『黒い二、三十人の女』-Philosophic Suspense-


登場人物
登場人物はほとんどが不透明な人物です。彼らの言葉は、虚言、妄想、計略に満ちており、不確かで、流動的で、正体不明。口述は頼り無いか、信じられないかのどちらかで、最後まで(あるいは、最後になっても)、誰の言葉が正当性を持っているのか明らかになりません。この作品は一応未来の中欧に誕生した新=神聖ローマ帝国をイメージしていますが、登場人物の名前にはこれまでの作品ほど統一性はありません。
レプゴー
 シュピーレン大公国の国境領の村に住む男。村でただ一人字が読め、その信心深い生活に誰もが敬意を払っている。生き別れの娘から手紙が来たと言って都へ向かう。
*このレプゴーという名前は、13世紀に成立したドイツ最古の法律書『ザクセンシュピーゲル』を編纂したアイケ・フォン・レプゴウから。
【台詞抜粋】「なに簡単だよ。あれだけ光の点がたくさんあれば、そこにはなんだって見る事ができる。自分の見たい物をなんでも、点をつなぎ合わせてね。」
プワスキ
 シュピーレン大公国の国境領の村に住む男。腕の立つ革なめし職人でレプゴーを神聖視している。都に向かうレプゴーを守るため同伴する。途中パノプティコンと呼ばれる監獄に囚われた際、レプゴーに見捨てられたと思い込み、皮肉な行動に出る。
*この名前は辺境っぽさが欲しくて、18世紀に活躍したポーランド生まれの軍人、カジミエシュ・プワスキから。
【台詞抜粋】「今見ていたのは、きっと邪悪な幻なんだ。消さなくちゃならない幻なんだ!あなたの身を・・・(ナイフを落とす)守るために・・・。」
シュピーレン大公シュピーゲル
 シュピーレン大公国の若き大公。常に人民の事に気をかけている善人だが、補佐官のファーデンから見れば、情や義といった物を国政の基準にしているため、政策の現実性に欠ける。また飼育しているトランシルヴァニア・マイマイと自動人形の開発に夢中で国政に対してもそれほど積極的ではない。
*ドイツの爵位で上級貴族と呼ばれるのは大公/公(ヘルツォーク)、王領伯(プファルツグラーフ)、辺境伯(マルクグラーフ)、伯(グラーフ)です。したがって彼は相当の上級貴族。シュピーレン(spielen)はドイツ語で「遊ぶ」「演じる」「ゲームをする」の意味。 シュピーゲル(Spiegel)は「鏡」の意味。鏡は裏表とか左右逆というイメージ。またシュピーゲルの先代がオイレンと言われているので、14世紀に実在したと言われるドイツの有名ないたずら者ティル・オイレンシュピーゲル(Till Eulenspiegel)の名も隠されています。
【台詞抜粋】「さ、みなさん。素晴らしいものをお見せしましょう。私が丹念に世話をしてついに孵化したトランシルヴァニア・マイマイ。大家族ですよ。」
ファーデン補佐官
 アルフレド・フォン・ファーデン。大公の補佐官。腹心とも言うべき男。正義や善悪をはなから幻想と思っている冷徹な現実主義者。大公領の政治の大部分がこのマキャベリストの辣腕に拠っている。シュピーレン大公国の未来を心から憂い、エスターライヒの侵攻を止めるため一計を案じる。ネイダフと名乗る男としばしば会話をしている様子。
*ファーデン(Faden)という名前はドイツ語で「糸」の意味です。「糸」の擬人化であるファーデンに込められた意味は「操り人形」。彼は傀儡政権を作ろうと画策しますが、彼は操る側なのか、操られる側なのか。
【台詞抜粋】「ええ、あなたはあなたの村を踏みにじった大公を許さず、誅し奉ったのです。誅したというのは、キスしたということではありませんよ。殺したということですから、念のため。」
ネイダフ
 ファーデンがよく会話をしている陰の男。ファーデンの叛意を宥めたり煽ったりする。実際には登場しない役。
*ファーデン(F-A-D-E-N)を逆さから読むとネイダフ(N-E-D-A-F)に。また「糸」に対して「縫い針」を表すドイツ語ネーデル(Nadel)と音が似ています。ここにもネイダフという存在の謎が隠されています。なお、劇中何度か登場する彼らの会話のシーンのBGMには、ピエール・ブーレーズの『二重の影の対話』という曲をコラ−ジュした物が使われました。この音楽的引用も重要な暗示になっています。
