『BOEING370 solo edition』

(ボーイング・サンナナゼロ・ソロ・エディション)


「歴史の中で神は隠されている」
(マルティン・ルター)

「道具を作った者が、道具自体によって作り直されたのである」
(アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』)


舞台上中央に演壇のようなものがあっても良い。その周りに様々な資料や音声再生装置が置かれている。また以下のような新聞のヘッドライン(文字)が舞台上手と下手にあらかじめ拡大して貼り出されている(プロジェクター投影でも良い)。

【ヘッドライン①】(舞台下手にまとめて)
「天田光一郎教授、日本にピラミッドを発見!?」
「天田教授!江の島をピラミッドと断言!」
「江の島ピラミッド内に謎の空間 玄室の疑い!?」
「江の島ピラミッドから女性の遺体発見!!」
「日本のシュリーマン、天田教授、発掘の根拠となったのは絵本!」

【ヘッドライン②】(舞台上手にまとめて)
「江の島ピラミッドの天田教授 メキシコで行方不明」
「現地ガイドが目を離した隙に消える」
「ジャングルで事件に巻き込まれたか?」
「江の島ピラミッドの考古学者 川に滑落した形跡 付近を捜索」
「天田教授か!?下流で日本人の遺体発見」

 
  役者、中央から離れた位置で、絵本のようなもの取り出して読み始める。子供に聞かせているような調子だ。なお、以後、台詞中の【 】の中は音読しない。
【絵本①】昔々、藤姫という少し変わったお姫様がおりました。何が変わっているかというと、藤姫は、バケモノとかもののけ、妖怪やおばけと、とにかく恐ろしいお話しが大好きだったのです。藤姫は生まれつき体が弱く、外に出ることができなかったため、家来たちに頼んで、そういった怖い話しや奇妙な噂を集めてもらい、いつも聞いていたのです。
一番のお気に入りは、酒呑童子や天狗のお話しでした。特に姫はある時から、鬼の話を聞きたがりました。お話に出てくるのは、赤鬼や青鬼の話でしたが、姫は黄色い鬼がいないか、ここ最近、黄色い鬼を見たものはいないかと何度も聞くのでした。
  役者、本を閉じ、中央の演壇に立つ。
エリアス皆さんは「ミイラ取りがミイラになる」という諺を知っていますか?人を探して連れ帰るのが目的で出かけていったものが、自分もそこに住み着いて戻ってこないという意味ですね。本来は砂漠などにミイラを探しにいった人が、力尽きて死に、自分がミイラになってしまうということ。なんでミイラなんか探しに行くのか不思議ですよね?実は、ミイラから取れる油が薬になると考えられていたからなんです。そう薬になると。そして、私たちも薬を探してあの旅に出たのです。長い長いあの旅に。
エリアスその旅の話をどこから話せば良いのか、私にはいまだに分かりません。大抵の物語は始まりから語るべきなのですが、時には始まりがないこともあります。色々考えたのですが、とりあえず、アメリカ合衆国、ニュージャージー州、ケープ・メイ、州立物理学研究所での出来ごとから始めましょう。ある男が研究所に侵入します。そして、信じられない出来事が起こるのです。
エリアスこれはある軍人の無線報告の記録です。
  音声再生装置のスイッチを押す。
録音声「【無線報告①】標的は、州立物理学研究所に侵入。予定通り作戦行動を行うか指示を待つ。」
エリアス夜も遅い時間だったのに研究所の中には、一人の研究者が残っていました。ヘイウッド・フロイド博士です。警備員も博士が先に帰してしまっており不運が重なりました。侵入者は、博士を人質に立てこもる他、選択肢がなくなってしまいます。私が見た限り、博士は終始落ち着いており、この侵入者にタバコとライターを手渡す程でした。博士は言いました。
「金目当てならここにはないぞ。あの500万クローネは、ニールスのドッグフード代に消えてしまったからな。」
