cube united works 1st report『★BINGO』(ビンゴ)


用語集
 この作品の舞台は、『コントローラー370』と同じく、21世紀初頭のややエクストリームに発展した近未来。セントラル・アイランドという架空の人工島です。『コントローラー370』ほど造語はありませんが、ご紹介します。登場人物名と同様、ここでも分かる人には分かるほど有名なジャズからの拝借がたくさんあります。
セントラル・アイランド(造語)
『コントローラー370』に登場した人工島。その時は「21世紀初頭。ややエクストリームに発展した近未来。世界第一都市としては、十年程前に見放された某都市。内陸に向かってカーブした港湾に浮かぶ人工島(セントラルアイランド)を中心に、それを取り囲む港湾部からなる都市。」という説明がある。【参考】ニューヨークのマンハッタン島。
アファーマティブ・アクション
 差別修正措置。アメリカがレーガン政権あたりで採用した制度。社会的に不利な人に有利な条件をつける事。例えば、ある職場では、同じレベルの人材だったら健常者より身体障害者を取るとか、大学の入試が同じ成績なら少数民族を取るといった事例。最近、ブッシュ大統領はアファーマティブ・アクションは逆差別だと言って話題になった。
PASE法(造語)
『コントローラー370』では次のように説明されている。「出生率の低下と共に一子家庭が漸増するにしたがい、兄弟保有の特殊なステータス化が一般化した。特に2003年にウィスコンシン脳医学研究所が兄弟保有者の社会適合能力を臨床的に証明してから拍車がかかった。政府は早くからこの研究に取り組んでおり、従って一人っ子の大統領は存在しない。(第42代クリントン大統領に至っては、就任直後に生き別れと称して兄弟を登場させた)他に政治家や裁判官、教育者などの高い良識を必要とされる職業は兄弟保有者が向いているとされている。」なお、PASEは「ペーズ、”Program of Acquired Siblings Education”の略。政府が極秘に進めてきた、兄弟保有時における幼少時の環境を再現する教育的プログラム。両親の違う二人の子供を、専門の施設で出生時から兄弟として育てる事により、兄弟保有者に近い人格と社会性を身に付けさせる。これによって生まれた多くの「義兄弟」の中には、政府要職に就いた者も多い。」と説明されている。
サバイバル・ロッタリー
倫理学者ジョン・ハリスの提示した奇妙なユートピア。臓器移植のために健康な市民をくじ引きで選び、その市民を犠牲にして多数の病人を救う制度。もちろんこれは、実際にこういう制度を作れという主張ではなく、思考実験である。【参考】エンゲルハート他『バイオエシックスの基礎』所収のジョン・ハリス「臓器移植の必要性」。
ジョニー・ホッジス社(造語)
リッツがハッキングをしていた企業名。【出典】ジョニー・ホッジス楽団。ジョン・コルトレーンが所属していた事で有名な楽団。
メタファー占い(造語)
メタファー占いは、2021年頃、コロンビア大学の新ユング派のクラスから流行した不吉な言語とナンセンスな表現を使う占い。
ナレッジワーカー
知能労働者。
ピア40(造語)
40番埠頭。セントラル・アイランド東岸にある埠頭。モデルはニューヨークのピア17。
ジム・ホーキング
スティーブンソンの『宝島』の主人公。ヴィックスの永遠のヒーローらしい。
リトル・ビッグ・ホーン(造語)
ロンの所属する組織名。【出典】『リトル・ビッグ・ホーン』ジェリー・マリガンのアルバム名。
ソニック・ブーム(造語)
リッツがピア40のロッカーを開けるのに使ったスタン・ガンのような物。【出典】『ソニック・ブーム』リー・モーガンのアルバムの名前。
ザビヌル&ペトルチアーニ(造語)
正式名はフランシスコ・ザビヌル&パウル・ペトルチアーニ・カンパニー。フォリッツの製作元。リッツの両親の務めていた研究所(?)。【出典】ジャズピアニスト(キーボード)のジョー・ザビヌルとミシェル・ペトルチアーニの名前から。この二人は別にコンビではない。
