登場人物 特に名前を持たない「A」、「B」、「女」の3人。
A、Bは男女どちらでも良い。体のどこかにどのような物でも良いが「羽根」が付いている。羽根を背中に背負っていても、羽根の柄の服でも、募金の時の羽根でも、羽根もしくは、羽根を連想させる物ならば良い。 女は特に設定はないが、迷い込んだ感じが出れば良い。


舞台 いくつかの(できれば10〜20個)大小の箱が置いてある。一つ、手の平に乗るくらいの小さい箱がある。手の平に乗る一つの箱は必ず内側から光らなければならない(欲を言えば、全ての箱が内側から光ると良い)。A、Bの座る椅子。



『イヴの入る箱』


あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。
これがあなたがたへのしるしである。
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
(聖ルカ福音書 第2章)


  Bがなんらかの仕事をしている。何かを区分している様子。
*初演時は、ロッシーニの《荘厳ミサ》の〈グロリア〉がオープニングに鳴り響いた。オルガンの前奏と合唱が「グロリア・イン・エクセルシス・デオ」を歌い上げる壮麗な楽曲である。
(呟く)コモドオオトカゲが多いな。
  Aがやってくる。
(普通の挨拶のように)グロリア!(威厳に満ちている必要はなく、普通の挨拶のよう。ちょっとおかしみを誘う所作がついている。)
(答えて)グロリア!
  Aも、同じように仕事を始める。
豚。
人間。
豚。
豚。
コモドオオトカゲ。
豚。
(周囲を見て)ちらかってるよね。
箱?
何?プレゼント?
うん、クリスマスの時の。もう空だけどね。
空なんだ。豚。
人間。
コモド・・・いや、豚。片付けないの?
トップの命令だって。
え?命令すんのあの人。
するよ。そりゃ、トップだもん。(上に)グロリア。
(上に)グロリア。人間。豚。コモドオオトカゲ。で、何?片付けるなって命令?
ゲームだって。
ゲーム?
ここにある箱が全て入る箱を持って来て、全部入れろって。
ふーん。え?それゲームなの?持ってくれば良いじゃん。大きい箱。
人間。コモドオオトカゲ。豚。それが無理なの。
無理。え?持ってこようか。うちにあるよ。マッサージチェア買った時の大きい箱。
(仕事の手を止めて)え?なんで買うの?そんなの。なんで箱とってあるの。
(満面の笑みで)こういう時に助かるだろ〜。
・・・。豚。コモドオオトカゲ。人間。
持ってくるよ。(退場しようとする)
いいよ!
え、だって。そのために取っておいたんだよ。
嘘つけよ。
まあそれは嘘だけど。(ハッとして、上に向かって)グロリア!
グロリア!こいつを許したまえ。
でも箱は取ってくるよ!
意味ない。
どして?
このゲームは有名なパラドックスなの。
パラドックス??
お前がその持ってくるだろ。マッサージチェアの大きい箱。っていうか、なんで買ったの?そんなの。
いいから。(間)ここが張るんだよ(背中を叩く)。
羽ばたくから。
それは、いいから。で?
ああ、で、その箱をここに持って来て。ここにある箱を全部入れるだろ。
入れるよ〜。入るよ。相当でかいからね。
で、命令はさ、「ここにある箱が全て入る箱を持って来て、全部入れる」って事なのね。
だから入るよ〜。これくらい(あるもん)・・・
その箱は?
え?
お前がここに持って来た、その箱は?「ここにある箱が全て入る箱を持って来て、全部入れる」んだよ。その箱は?
・・・それずるくない?
だからパラドックスなの。それより、ちょっとだけ気になる事があるんだけど、良い?
何?
言って大丈夫?
何?
どうして、選べないわけ?
何が。
これ。どうして、この3種類からしか選べないわけ!
どれ?
これ!豚!人間!コモドオオトカゲ!どうしてこの3種類なの。
文句言わずに分けようよ。
分かった。豚。豚。人間。豚。コモドオオトカゲ。にん、おかしいだろ!
仕事だろ。
この3種類しかいらないわけ?
今はな。
嘘だよね。嘘だと言ってくれるよね!
他の生き物は、他の係がいるんだよ。おれたちは、豚、人間、コモドオオトカゲの係なの。今年は。
今年一年?
さあね。トップに聞いてみろよ。(上に)グロリア。
グロ、コモドオオトカゲってなんなの??
コモド島にいる、大きな、トカゲだよ。
ふーん。分かってるよ。そんなこと。何?この組み合わせ。組み合せの妙ってやつ。
なかなかないよ。
ええ?
あの、マッサージチェアの箱より大きな箱。だってこれくらい・・・
だから・・・
分かってるよ。冗談。冗談だよ。豚。人間。人間。豚。コモ・・・豚。豚。豚。豚。豚。豚。
豚ばっか作るなよ!
コモドオオトカゲばっかじゃ、おかしいだろ。コモド島にしか作れねえんだぞ!