侵入者は、自分は強盗ではない、政治運動家だと言いましたが。
「この研究所に勝手に侵入した時点で政治運動とは言えないな。それより、君はこんな所にくるより、病院へ行った方が良い。」
博士は、侵入者がなんらかの疾患状態にある事に気がついていたようです。荒い息やひどい汗は緊張のためだけではなく、タバコを吸うその手がまるで砂のようにひどく変色していたのに気がついていたようです。
  一息おいて、ふと、上手のヘッドライン①に目をやる。

【ヘッドライン①】
「天田光一郎教授、日本にピラミッドを発見!?」
「天田教授!江の島をピラミッドと断言!」
「江の島ピラミッド内に謎の空間 玄室の疑い!?」
「江の島ピラミッドから女性の遺体発見!!」
「日本のシュリーマン、天田教授、発掘の根拠となったのは絵本!」
エリアス侵入者は武器を持っている様子もなく、博士はいつでも逃げ出せそうでした。博士がそうしなかったのは、この侵入者が疲れ果てた様子で、彼の言う政治運動について語るのを聞いて、憐れみと言う名の好奇心が沸き起こってしまったからだと私は思います。いずれにせよ、これが不幸の始まりでした。侵入者の主張をかいつまんでお話ししておきます。
エリアス①祖国で軍の圧政に反対して囚われている人権運動家の釈放を求るためハイジャックをした。
②このハイジャックにおいては誰も傷つけない事を前提とした。
③ハイジャックは結局失敗したが、世間に彼のことが伝わればそれで良かった。
エリアス博士は彼のやったハイジャックをニュースで観て知っていると言いました。ハイジャックに失敗して捕まった男が「オー(O)」と名乗っていたことも覚えていました。
「残念だが、本名を隠しての政治運動なんかに興味はないね。ハイジャックをしておいて、誰も傷つけない?圧政だか人権だか知らないが、君が逮捕されたということは、君が振っているその正義の旗が周りの人にぶつかったということだろ。それに、君は見たところ病気だな?」
博士は強気ですね。ハイジャックに失敗し、収監されたあと、オーの身には異変が起こっていました。手足の爪が、徐々に黄色くなって、砂のようにボロボロになり、ついには剥がれ落ちてなくなってしまったというのです。そして、どこかに移送される途中、移送車が事故を起こしたすきに脱走に成功、この研究所に逃げ込んだという顛末です。
「どこかに移送といったが、それは間違いなく病院だろう。体質性黄疸やビリルビン代謝の異常で爪が黄色くなることはあっても、爪がなくなるなんて聞いたことがない。君が犯罪者であろうと治療を受ける権利がある。それに、もし人に移る病気だったらどうする?エアロゾル感染なら、もう私に移っているかもしれない。 オー?オブライエンだか、オニールだか知らないが、オーは我々の世界では酸素だ。酸素は無味無臭無色だが猛毒だということを覚えておくんだな。」
録音声「【無線報告②】「研究所内に主任研究員のヘイウッド・フロイド博士が残留しているとの報告。作戦を予定通り行うか指示を求む。」
録音声「【無線報告③】問題発生。封じ込め作戦は終了。標的が行方不明。収監中埋めこんだGPS反応せず。繰り返す。標的が行方不明。GPS反応せず。」
  役者、上記の録音声の間に、冒頭の場所に行き、絵本の続きを読む。
【絵本②】ある時、姫は絵を描いていました。前に異国から手に入れた三角形の黄色いお山の絵を真似して、庭の山吹の色絵具で書いたのです。その日も姫は家来たちに聞きました。
「ここ最近この辺りには鬼は出ていない?黄色い鬼は?」
家来は答えます。
「ここ最近どころか昔から鬼なんて出てませんよ。」
「誰も見てないのね?」
「ええ、誰も見てません。」
そして家来たちを下がらせると、姫は納戸を開けて、言いました。