【台詞抜粋】「神に選ばれた印ですな。私が埋葬を命じられた男にもありましたよ。同じところに。」
アイヒロット
 レプゴーが旅の途上のパノプティコンで出会う少女。記憶を亡くしており、親を探していると語る。娘に会いに都へ行くというレプゴーに感動し案内役を申し出る。
*19世紀の詩人ルードヴィッヒ・アイヒロット(アイヒロート、「ビーダーマイヤー」の名の由来となった人物)から拝借。
【台詞抜粋】「そうですよ。ほら、使い慣れたネックレスなのに、ある日突然、首がかぶれたりする。そういうものですよ。」
ペルネル夫人
 プワスキの母。しっかり屋でレプゴーの事を心から尊敬している。
*モリエールの『タルチュフ』では、人の良いオルゴンがペテン師タルチュフに騙されますが、そのオルゴンの母親の名前がペルネール。改訂版から登場する役です。
【台詞抜粋】「うちの実家の方じゃ良く言うんだよ。人のさ、身体の一部を食べると性格がうつるって。ほら、爪の垢を煎じて飲めとかっていうだろ?あれだよ。髪の毛食べただろ?あんたの。」
エルミル
 プワスキの妻。ペルネル夫人とは気が会わない。レプゴーをあまり好いていないような事を言っているが、実はレプゴー(あるいは、村の男たち)と不義密通の仲である(プワスキ家のスープにレプゴーの髪の毛が入っていたことからもわかるように)。
*この名前もモリエールの『タルチュフ』から。上述のオルゴンの妻がエルミール。改訂版から登場する役です。
【台詞抜粋】「だって、お義母様みたいに、長々とお祈りしていたら、スープが冷めてしまうわ。神様からいただいた食べ物をより美味しく食べるのが神の御心だと、思ってますから。」
マリアヌ
 プワスキとエルミルの女児。糞・便・尿の話ししかしない白痴気味の少女だが言う事は的を得ている。レプゴーの髪の毛を食べてから成長が早くなり(おかしくなり?)、最終的に聞いた事もないはずのレプゴーの言葉を反芻したり、レプゴーと同じ痣(聖痕)ができたりする。
*この名前もモリエールの『タルチュフ』から。上述のオルゴンの娘がマリアーヌ。改訂版から登場する役です。
【台詞抜粋】「あなたがついていたからよ。いろいろな事が無駄になってしまった。私の中でレプゴーさんが言っているわ。残念だって。」
ヘルマン・ベーゼ博士
 大公が召し抱える工学技術者。大公の注文で「人間らしいロボット(自動人形)」の開発に明け暮れている。
*この博士の名前は、最後のエンドロールに文字として登場する以外は出てこない。簡単で恥ずかしいが、ベーゼはドイツ語で「悪い」という意味。
【台詞抜粋】「ロボット大集合!!素晴らしい語彙です。さすが、大公、詩人でらっしゃる。そして、このスラが補佐官の言うような勘違いロボットではないことを証明するのは、とても簡単。このロボットは、言う事を聞きます。それだけで、十分でしょう?」
スラ《Sulla》
 ベーゼが考案した新式のロボット。ただし両親を求めて研究所から脱走してしまう。
*こちらも『R.U.R.』に登場するロボットの名前。やはり元はローマの有名な将軍の名前である。初演時はノイ(ドイツ語で「新しい」の意味)という名前でした。
【台詞抜粋】「コーヒーは持って来れるのに。傘が持って来れないの、いいわ。それじゃ、傘はいらない。代わりにそこにある、あの花瓶を持ってきてくれる?」
マリウス《Marius》
 ベーゼが作った旧型のロボット。
*カレル・チャペックの戯曲『R.U.R.』に登場するロボットの名前。元はローマの有名な将軍の名前である。初演時はアルト(ドイツ語で「古い」の意味)という名前でした。
【台詞抜粋】「花瓶?(ひどく悩む)がび〜ん。(不具合を起こす。)」
ステッティン
 ハンス・ゲオルグ・フリードリッヒ・フォン・ステッティンと名乗るパノプティコン牢獄の看守。彼の出す謎に答えると釈放される。
*本人が名乗っている名前なので、本名は不明(笑)ドイツっぽくて、おかしな名前にしてみました。
【台詞抜粋】「お前らは囚人であり同時に見張り番でもある。インプットにしたがって逃げない事と、逃がさない事を同時に遂行する自動人形のようなものなのだ。」
トンとチンとトン