いいじゃねえかよ。
島からはみ出すぞ。
いいだろ。隣の島にだって住んでるよ。コモちゃんの自由だよ。
略すなよ。ちゃん付けんなよ。
自由だろ。
隣の島じゃ、名前が変わるじゃねえかよ。コモドってつかなくなるぞ。コモちゃんって呼べなくなるぞ。豚つくれよ。
  主役とも言える「女」が登場する。場面が華やぐ。
*初演時は、ハイドンの《ネルソン・ミサ》の〈グロリア〉が背景に流れた。女声ソロから歌いはじめる軽快な楽曲。
(声のみ)「ここにある箱が全て入る箱を持って来て、全部入れる」か。(登場して)あの。
誰?
誰だ?(A、知らないと、首を降る)
あ、そろそろなんです。
え?
私の順番がそろそろなんですけど。なんか、ほら、ずっと豚が続いてたから、心配で。しかも、お話の内容からして、どうも、豚かトカゲの二択になっているような気がして。
え??聞こえるの?聞えてたの?
はい。聞えてました。
どうする?
どうやってここに??
なんとなく。というか心配で。心配のあまり?
豚はいやなの?
おい!
いいじゃん、希望を聞いてみよう。豚はいや?
豚は(ちょっと)・・・
豚って、新しいんだよ。人間なんかよりずっと最近に出来た動物なんだよ。すごくナウだよ。
それが古いよ。
え?そうなんですか?
お勧めだよ。豚。元はね、猪って動物だったのね。それをさ、人間が家畜にして、それで始めて豚になったの。家畜ってたいてい草食だから、草しか食べられないけど、豚は、珍しく雑食だから、いろいろ食べられるよ。グルメだよ。トリュフとか食べるし。どうかな?豚。必要とされてるよ。
でも・・・家畜でしょ。
人間に飼われてるから安全だよ。外敵はいないし。病気にもならないようにいろいろしてくれるよ。
なんのために?
え?
なんのために、家畜にして、安全に健康に育ててるんですか?
そりゃ・・・美味しく肉を食べるため。あ。
食べられてしまう!
宗教によっては食べないよ。イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教・・・。
ま、食べないなら、そもそも家畜にしないよな。
・・・(Aに)馬鹿!
馬鹿って。(上に)グロリア。
グロリア!このものに慈悲を。となると、オオトカゲだ。
やっぱり二択・・・なんか、やだな。コドモオオトカゲなんて、大きいんだか。小さいんだか。
コ・モ・ド。
ああ、コ・モ・ドね。
まず、こいつのメリットは、行き場所が決まってる事。豚や人間はどこに生まれるか分からないけど、コモドオオトカゲはコモド島周辺にしか生まれません。
どこですか?コモド島って。
バリ島の近く。南の島だよ〜。リゾートだよ。コモド島、リンチャ島、フローレス島、ギリモンタン島、パダール島。楽園だよ!!
楽園ですか。
動物園に生まれるかもよ。
うるさい。しかも、貴重な動物だから守られてます。ちやほやされるよ。敵になる動物がいないから、危険もないし。あとね、(小声で)強いよ。
強い?
豚なんかより全然強い。強すぎる。例えば、豚に噛み付くでしょ。そうしたらもう逃げても無駄なの。
逃げても?なんで?
コモドオオトカゲはね、唾液の中に数種類のバクテリアが住みついててね。噛まれた動物は、そのバクテリアに感染して死んじゃうの。だから一噛みすればOK。わかるかな。生きた細菌兵器なの。
いやですよ、そんなの!!・・・馬鹿!
(軽く)グロリア
(軽く)グロリア。でもどっちかだよ。
二択じゃないでしょ!豚かコド、コモドオオトカゲか、人間でしょ。私、人間が良い。
・・・これ、全部プレゼントしちゃう。
空箱でしょ!聞いてたんですから。
もっと大きいのもあるそうだよ。それにはマッサージチェアが入ってるよ。
それはダメ。
いりません。その辺りの話は聞いてました。ねえ。お願いです。人間にしてください。人間が良いんです。
その辺りの話は聞いてました?じゃあ、こうしよう。ゲーム解いてよ。
え?
箱だよ。聞いてたんでしょ。「ここにある箱が全て入る箱を持って来て、全部入れる」
え?ひどいです。だって、それはパラドックスだから、絶対に答えは出てこないはず。
君のためを思って言ってるんだよ。こいつは口は悪いけど、天使の中では、そうとう良いやつだし、君のせっかくの魂を、人間にするなんて、悪い選択としか言いようがないよ。最悪の動物だよ。
え?そんなにひどいんですか?
もしも人間に生まれたら、きっと何度となく耳にするはず。「生まれてこなきゃ良かった」って一言を。我々のデータによると、この世の動物で、この言葉を吐くのは、人間だけ、豚は言わない。
コモドオオトカゲも言わない。
・・・えーと、それは、納得して良いんですか?
動物は単純で美しい法則の中で生きている。それは「やってはいけない事はしない」という法則。群れから離れない。危険な場所に近付かない。天敵から目を反らさない。強い物には刃向かわない。つまりそれは、自分の命を無駄にしないって事だ。
じゃあ、人間は違うんですか?