「良かったわね。誰にも見られていないって。ねえ。あなた、口がきけないの?それとも・・・人の言葉が分からない?あなたは鬼?黄色い顔・・・黄色い手。」
エリアス【診察記録①】「診療記録。患者、天田光一郎(匿名でも良いか?)。毎晩に渡り、同一の夢を見る。夢の内容。幼少期、遊園地のような場所で遊んでいると化け物に襲われる。化け物の詳細。黄色い、大きい、ツボをもって襲いかかり、当事者にとって恐怖となる。薬物、医薬品、アルコール、カフェインの過剰摂取は認められず、重度の亜急性悪夢障害の疑いとして治療開始。なお、夢の中の黄色い大型の化け物が保持するツボの中身は蜂蜜と断言。」
これは、東京都内のある精神科病院の診療記録です。別の日にはこうあります。
【診察記録②】「全身所見。手足の爪が黄色く変色。悪夢の内容と照らし合わせ、自身の皮膚の変色が悪夢の要因(?)となっている可能性があり、平行して皮膚治療を進めることを提案。ただし、患者は最近、江の島にピラミッドを発見したことで、一躍、有名になっており、そのストレスからの適応障害の可能性が考えられる。心因性の可能性も含め治療を継続。」
エリアス【天田の日記①】「今、メキシコシティに到着し、ホテルに向かっている。こちらはひどく蒸し暑い。そう言えば、行きの機内で変な子供に出会った。子ども一人で飛行機に乗っているのも妙だが。多分、日本人。どこで覚えたのか、彼は名刺交換をしたいと言ってきて、父親がやるのでも見て真似してみたかったんだろう。微笑ましい。私は、律儀にもちゃんとした名刺を渡し名を名乗った。彼は、ドリンクのコースターを差し出しながら、「エイト君です。」と自分を君付けして、丁寧に頭まで下げてくれた。ちなみに20回も名刺交換をやらされた。」
これは、天田光一郎教授の日記です。
  エリアス、舞台上手のヘッドライン②に目を向ける。

【ヘッドライン②】
「江の島ピラミッドの天田教授 メキシコで行方不明」
「現地ガイドが目を離した隙に消える」
「ジャングルで事件に巻き込まれたか?」
「江の島ピラミッドの考古学者 川に滑落した形跡 付近を捜索」
「天田教授か!?下流で日本人の遺体発見」
エリアス天田光一郎は、メキシコのジャングルで頓死しました。そして、人類史上未曾有の感染症が、この地で突如発生したのです。ここからは皆さんご承知の通りと思いますが、数週間で死者は3000人に及び、CDCやWHOが現地に到着するのとすれ違うように、グアテマラ、ヌビア、ボリビア、チリ、そして海を超え世界にばらまかれて行きました。
20世紀に急速に発達した航空システムが感染を世界規模にした大きな要因であることは言を俟ちませんが、感染者から次々と発見されたこのエマージングウイルスの最大の特徴、つまりエンベローブの急速かつ劇的な変異も治療を困難にし、パンデミックを加速させてしまいました。
このウイルスは、まず人間の皮膚を急激に乾燥させ、爪などの組織を剥落させます。剥離した皮膚は黄色い砂のように飛散し、この砂状となった皮膚組織を吸引することでエアロゾル感染を引き起こすのです。砂漠熱と呼ばれる所以です。
各国政府や研究組織、医科学者たちはこの砂漠熱の生理学的特徴は究明出来ました。しかし何年かかっても治療法が確立できなかった。なぜなら、このウイルスの起源、つまり感染経路が全く分からなかったのです。感染経路をたどり最初の感染者や宿主が見つかれば治療に活路が見いだせる。
当初、誰もがこのメキシコのジャングルに潜む未知のウイルスが原因と考えていました。しかし、そうではなかった。どんなに探してもこの地には砂漠熱の宿主は存在しなかった。
そうして、私とターナー博士が(この時代に)派遣され、長い調査の末、ついに突き止めたのです。砂漠熱はたった一人の日本人が日本から持ち込んだウイルスだったということを。その日本人の名前は天田光一郎。では、彼はいつどこで砂漠熱に感染したのか?