サラ
ヴィックスのメールフレンド。実はおかま。speaker370〜cube united worksのほとんどの作品に登場する名前。
ハブ・キャップ(造語)
市立図書館裏のダイナー。ヴィックスがサラとの待ち合わせに使った。 【出典】『ハブ・キャップ+1』フレディ・ハバードのアルバム名。
Pフラッグ
ペアレンツ・ファミリーとフレンズ・レズビアン・アンド・ゲイの略。ゲイの権利運動の旗印。
ベロ出しキング(造語)
アイクが好きな残虐なネタを売りにするコメディアン。
セカンド・ジェネシス(造語)
かつてフシコが入信していた科学的宗教団体。ここで彼女のクローンが造られた。【出典】『セカンド・ジェネシス』ウェイン・ショーターのアルバム名
『クローサー』
「CLOSER」(作:パトリック・マーバー)。ロンドンのウエストエンドで上演され、1998年度のローレンス・オリヴィエ賞最優秀作品賞など数々の演劇賞に輝いた作品。この作品にスクリーンを使ったチャット・シーンが登場するのを参考にした(1999年、鵜山 仁演出、高橋ひとみ、宮本裕子、石田圭裕、増沢望による上演を観劇した)。【補】2004年、マイク・ニコルズ監督、ジュリア・ロバーツ、ジュード・ロウ、ナタリー・ポートマン、クライヴ・オーウェン 出演で映画化。
ヴァージニア・ウルフ
(1882- 1941)イギリスの女流小説家。心理主義の実験的作品を書き、繊細な描写に特色がある。代表作「ダロウェイ夫人」「灯台へ」。ミクが愛読している。
フォンテッサ、リーピン&ローピン(造語)
ロンがフシコを疑って口にする組織名。 【出典】『フォンテッサ』M.J.Q.のアルバム名。『リーピン&ローピン』ソニー・クラークのアルバム名。
ユマ・サーマン
1970年生まれのアメリカの女優。フシコは自分をユマ・サーマン似と思っている。
ディスクール(造語)
この社会での通貨単位。しかし同じ舞台設定の『コントローラー370』での通貨単位はエキュだったような・・・。 【出典】言説を意味するフランス語で、哲学者ミシェル・フーコーの用語。
バート・ランカスター
1913年生まれのアメリカの俳優。古さの代名詞としてフシコ2が使う。
フロイド・ロリンズの20日間
ケイブシティの洞くつで、縦穴に転落し、足を挟まれ脱出が困難になった青年。必死の救出作業が行われたが、多くのメディアが見守る中、20日目に衰弱死した。「永遠なんて虚しい言葉だわ、そうフロイド・ロリンズの20日間のようにね」とフシコ2によって使われるが、意味は誰にも分からない。
フォリッツ(造語)
「D-レヴィ」を無効化するナノテクマシーン(?)。本来の意味はフォー・リッツ。リッツのために彼の両親が造った物。
「遺伝子の紋章」(造語)
人間とクローンを判別するため人間側に付けられたマーク。
「遺伝子の痣」(造語)
クロ−ン人間特有のがんの俗称。
「D-レヴィ」(造語)
ディー・レヴィと読む。「遺伝子の痣」の治療とクローン人間の判別目的で埋め込まれる小線源装置。癌を抑制する放射線を発する物質(金属片)を体内に埋め込む実在の治療法「小線源治療」を応用した機械。世界初のクローンは、1997年イギリスのロスリン研究所で生まれたクローン羊ドリー。ドリーと言えば思い出すのはミュージカル『ハロー・ドリー!』(?)。その主人公の名前がドリー・レヴィなので「D-レヴィ」と命名されたという設定。(ちなみに上演の年はひつじ年で、クローン羊ドリーが死んだ年だった) 【出典】ドリー・レヴィ。ミュージカル『ハロー・ドリー』の主人公。舞台ではメリー・マーティンが、映画ではバーブラ・ストライザンドが演じた。
アウト・トゥ・ランチ(造語)
アイクが口にするとり食肉専門店。 【出典】『アウト・トゥ・ランチ』エリック・ドルフィーのアルバム名。