人間は、「やってはいけない事」より「やっても良い事」を探す。それはあまりに複雑なので、よく間違える。
「やっても良い」理由をつけては、蔑む、奪う、盗む、偽る、妬む、壊す、そんで殺すと。場合によっては、「やっても良い事」をうちのトップのせいにしたりもするね。
トップ?
そうトップ。グロリア。
(Aと同時に)グロリア。私は、永遠なるものを2つ知っている。一つは宇宙、もう一つは人間の愚かさである。
あ、誰の言葉だっけ?
アインシュタインという「人間」。人間になれば、君を同じ事に気が付くはずだ。
でも・・・。
ある母親はね、二人の子供がいて、そのうち一人が人を殺し、もう一人が人に殺された。
ひどいな。
人間だから〜。誰だか分かる?
え?有名人??
そう、ものすごく有名。誰でも知ってる。答えられたら、人間にしてあげよう。それでもそれを望むなら。
ヒントは?
ヒント?お前に必要なの?
できれば。
それより、箱のパラドックス答えが分かりました。こんなんじゃダメかしら。それぞれの箱を人間とします。その箱が私。その箱を大きな箱に入れるの。その大きな箱は私のお母さん。お母さんの箱を入れる次の箱はおばあちゃん。箱は育つから、その箱の大きさを大きくして行かなくても良いでしょ。無限大に大きな箱は必要ない。ただ必要なのは、母体と愛情だけ、生まれた箱が、次の箱を宿せるように育てていく愛情。永遠に続く箱の連鎖。
*初演時は、この台詞の途中からハンス・レオ・ハスラーの《ミサ:ディキシット・マリア》の〈グロリア〉が背景に流れた。「ディキシット・マリア」は「マリアは言われた」の意味。ルネサンス後期の4声の敬虔な音楽。
なるほど。でもこの問題では、箱が育つという前提条件はないよ。
でも、まあまあな回答だ。
じゃあ、一番最初の女が入る箱は?(Bは、その質問はまずいという顔で止めようとする)
え?
イヴの入る箱は?結局、そこに戻るじゃないか。
イヴの母親よ。
それも、いないってのが前提だよ。
あ!!
ほらぁ。
ヒントをありがとう!さっきの問題。子供の一人が人を殺して、もう一人が人に殺された、それはイヴ。最初の箱。
え。イヴ?
アダムとイヴの子供は、確か、カインとアベルでしょ。カインがアベルを殺したんだから。子供の一人が人を殺して、もう一人が人に殺された最も有名な母親はイヴでしょ?
詳しいよね〜。
人間に憧れてるんで。
(真面目に)一番最初から、そんなに悲惨な女性がいるんだぞ。その後、彼女がどんな気持ちで暮らしたと思う?
そんなに人間はつらい?
「やっても良い事」ってのはつまり悪い事だよ。それを持った唯一の動物だから。
でも、それを持った唯一の動物。「やって良い事」。無駄かもしれないけど、進んでできる事。蔑むけど敬い、奪うけど与え、盗むけど施し、
偽る。
言葉を偽って美しい詩を作る。
妬む。
羨んで上を目指す。
壊す。
石を壊して彫刻を掘る。
殺す。
殺す・・・。
殺す
・・・(長い間、背後の音楽が際立って聴こえる)・・・弔う。死を悼む。愛しい人を殺された人がいれば、慰める。イヴもつらかったでしょう。でもきっと励まされたのよ。誰かがイヴを抱き締めて、その苦しみから守った。
アダム?
多分、イヴのお母さん。
いないんだって。うちのトップは、そんなの作ってない。
まあ、いいさ。ここにある箱は全てイヴの胎内に入って行き、母の愛が無限に続くってわけね。はっきりいってくだらない詭弁だが、約束は守ろう。天使は嘘をつかない。グロリア。
グロリア。
(箱を拾い女に渡す)この小さな箱を持って行きな。それが、君なんだから。そうして、愚かな生き物に生まれなさい。私たちはその愚かさを祝福しないでおこう。なんとかできるだろうから。ただし君には(祝福を与えようという意味で、箱を触る)
(箱が内側から光り出す)グロリア。
ABグロリア。
(箱を拾ってゆっくり去ろうとする)あ、私、女に生まれたい。
そうだな。自分の申した事を実践せよ。
(微笑んで)あと、豚は食べません。(女退場)
(女が退場してから、優しくきっぱりと)食べなさい。
良いのかな〜??
しかたないな。どこか東洋の国に生まれるようにしよう。
どうして?
キリスト教の国に生まれたら、危険思想だ。イヴに母親はいない。(周りの箱を見て)まあ、ここには、イヴの入る箱が必要か。
大丈夫。上での事は覚えてないはずでしょ。グロリア。
グロリア。
*初演時は、この言葉の後、間髪おかずロッシーニの《グローリア・ミサ》から〈グロリア〉が前奏は省略して流れた。つまり「グロリア」の歌い出しから。「グロリア」の大合唱で終わる。