エリアス【天田の日記②】「ホテルについた。エアコンはあるのだが、夜でも蒸し暑くてたまらない。そのせいだろうか。皮膚の問題が悪化してきたような気がする。明日はメキシコのピラミッド研究会のメンバーが遺跡を案内してくれるそうだから、とても楽しみだ。その後、こちらの病院を紹介してもらおう。日本でピラミッドが発掘できた。そして権威あるメキシコのピラミッド研究グループに声をかけてもらえた。本当に光栄だ。」
これが天田光一郎の最後の日記になりました。そして、私たちのウイルス探索の舞台は日本に移ります。
エリアスご存知のように、我々は科学技術のおかげで、過去のどんな場所にも行くことができます。しかし、過去の人間に干渉することは禁じられているため、調査は非常に難しいものになりました。ほぼ観察することしかできないのです。天田光一郎にたどり着くまで5年、多くの命が無残に失われ、その何倍もの嘆きが取り残されました。
それもあってか、ターナー博士は、この頃ひどく苛立っているようでした。一度、天田光一郎がメキシコに行かなかったら、どうなっていたかと私に聞いてきたことがありました。何かが変わるかもしれない。しかし、それは出来ない。私たちは、抗体に結び付く秘密を解明しても、自分の時代の人間にしかそれを使ってはいけないと決められている。歴史を変えるのではなく、歴史に学んで自分たちの時代を動かすのだ。自分の誘惑を自分で否定しているようでした。
エリアスこれをご紹介するのは、とても胸が痛むのですが、(手紙の束を取り出す)ターナーさんが妹に宛てた手紙です。全部で8通あります。
【ターナーの手紙①】「サラ、身体の具合はどうだい?今日、驚くべきことが判明した。天田教授の通った精神科病院の診療記録から、 彼の皮膚が黄色くなり出した時期が特定できた。それは、彼が日本である考古学的発見を成し遂げた時期と見事に一致する。驚くべきことだが、彼は考古学調査の際に掘り出した何かから砂漠熱に感染した疑いがある。発掘現場からは12世紀頃の女性と思われる遺体が出ている。このとうの昔に死んだ女性にウイルスが残存していたのだろうか。天田教授が伝え聞いた伝説によればこの女性は藤姫という女性で、彼女をこの地に埋葬したのは、オニという日本のファンタジーによく登場するデーモンだそうだ。なんとウイルス探しが、デーモン探しになったわけだ。正直、困惑しているよ。本当に私たちの見立ては正しいのだろうか。サラ、君からもらったこのオルゴールをいつも聴いている。君を救うためにも私は早く正しい答えを見つけなくてはならない。君と全人類のために、必ず。」
  絵本を取り出し読む。
【絵本④】黄色い鬼はやがて、言葉を話すようになりました。藤姫が少しづつ教えたのです。鬼は面白いものを持っていました。火が出る小さな箱、見たこともない文字が書かれた紙。それに藤姫を驚かせたのは、藤姫が前に書いた三角形の黄色いお山のことを知っていたことです。それは砂漠にそびえ立つ王様のお墓でピラミッドと言うんだ、と鬼は教えてくれました。
「ねえ、今度は、あなたの絵を描きたいの。庭に山吹が咲いているから、黄色い絵の具を作ってあなたを描くわ。」
鬼はもちろん嫌がりましたが最後は観念したようです。鬼は絵の具で黄色くなった藤姫の手を洗ってあげました。ところが、藤姫の黄色い手はいくら洗っても黄色いままでした。鬼は涙を流してその手を何度も洗おうとしたのです。
「分かってるの。私も鬼になるのね。あなたが青鬼や赤鬼じゃなくてよかった。私、黄色ってとても好きだもの。」
エリアス【ターナーの手紙②】「サラ。具合はどうだい?早く君に会いたいよ。私たちは、天田教授が江の島のピラミッドで砂漠熱に感染し、そのウイルスをメキシコに運び込みアウトブレイクが始まったことを突き止めた。ウイルスは天田の中で静かに潜伏しており、メキシコで突然変異を起こし一気に広がったのだ。そこから先は世界が知っている。私たちは、その前の感染を追いかけている。天田にウイルスを移したのが、12世紀の藤姫という女性だとしたら、彼女は誰からウイルスを移されたのか。物語に登場するデーモンなのか。我々の時代の技術を使って、過去へ過去へと感染者を追い宿主を探す。だんだん真相に近づいている気がするよ。」