コラム
バイオエシックスとは?
 僕が戯曲を書く時には、たいていテーマになる物を先にきめるのですが、それは学問である事が多いです。今回は「〜学」を取り入れようと決めるわけです。『F.L.O.O.D.』では「脳科学」、『ボーイング370』では「ウイルス学」、『黒い二、三十人の女』では「政治学」という風に。そうして文献を読んでいると、文献の中にいろいろなヒントがあるわけですが、その意味では、今回取り上げる学問は『バイオエシックス(生命倫理学)』と言えそうです。倫理学(ethics)というのは、道徳・倫理の起源・発達・本質などを研究対象とする学問。その中心問題は道徳規範と善の問題であるとされています。生命倫理学は、学問の中では比較的新しい学問で、この道徳や善を、現代的な要素の中で扱います。倫理学と言うのは古い学問で、小学校の道徳教育のように軽んじられてきた感がありますが、現代になって、科学も医学も、社会体勢も、政治も経済も飛躍的に発展し、昔ながらの道徳が通用しない時代が来てしまいました。メディア・報道のあり方や、大量殺戮兵器、テロリズム、人体改良医療などが、倫理学の新しい必要性を痛感させたわけです。バイオエシックスは特に人間・人体についての広範な学問です。
 例えば、僕の愛読書でもある加藤尚武さんの『現代倫理学入門』には、以下のような問いが用意されています。

・人を助けるために嘘をつくことは許されるか?
・10人の命を救うために1人の人を殺す事は許されるか?
・10人のエイズ患者に対して1人分の特効薬しかない時誰に渡すか?
・正直者が損をするという事はどうすれば防げるか?
・貧しい人を助けるのは豊かな人の義務であるか?
・正義は時代によって変わるか?
・科学の発達に限界を定める事はできるか?
・現在の人間は未来の人間に対する義務があるか?

 などで、直感的に答えを出すと、必ず反駁されてしまうような問いかけになっていると思います。「当たり前じゃん!・・・いや、待てよ」といった具合に。どれも脚本を書く時にとても参考にさせていただいているジレンマです。特に最後の「現在の人間は未来の人間に対する義務があるか?」は『ボーイング370』や『F.L.O.O.D.』で登場したテーマだと思います。脳死、臓器移植、安楽死、人工妊娠中絶、遺伝子改造、自殺の権利といった現代的問題のみならず、人間の生の倫理学(宗教的解釈ではなく)なので、現代の必須学問という気がします。

 今回登場するサバイバル・ロッタリーは、この本の「10人の命を救うために1人の人を殺す事は許されるか?」という問いに関連して登場します。みなさんなら、「10人の命を救うために1人の人を殺す事は許されるか?」にどう回答を出すでしょうか?たいていの人が否定をすると思いますが、その場合はどのように反論をすればよいでしょうか?

 サバイバル・ロッタリーとは話がずれますが、例えば「戦地に取り残されたある1人の新米兵士を助け出すために、戦力として重要な10人のベテラン兵士を、死ぬ可能性が高い敵地に送り込んでも良いか?」とか「50年に一度川に洪水が起きて、その度に1〜2人程の死者を出す村に堤防を作るとして、その費用が500億円かかるとしたら、それを作るのは正当な行為か?」とか考えると面白いわけです。結局、命を数や値段として比較する事が可能か?という事でしょうが、それだって、なかなか難しい問題なのです。命は比較不可能という場合、それは「質」でも比較できなくなります。人間の命と猿の命を比較している我々にそんな事は言えないはずです。まあ、そこはゆずって人間の命は比較不可能としてみてもやはりいろいろな問題が起こって来ます。バイオエシックスは、これからの社会で絶対に必要な学問で、その思考方法は我々にとって有益な物が多く含まれています。