまっている自分に気付いて欲しいということかもしれません。いずれにせよ一遍な結論をひねり出すことや、作品の主題を確定的にすることは避けたいのですが、「知らぬがパラダイス」という気分は、少し改めたいものかもしれません。うーん、今回は真面目ですねぇ。(1999.6.14.-6.18.加筆)
#10「(涙の)最終回」
 さて、とうとう、BEACH INFORMATIONも#10に達しました。読んでいる人も、読んでいない人も、おつき会いありがとうございました。そろそろ、実質的な、つまり場所と時間を共有した演出に入っていける時期です。したがって、もうこのBEACH INFORMATIONは必要ないと思います。ちょうど、キリも良いし、今回は最終回ってことで・・・。
 最近、新しく導入されたイメージですが、まず「鳥」鳥はツナが追いかけるものです。最近丁度読んでいたウンベルト・エーコの『前日島』にも、オレンジ色の鳩という象徴が出てきますが、鳥ほどいろんな象徴を満たすものはないでしょう。「鳥捕り」は『銀河鉄道の夜』からの引用(註:カンパネルラはすでに死んでいた、という話ですから勿論引用の価値ありです)。おそらくディーンが島に来た時代スペースシャトルの初打ち上げも、この鳥の比喩に入るでしょう。その「前日島」にこんな言葉があったので、パンフレットに載せました。「この島は、苦しみを味わうことが許されない宇宙でただ一つの場所で、ここでは、無気力な希望と底なしの倦怠を見分けることはできないのです」苦しみを味わえない場所とは、人間にとって天国なのか地獄なのか?作中のトーマス・マンの言葉は削除しましたが、パンフには載せました(註「私たちが死を悲しむのは、死者をこの世でふたたび見ることができない悲しみというよりも、それをねがってはならないという悲しみであろう。」-----トーマス・マン『魔の山』」)。
 さて、8月1日に海へ行くプランについて(これは演出の領域なので)説明したいと思います。本当のインフォメーションですね。今回行くのは、前にも言ったように「遊び半分」ですから、半分はこの演劇のためです。ですから、どこの海でも良いというわけではありません。本当はカリブ海の小島に行くべきなのですが、安価で身近で、かつ最適な場所が「横須賀」なのです。脚本の島は植民地です。米軍の駐屯地は、昔から植民地風情がある街が多いと考えられます。横須賀は、戦前は軍港、戦後は米軍基地で栄えた街です。アメリカではありますが、西洋人が多く他の植民地を模した街並もあります。特にドブ板通りは昔ほどではありませんが、イイ感じです。
「ベースの前にある、軍人さん相手の店が並ぶ通りですね。昔はにぎわっていたらしいけど、今はもう大分廃れちゃいました。(夜に一人では歩けなかったそうです。今でも、女の子はやめたほうが無難らしい。)そういう店の数ももっと多かったし、道も妙にきれいに舗装されちゃったし、EMクラブ(趣のある建物だった)もなくなって、プリンスホテルとよこすか芸術劇場ていう変なものができちゃうし。きれいになりすぎです。でも、ところどころに昔を偲ばせるところはあると思うので、想像力で補ってみて下さい。子供の頃はドブ板のハンバーガーをよく食べました。たいして美味しくはないんだけど、歩きながら食べてみて下さい(昔はマックより安かった気がするんだけど…)。チリビーンズも一緒に食べるといいけど、缶詰を温めただけなのであしからず。それから、ラッキーレコードも探してみて下さい。よく行ってました。とにかく、外人の日本土産の漢字Tシャツ、はちまき、ワッペン(「一番」とか「神風」とか)などは買わないように。」とは横須賀在住の友人の言です。
 島を味わうには、島が一番です。横須賀の三笠公園から船でいく猿島は東京から一番近い(無人)島であり、海と島の雰囲気を手近に味わうには最適です。そうは見えない亜熱帯の植物が群生していて、波もおだやか、透明度もそうは見えないけど東京湾では高い方です。釣もできます。もちろん、この無人島を目指すのは我々だけではないので、人はたくさんいると思います。ハイ・シーズンだし。ちなみに猿はいません。海水浴やバーベキューなどビーチライフをして親睦を深めましょう。まとめると、視察ということで、このような現場で衣装や美術などのプランを練ったり、舞台の感覚を掴むことになるでしょう(砂の上での機動性とかね)。ビーチは猿島。店など市街地は横須賀を参考にです。いまさらですが。(1999.7.25.)