エリアス科学者は常に先入観に囚われてはいけないのですが、この過去へ過去へという発想こそ、大変な思い込みでした。天田光一郎からアウトブレイクが始まったのだから、天田光一郎から先を調べても意味がない、そこが盲点だったのです。過去へ過去へではなく、一旦視点を未来へ向けてみた時、藤姫に砂漠熱を移したデーモンのことが分かってきたのです。
エリアスさて、これは、オーがハイジャックをしたボーイング370機の搭乗員の証言です。
「彼は、カバンの中に爆弾を持っていると騒ぎ始めました。ただ、誰も傷つけるつもりはない。自分は、あの国の内情を世界に知ってもらうためにこんなことをしている。それで、より目立つ方法としてハイジャックをしている。捕まる覚悟もある。とそんなことを言っていました。本当に迷惑な男。爆弾も嘘だとは思いましたが、万が一のことを考え、私たちが慎重に対応しようとしましたが、突然、隣に座っていた子供が、ハイジャック犯にしがみつき、離れようとしなかったのです。その子は、妙に全身が黄色い子供で、私たち誰も搭乗案内をした記憶がなくて。」
エリアス天田光一郎は、メキシコシティに行く飛行機の中で、エイト君と名乗る少年に砂漠熱を移していることが分かりました。天田光一郎の日記によれば名刺交換を20回も行っています。この少年は、その後、トランジットした別の飛行機内でハイジャックに遭遇しました。そして、砂漠熱を移した。ここが突破口になりました。砂漠熱はピラミッドの遺体から天田光一郎、天田光一郎からエイト、エイトからハイジャック犯へと感染。このハイジャック犯は刑務所内で砂漠熱を発病し脱走。お気付きの通り、彼がケープ・メイ州立物理学研究所に侵入したオーという事になるのですが、彼は、その後、忽然と姿を消してしまいました。オーはどこへ行ったのか。
エリアスオーが逃げ込んだ研究所にアメリカ軍フォートデトリック基地から軍人が派遣されました。アメリカ軍伝染病研究所、USAMRIID(ユーサムリッド)から。著名なヘイウッド・フロイド博士が人質に取られ、諸々の事情が外部に漏れるのを恐れたのか、彼らは施設を取り囲み放火。その後、フロイド博士の焼死体を確認しています。ただしなぜかオーの遺体を発見できず、体内GPSでも探索ができない状態となりました。
  再生装置のスイッチを押す。
録音声「【無線報告③と同じ】問題発生。封じ込め作戦は終了。標的が行方不明。収監中埋めこんだGPS反応せず。繰り返す。標的が行方不明。GPS反応せず。」
エリアス【ターナーの手紙③】「ヘイウッド・フロイド博士と言えば、未来に住む我々でも知っている。サラ、君も学校で習ってないだろうか。フロイド・ワームホール理論を提唱し、物体転送技術の礎を築いた天才だ。しかし、研究途上で事故死した。研究所の火災で彼が死に、熱平衡状態やヒッグス粒子の凝縮に関する貴重な資料が灰燼に帰したおかげで、我々は転送技術の完成を1世紀以上待たなければならなかった。事故の真相が今分かった。奇妙なものだ。私たちをこの時代に運んだ時空転送技術の論理的な生みの親の死を目撃することになるとは。」
エリアス物体転送技術。私たちは頭を抱えるしかありませんでした。フロイド博士は、研究所が焼かれる中、貴重な資料をオーに託し、一か八か研究所の外に転送させようとしたのでしょう。ところが、米軍の誇る軍事衛星に走査できない場所は当時の地球上にはないにも関わらず、オーのGPSは反応しないのです。転送技術が未完成だったため、転送に失敗して肉体が四散しGPSも破壊されたのか。転送距離が大気圏を超え宇宙に飛ばされたのか。もちろんどちらも違います。博士も想定していなかったでしょう。まさか、オーを米軍の軍事衛星がまだ存在しない時代に転送してしまうとは。
【絵本⑤】ある日、黄色い鬼はそっと、藤姫の前から姿を消そうとしました。けれど、
「どこへいくの?」
鬼は無言でした。