 パノプティコン牢獄に掴まっている異国の商人。うち二人は何故か名前が同じ。
*プッチーニのオペラの『トゥランドット』にピン、ポン、パンという3人の高官が出てきますが、その発想です。しかしうち2人は同姓なのでトン、チン、トンなのです。改訂版から登場する役です。
【台詞抜粋】トン「なんですと!私たちのどこが怪しい?私たちは、ただの旅人。砂漠を通り長い旅路の果てやっとやってきたんですよ。私はトン!」
チン「私はチン!」
トン2「私はトン!」
セールスマンと隊長と兵士
 エスターライヒの侵攻を食い止めるため、大公が送った軍人たちと、その軍人たちに武器を売るセールスマン。
*この役は、2002年の上演時にのみ登場。彼らの登場シーンは一種のコントになっており、その演じ手によって台本が書かれていた。


エピグラフ
 今回も、(無駄に)エピグラフをつけましたのでご紹介します。
作品全体と第1場「ライターシュプロッセ城、見えない女たち。」
梯子は一般に「高さ」「段階」を意味する。
人間的には「階級社会」とそれに対する特に「野心」を意味する。
精神的には「昇天」や逆に「下降」意味し、天上界や地獄への道ともなる。
ヤコブの夢に出て来る梯子は「神の啓示」を意味した。
俗信では、梯子の下を通る事は「処刑台」を連想させ、
フロイトは梯子を「性行」と結び付ける。
------『シンボル事典』より
第2場「プワスキ家、食卓。」
誰かが私に会いに来たら、施しを受けた金を、
囚人たちに分け与えに行ったと伝えておきなさい。
------モリエール『タルチュフ』第三幕、タルチュフの言葉。
第3場「博士の愉快な研究。」
「ロボットは人間ではございません。機械的には私たちよりもより完全で、
素晴らしい理性的知性を具えておりますが、魂はもっていないのです。
グローリー様、技師の作り出したものの方が自然の作り出したものより
技術的に完全なのです。」
------カレル・チャペック『R.U.R.』序幕から、ハリー・ドミンの言葉
第4場「プワスキ家、旅立ち。」
万事があの方の信心深いお言い付け通りになったら、
どんなにありがたいことか。
------モリエール『タルチュフ』第一幕、ペルネル夫人の言葉。
第5場「ライターシュプロッセの城、戦いに必要な正義。」
君主は、戦いと軍事組織と訓練以外に、いかなる目的も、
いかなる配慮も、またいかなる職務も、もってはいけない。
------ニッコロ・マキャベリ『君主論』「14 軍備に関する君主の任務について」
第6場「パノプティコン、完全な牢獄。」
われわれの社会は、見世物の社会ではなく、監視の社会なのである。
さまざまなイメージによって作り出されているうわべの裏では、
私たちの身体は、深いところで取り囲まれているのだ。
------ミシェル・フーコー『監視と処罰』
第7場「プワスキ家の悲運とファーデンの罷免。」
神の全ての御恵みにより、おんみの魂と肉体に幾久しく健康のさずけられんことを。
神の愛に霊感を受くる者のうち、もっとも賤しき者の望むままに、
おんみの日々が祝福されん事を。
------モリエール『タルチュフ』第三幕、タルチュフの言葉。
第8場「それぞれの思惑、さまざまな不確か。」
たとえば地図の端から端までにわたって書いてあるような、大きな字の名前を選ぶんだな。
ちょうど、それはね、あんまり大きな字で書き過ぎた往来の看板やビラと同じでね、
あんまり目立ち過ぎて、かえって目につかないことがあるんだねぇ。
------エドガー・アラン・ポー『盗まれた手紙』
第9場「ライターシュプロッセの城、謁見の場。」
高い志にもかかわらず、自分でも嫌っている殺戮と惨禍を引き起こすのは、
いつでもこういう純粋な信念の人、宗教的で夢中になる人、
世界を変革し改善しようとする人であろう
------シュテファン・ツワイク『ジョゼフ・フーシェ』
第10場「ライターシュプロッセの城、死刑台への行進曲。」
卿は自己の意図の純正なるを確信さるるがゆえに、
人は善をなさんとの意図をもってかえって多くの禍をかもすことありと言うも、
卿は耳をかさないであろう」
------ナポレオンがジョゼフ・フーシェにあてた親書より(ツワイク『ジョゼフ・フーシェ』より)