「連れていって。私も連れていって。私はもうすぐ結婚をするの。とてもいやな男。でもおうちのためには必要なんですって。私いやです。だからその前に死ぬ気だった。死ぬ気で裏山に行った。そしたらあなたがいた。ああ、鬼が地獄から迎えに来た、私をあの世に連れて行ってくれると思った。そしたら、あなたが倒れてしまった。せっかく迎えに来てくれたのに、倒れてしまうなんて。ちゃんと私を地獄に連れていってくれるように介抱したのよ。そうしたら、私も鬼みたいになって来て、地獄に行く用意が整ったって喜んでた。それなのに、あなたは私をおいて行くっていうの?お願い。あなた、鬼なんでしょ。私をさらっていってよ!!」
 その夜、鬼は、藤姫をつれ去りました。町を出て、山をこえ、川を渡り、二人は走りました。すぐに追っ手がかかり、矢を放たれ、槍を打たれましたが、鬼は藤姫の盾となり、走り続けました。一時も止まらず。ところが、
「海だ!」
目の前に海が現れ、鬼はどうすることもできなくなってしまいました。しかし、その時、奇跡がおこったのです。なんと、霧が晴れると、潮が引き、海の上すぐ目の前に黄金に輝くピラミッドが現れたのでした。
「連れていって、あそこまで。」
鬼は、山を目指し、海を超えました。そして、そこについた時、藤姫は、すでに命を失っていました。鬼は大粒の涙を流し、大声で泣いたといいます。それでも、藤姫は笑顔でした。鬼は、藤姫を三角のお山の中に葬ると自分は海の中に消えていったといいます。めでたし、めでたし。」
え?そうね、めでたくないかもしれないわね。でも、藤姫は幸せだったんじゃないかしら。え?ピラミッドが?日本にあるのかって?そうね。あったらすごいわね。探してみたいの?それなら、考古学者になるのね。さあ、おやすみ。光ちゃん。
エリアス天田光一郎は幼い頃から母親にこの荒唐無稽な絵本を読んでもらうのが大好きで、いつか藤姫を見つけると言っていたそうです。結局、彼は考古学者になり、江の島を一種のピラミッドとみて、発掘調査をしたのです。まさか、そこから未知のウイルスに感染し、命を落とすことになるとも知らずに。
エリアス(手紙を読みながら、エリアスが注釈を挟み、模型などを使い感染ルートを観客に示す。)ターナーさんは完全に困惑し、事実から目を背けていました。
【ターナーの手紙④】「サラ、分からないことだらけだ。行き詰まった。エリアス君と何度も何度もタイムワープを繰り返し、感染源を探しているのだが、これはどういうことなのだろうか。」
砂漠熱の感染ルートは、すでに解明されました。私たちが解明したのです。
「アウトブレイクの起きたメキシコに病原体を持ち込んだのは天田教授で、彼は発掘した女性の遺体から感染した。」
これが藤姫です。
「その女性に病気をうつしたのは、彼女が匿っていたという黄色い鬼だ。」
そう、鬼の正体はタイムワープで過去に転送されたオーです。
「では、オーは誰から感染したのか。」
それも見てきました。ハイジャック中にある少年、エイト君から移されたのです。
「サラ、ここが問題なのだ。では、エイト君は、誰から移された?」
・・・天田光一郎です。名刺交換をし過ぎました。20回。
「サラ、つまり一周している。一周しているんだ。だとしたら、この病気のはじまりはどこにあるのだ。エリアス君はないと言うのだ。円にはじまりはないのだから。感染ルートは円環しており、最初の感染者は存在しないと言うのだ。だが、砂漠熱の起原を、その始まりを調べるのが、私たちに課せられた使命だ。始まりがないでは、話にならない!!人類が歴史に立ち向かおうとしているのだ。それなのに、私たちは、砂漠熱のはじまりを時間の輪のなかに見失ってしまったというのか?私が人生をかけて戦っても、この輪はとけないというのか。」
残酷なようですが、始まりが無いと言うことは、ゴールもまた無いのです。
エリアス(冒頭と同じ台詞)その旅の話をどこから話せば良いのか、私にはいまだに分かりません。大抵の物語は始まりから語るべきなのですが、時には始まりがないこともあります。色々考えたのですが、とりあえず、アメリカ合衆国、ニュージャージー州、ケープ・メイ、州立物理学研究所での出来ごとから始めましょう。ある男が研究所に侵入します。そして、信じられない出来事が起こるのです。
エリアスターナーさんの焦りはこの頃ピークに達していました。そして、あの事件を起こしてしまったのです。研究所に忍び込み、オーが転送される所を観察しようとしている時に、ターナーさんは、妹からもらった(この)オルゴールをポケットから落としてしまったのです。
オルゴールは小さな音で鳴り始めましたが、オーがその音に気づいてしまった。小さなきっかけでした。(数発の銃声)些細なすれ違いでオーは過去に転送される前に銃撃され、その場で死亡してしまったのです。歴史が変わった瞬間でした。
録音声「【無線報告④】標的を捕捉、銃殺しました。遺体の回収を優先します。この後、研究所およびフロイド博士はこのまま封じ込めを遂行。」
エリアス私はすぐに過去の状況を確認しに行きました。ターナーさんは未来、つまり私たちの時代へ。私はまず、オーがタイムワープしなかった藤姫の元へ向かいました。どうなっていたと思いますか?藤姫は望まぬ婚礼を前に自殺を図ったものの一命をとりとめ哀しい一生を送っていました。鬼との伝説も存在せず、絵本として残ることもありませんでした。天田光一郎が情熱を傾けるものは消えてしまい、考古学者にもならず、普通のビジネスマンとして名刺交換を繰り返していました。名刺交換と言えばエイト君ですが、なぜか彼を見つけることはできませんでした。どこへ行ってしまったのか。
エリアス【ターナーの手紙⑤】「サラ、未来に戻った私は、驚くべきものを目にした。そこは、砂漠熱の存在しない世界だった。砂漠熱はなくなっていたのだ。アメリカ軍がオーの遺体を検分しワクチンを開発したのだろうか。そして、砂漠熱の存在しない世界は、まさに地獄だった。信じたくはないが、そこは、まるで別の惑星のようだった。食料問題に端を発する戦争が、世界的な戦争が起きたようだ。核も使われ世界中が荒廃した砂漠になってしまった。それは、砂漠熱が人口を減らさなかった未来の姿だ。歴史を超え長い時間をかけ情熱のすべてを捧げ追ってきたものが、あっさり消えてなくなってしまうなんて。もはや、どこから来たのかも、どこへ消えてしまったのかも分からない。そして、あの恐ろしい未来だ・・・すべて・・・わたしの責任だ。」
エリアス私は、ターナーさんの嘆きに同調することはできませんでした。アメリカ軍がオーの遺体からワクチンを開発したと言いますが、ではオーは誰から感染したのか。オーがエイト君から感染するためには天田が必要です。天田が感染するには藤姫が必要です。藤姫が感染するためにはオーが過去に行って鬼にならなくてはならない。それに砂漠熱が消えたというなら、なぜ私たちは、過去を訪れているのでしょうか。私たちは、砂漠熱を追って過去に来ました。でも、砂漠熱はこの世界からなくなってしまった。そうすると私たちがここに来る意味がなかったことになる。
エリアス【ターナーの手紙⑥】「エリアス君は、パラドクスと言った。サラ、分かるかな。私が砂漠熱を無くしてしまったのだが、砂漠熱がなければ、私はここに来ないのだから、砂漠熱を無くすことが出来ない。エリアス君は私の見てきた未来をもう一度確かめると言って私たちの時代へ向かった。」
エリアス研究所に戻ってターナーさんに「嘘つき!」と言ってしまったことをよく覚えています。私が確認した私たちの世界は今まで通りでしたから。世界戦争なんて起きていないし、砂漠熱もありました。何も変わっていなかった。良かったですね、と言いかけて、私は言葉を失いました。
ターナーさんが、落としてしまったオルゴールを拾おうとして、ふと手を止めたからです。砂漠熱にかかっているサラさんのことを思ったからではありません。ターナーさんが見ていたのは、オルゴールではなかった。彼は、自分の右手を見ていました。驚いたような、少し嬉しいような、懐かしい友(もの)との再会を喜ぶような、そんな表情で見ていたのです。その、黄色く変色した右手を。
エリアス【ターナーの手紙⑥の続き】「サラ、この時のことはよく覚えているんだ。信じられない体験をしたんだ。まるで神と出合うような。なぜなら。なぜなら、サラ、やはり歴史はパラドクスを許さないのだろうな。砂漠熱は消えてなどいなかった。起った歴史は起るのだ。失いかけた目的、追いかけてきた答えを私は文字通りこの手につかんだのだ。その時のエリアス君は傑作だった。顔が真っ赤になり、急に泣き出して、帰ろう、未来へ帰ろうと、駄々をこねる子供のように涙をポロポロと流すのだ。帰れば治す術があると!治す術などない。それを私たちが探しに来たのだ。うろたえるなエリアス!私は未来に戻ることを拒否した。この病は、歴史が人間にもたらしたなんらかの装置なのかもしれないと思ったからだ。」
エリアス多少は取り乱したかもしれませんが、私は、その時、非常に冷静に思考を繰り広げました。ターナーさんの血から血清がつくれるかもしれないと閃いたのです。もし、ターナーさんがこの調査で誰かから感染した感染者に過ぎないのなら、宿主ではないのだから抗体は持っていない。つまり血清は作れません。しかし、ターナーさんは一度、砂漠熱のない未来を見たと言っていました。つまり、砂漠熱は一度は、歴史から消滅したんです。ターナーさんちょっとしたミスで。この病気が歴史の装置だと言うのなら、歴史はその装置の消滅を許さない。そこで歴史がすぐに装置を仕掛けなおしたのではないか?責任者であるターナーさんに。つまり、その瞬間、ターナーさんは、長年かけて追ってきた物そのものになった。歴史に選ばれた、最初の宿主に。
エリアス【ターナーの手紙⑦】「つまり、サラ、ミイラ取りがミイラになったというやつだ。最初の宿主なら私の血は抗体を含んでいる可能性があるというエリアス君の屁理屈に賭けてみても良いかもしれない。しかし、血液は提供するが、私はここに残る。それが歴史に課せられた私の使命だからだ。そして、砂漠熱が克服される未来が来たとして、それによって、そのさらに未来はどうなるんだろう?私が見たようなことになるのだろうか。始まりがないのならゴールもない。歴史とはそういうものなのかもしれない。
勝手に育った一本の木から果物が取れたかもしれない。その木を見てちょうど良いと思って首を吊った人がいたかもしれない。旅人がその木の下で雨宿りをしたかもしれないし、その木に車で衝突して死んだ誰かがいたかもしれない。人間が歴史を作るのか、それとも歴史が人間を作るのか。歴史は手強いな、サラ。このオルゴールはエリアス君に託そうと思う。手強い歴史を変えそうになった最強のオルゴールだ。彼女のこれからの戦いをきっと助けてくれるだろう。」
エリアス(オルゴールを見せ)これです。最後にターナー博士の最後の手紙を紹介します。これは、ターナーさんが、飛行機の中で愛するサラさんへ書いた最後の手紙です。・・・サラさんのご遺族の許可を得てご紹介するものです。
エリアス【ターナーの手紙⑧】「歴史の装置に従えば、わたしは、この後、誰かにこの砂漠熱を移すのだろう。そして、砂漠熱は世界に広がり、人々を死の恐怖に陥れるのだろう。その始まりに自分がなってしまうとは思わなかったな。私は、砂漠熱の宿主になったことで、血清を作り、歴史に挑戦したのだろうか。それとも私は、砂漠熱を追い続け、歴史に敗れ、砂漠熱の感染者になっただけの存在なのだろうか。
この旅の中で、私は何度も歴史を変えるという欲望に負けそうになった。しかし、結局、歴史は変わらなかった。今は、自分が歴史の輪の中の取り込まれた一部品のようにさえ思える。
けれど、サラ、私を憐れむ必要はないのだよ。私は大いなる物を見たのだ。何か、巨大な物の手のひらがさっと私に触れるようなそんな体験をしたのだ。むしろ、誇らしく思って欲しい。私は何もしなかったのではない、何かをしようとしたのだから。何かを、しようと。」
エリアスこの後、ターナーさんは、ハイジャックに遭遇しています。その時の搭乗員の証言のよるとターナーさんはこんなことをハイジャック犯に呟いていたようです。
「エイトが見つからないだって?エイトは、ここにいるじゃないか。」
ご静聴ありがとうございました。
  エリアスがお辞儀をした時オルゴールを落として鳴り出してしまう。
エリアスわざとですよ。
  幕。